とある女子大生のオタク遍歴

どうも。人生の半分以上をオタクとして過ごしている21歳の大学生です。

唐突に自分のオタク遍歴を振り返ってみたくなったのでここに記します。

なんかオタク遍歴って面白くないですか???私人のやつ読むの好きなんですよね〜ドキュメンタリー観てる気分になれて。だからまあ自分のもここらで書いてみたくなったんですよ。

担当と呼べる人は約11年間のオタク人生で4人いまして、似てる人もいれば友達からなんで?と言われまくった人もいて、振り返ってみると結構面白いんですよね。自分のことを知らない人が読んで面白いかは自信ありませんが(笑)

では、私の担当との思い出を振り返っていきますか。













私の初恋の人は、バカでワガママで自己中で天然パーマの道明寺司です。

忘れもしない小4の夏休み。友達の家でたまたま観た花より男子の再放送。エレベーターの中で弱っていたイケメンに恋に落ちました。釘付けになりました。この世にはこんなイケメンがいるのか!と驚いたことを昨日の事のように覚えています。
あとドラマがめちゃめちゃ面白くて、再放送されている間友達の家に毎朝通って2人で花より男子を観ていたのもいい思い出です。暇でいいですね小学生。

初めは道明寺を好きになり、ドラマを見終えてから、松本潤を知りました。私のオタク人生最初の担当です。あなたが道明寺以上にいい男だったから、私はオタクになったんです。花より男子は当時私が布教しまくったので、私の友達はみんなハマったんですが、アイドルオタクになったのは私だけでした。そもそも皆花沢類派でしたからね。

そんなこんなで松本潤を、嵐をゆっくりと知っていきました。しばらくは親にも言ってなかったんです、松本潤を好きになったなんて。そうしてしばらくが経った時、あのドラマが始まったんです。そう、『失恋ショコラティエ』です。

確か小5の冬でした。何気なく観ていた月9の最後に次のドラマの予告が流れました。そこにいたんです、茶髪でおめめがきゅるきゅるの松本潤が。SNSなんてしていなかった私は事前にその情報を知ることは出来なかったので、予告で知ったんですが、あの時ほどの驚きと胸の高鳴りはあれ以来味わえたことがありません。カッコよくて叫び出してしまいそうでしたし、心の中ではガラス割れそうなくらい叫びました。しかも予告で流れるトラックもまた私の胸の高鳴りを加速させました。Love so sweetのイントロ並みに恋が始まる予感をさせられますよ。あれはやばいです。

好きな人のドラマをリアルタイムで観ることができるなんて嬉しくて嬉しくてたまりませんてました。でも、失恋ショコラティエをご覧になった方は分かると思うんですが、あのドラマを小5の娘に進んで見せる親はあまりいないんじゃないかと思うんです。私の親もそうでした。でも見たい!なので私はそこで母に打ち明けたんです。
「私、松潤が好き。」
だからドラマを見せてくれってことを伝えたんです。それまでAKBの振りコピばっかりして、男性アイドルへの興味を微塵も示していなかったので、母はそりゃまあ驚いてましたね。とにかく驚いていたことだけ覚えてます(笑)

母に一世一代の告白?をした私は無事失恋ショコラティエをリアタイすることができ、同時に嵐のレギュラー番組もしっかり見始め、オタクロードを歩み始めたわけです。

そうして迎えた2014年6月、私はついにファンクラブに入会しました。当時は確か郵便局から紙をもらってきて、必要事項を記入して、紙と年会費をまた郵便局に持っていったような気がしてます。今思うとだいぶ面倒ですね。記入欄がとても小さかったことだけハッキリと覚えています。

そしてそしてその年の12月。ついに初恋の相手とご対面しました。ナゴヤドームで。入会初年度に運良く当選した『THE DIGITALIAN』が、私の人生初ライブです。スタンド一塁側実質2列目。アリトロに乗ってこちらに近づいてくるその景色を今でも覚えています。逆にそこしか覚えていません。ライブの度に個人的ハイライト以外記憶を飛ばしてしまう性質はこの時から発揮されていました。
ほんとに王子様が来たと思いました。それまでアリーナの方を向いていた彼が、近くに来た時こちらの方に体を向けたんです。嬉しくてカッコよくて全ての記憶が吹き飛びました。あとは気球に乗った相葉くんが下を向いて手を振ってくれたことしか覚えていません。このポンコツ脳みそめ!

