一日一食ヴィーガン 「感謝」によって恵まれる
現在、一日一食の生活を続けています。
2ヶ月以上は経っているのですが、生活の変化などがあるので多少の体の不安定さがあります。
仕事、子育てなどで活動量が増えたている日が続くと疲れを感じ、「食べている量が足りないからかな」と思うこともあります。
そういった時は、飲みものや少量のナッツを食べ調整します。
それで過ごせているので、「あ、やっぱりそんなに食べなくていいんだな」という結論に行き着きます。
食べ物は「生命」。
動物はもちろん、植物も生きています。
それを私達はいただく。
体に取り入れるものにも「感謝」です。
私が「感謝」の大切さを知ったのは、小林正観さんの本を読んだことがきっかけでした。
小林正観さんは、『ありがとうの奇跡』や『脱力のすすめ』など、感謝の大切さを著作で語られています。
「苦」とは
生きていると、どんな人でも苦しいこと、辛いことがあります。
それをどう捉えるか、で「幸せ」でいられるか、はたまた「不幸」でいらえるかが決まってきます。
思いどおりにしたい
なぜわかってくれない
なぜやってくれない
なぜ気にしてくれない
なぜこうならない
自分の「こうしたい」、「こうあってほしい」という気持ちと裏腹に、周りへこのような「なぜ」という気持ちが湧いてくることがあります。
このような気持ちはどこから生まれてくるのか。
他人が自分の価値観どおりにならないから「なぜ」が生まれる。
「思いどおり」にしたいと思わなければ、「なぜ」は生まれないので、悩んだり、苦しんだりすることはなくなります。
なぜ「思いどおり」にしたいのか
人は千差万別。
色々な人がいて、また価値観も人それぞれです。
同じ日本人だとしても、価値観が全く同じ人など存在しません。
それなのになぜ「思いどおり」を求めてしまうのか。
そしてこのように言っています。
比べること、競うことをやめて、自分がこの世に「生」を受けた意味を考えると、「思いどおり」を求めなくなります。
「問題」にするのは自分
結局は「自分の心」次第。
「問題」としているのは「自分の心」。
比べること、競うことをやめてるこおとで「人」として生きるうえで、何が大切なのかを考える。
そうすると、「思いどおり」にならないことが「問題」ではないことに気づきます。
「感謝」するとは
すでに「全て」もっている
私達は生まれた時にすでに「全て」をもって生まれてきます。
何の不足もなく、何も求める必要などありません。
しかし、求めてしまう。
そこには「感謝」が足りないのだと思います。
思いやり
人は一人では生きていけません。
人の助けはもちろんのこと、自然や人以外の生物、あらゆるものがあるからこそわたしたちは生きていられます。
「全てに生かされている」
そう思うことで、全てに「感謝」の気持ちが生まれます。
突然、景色が変わった
小林正観さんの本をいくつも読んで「感謝」の大切さを学びました。
人だけではなく、あらゆるものに「ありがとう」と言うようになっていました。
それを続けているとある日、散歩をしていたところ突然、目の前の景色が変わりました。
一つ一つの輪郭が鮮明になり、色鮮やかに見えるようになりました。
それまで自分は色褪せたくらい世界にいることに気づきました。
「ありがとう」を言い続けた結果、目に映る景色が生き生きと鮮明になりました。
いつも「お陰様」
私は最近この言葉を使うようになりました。
「お陰様」
お陰様で助かりました
お陰様で元気です
お陰様でありがとうございます
「お陰様」という言葉をいうと、相手がとても喜んでいることがわかります。
相手に「あなたがいてくれてありがとう」という気持ちを伝えられます。
世界はお互いが支え合って成り立っています。
そのような気持ちをいつも持ち、何に対しても「ありがとう」と言えると「幸せな自分」でいられます。
感謝の大切さを教えてくれた小林正観さん、ありがとうございます。
お陰様で、今日も「ありがとう」を伝えられます。
今日も全てにありがとう