と、まあこんな感じの小学生時代を過ごしていたんですが、なんで私は松本潤を、嵐を好きになったんだろうとあらためて考えてみたんです。当時は考えたことなかったので。


あ、ここで先に言っておくと4人の担当全員入りは顔と声です。これはもう揺るぎません。顔に惹かれ声に惹かれ、そうして沼にハマっていったんです。なのでこれは自明とします。


松本さんはギャップがあるから好きなんだと思います。あんなにお顔がお強いのに天然な所があって、にこにこ笑ってるだけでアイドルとして100点なのにとんでもなくストイックで度肝を抜くライブを毎年創り上げている。どこまでもカッコよくて可愛くて真っ直ぐな人な人だと知ってしまったから。だから好きになったんだと思います。アイドルなんてにこにこしてるだけでお金がもらえて楽な商売だなと思っていた私をぶん殴ってやりてえです。

嵐が好きな理由は、やっぱり仲の良さでした。あんな関係性でいられる友達が欲しいなって憧れがありました。当時友達は沢山いた方だと思うんですけど、楽しい時も辛い時も苦しい時もずっと一緒、みたいな友達はいなくて、まあたかだか田舎の小学生にそんな絆が芽生えるほど辛いことは起こりませんが(笑)、何が起こっても絶対切れない絆で繋がっているような関係性が羨ましかったんだろうなと思います。
あとはグループ内に嫌な人がいなかったから。これは今振り返って思うんですけど、好きになりそうな人がいてもそのグループの中になんか違うなって思ってしまう人がいたら、好きになれなかったんですよね。松本さんが一番好きだったけど、二番は選べないくらいみんなのことが好きでした。個々がいろんな活躍をしていたから、松本さん以外を応援するのも楽しかったし、私の世界も広がりました。

嵐との出会いには本当に感謝しています。中学で出会って高校の時は札幌まで一緒に遠征し、今も連絡を取り合っているような大切な友達と出会えました。私とは全くタイプが異なる子でしたが、松本さんが好きということだけは一致していて、それで仲良くなれるなんて奇跡みたいなことだと思っています。

私の学生生活のほとんどは嵐とともにありました。特に中高の6年間は思い出のほとんどに嵐がいます。いろんなことに熱中してあっという間に終わった学生生活の中で、真っ先に思い出すことは嵐にまつわることばかり。そんなかけがえのない毎日をくれた嵐のことが本当に大好きで、私はずっと嵐とともに生きていくんだと思っていました。


2019年1月27日、私の人生で一番の衝撃が走った日。その日は友達5人でたこ焼きパーティーをしていました。その中の一人に、松本担の友達もいました。帰路に就く途中、何気なく見たInstagramのストーリー。見慣れた5人の姿の下に、活動休止というあまりにも嵐に不釣り合いな言葉。最寄り駅で呆然と立ち尽くしてしまいました。何を話しどう家に帰ったのかあまり覚えていません。友達から連絡はたくさん来ましたが、そのどれにも返事をすることはできませんでした。
会見を見ることもできませんでした。会見後のNEWS ZEROは今もNEWのマークがついたまま、録画デッキに残っています。直視しなければ、現実にはならないと錯覚していたんでしょう。嵐のいない人生なんて受け入れたくなかった。

でも現実は現実で、活動休止は着実に近づいてきました。それに反比例する形で、私の気持ちはどんどん離れていきました。2020年12月31日で、嵐の歩みは止まってしまう。私は直感的に、活動していないグループを好きでいることはできないだろうなと思っていました。5人の想いは尊重したかったし、個人活動を応援してあげたかったけれど、松本さんを好きな気持ち以上に嵐を好きになっていた私にとって、それはきっとできないだろうなと。好きな気持ちのまま休止の日を迎え、次の日から心の中が空っぽになるのが耐えられないと思った私は、嵐が感謝の思いを伝えていくための2年間で、ゆっくりと自分の気持ちをフェードアウトさせていきました。嵐なしで生きていくために。

口を開けば嵐の話ばかりしていた友達との会話から、少しずつその話題を減らし、飾っていたグッズをしまい、通学中に聴いていた嵐の曲は英語のリスニングに変えました。いつか戻ってくるその日まで、ずっと待ってるなんて無責任なこと言えませんでした。私が勝手に好きになっただけなのに、私の好きな嵐を5人に奪われたような感覚に陥ってしまったんです。自分勝手で子供じみた考え方ですが、自分の心を守るために5人を悪者にしてしまったこと、今はとても申し訳なく思っています。間違いなく、嵐のおかげで毎日生きていられたのに。

でもそういった紆余曲折を経て、今はいい距離間で嵐と向き合えていると思います。嵐や松本さんにほとんど依存状態で、当時はそれでいいと思っていましたが、今振り返るとあんまりよくなかったなあなんて思います。でも、嵐がいなくても生きていけると身をもって実感した今は、嵐の帰りを穏やかな気持ちで待つことができています。いつか、嵐が5人そろって戻ってきてくれる日を。



はい、これが私の最初の担当松本潤との出会いから現在までです。正直今も好きは好きですが、担当ではもうないかなと感じています。FCには入ってますし、活動が再開したらライブにも行くんでしょうけど。でもなんでしょう、上手く言語化できませんが、中高生の頃ほどの熱量はもうないですし、今他にもっと好きな人がいるのも事実なので。でも松本さんや嵐が好きな気持ちはまだめちゃくちゃあります。どっちやねんって感じですよね(笑) よくわかんなくなってきたのでもう終わり!次の担当行きます!













私の二人目の担当は、それはそれは不健全な理由で好きになった孤高のアイドルでした。


中学3年生の時、大好きな嵐は国民的アイドルで、ライブチケットはとんでもない高倍率。2年に1回のペースでしかライブに行けないことをとてももどかしく思っていました。だってライブ超楽しいし!で、もっとライブに行きたい、となった私は掛け持ち先を探し始めたんですね。そう、二人目の担当だけ唯一、オタクがしたいから担当になったんです。別にこういう出会い方を否定するわけではないですが、自分の中でこれまた唯一、この担当とは良い別れ方ができなかったので、結果不健全だと思ってしまうわけです。あなたにはずいぶん心を乱されましたよ。まあ楽しかったからいいんですけど(笑)


カッコよくて、歌がうまくて、裏表がなさそうで、どこにいてもすぐにみつけられそうな、太陽みたいな手越祐也。私は彼を見つけてしまったんです。

きっかけは中2か中3の時にイッテQを見始めたことでした。なんでその時までイッテQを見ていなかったのかは覚えていませんが、たまたま初めて見た回で『ANTHEM』を歌ってたんです。蛇にまみれながら。でも蛇なんて眼中に入らないくらいカッコよくて歌がうまくて、釘付けになりました。何この人。好き。え?アイドルなの?よし、掛け持ち先は君のグループに決めた!こんな感じで私はNEWSの手越祐也を担当にしました。

歌番組で嵐以外の部分を飛ばしていた私は、NEWSのことをほとんど認識していませんでした。でも、知れば知るほど惹かれていきました。NEWSのメンバーを改めて見たときに、え?駿太郎の弟いるやん!関谷も!?(ドラマ観ていない人は意味不明だと思います。すみません。)と驚いたことはいい思い出です(笑)
4人ともカッコいいし、楽曲はどれも素晴らしくて、正直嵐より好みでした。NEWSのことを完璧に認識しても、私の中で手越祐也が好きな気持ちは揺らぎませんでした。笑った顔がかわいくて、アイドルのレベルを超越した歌声を持っていて、超ポジティブで周りを明るく照らすような彼のことが大好きになりました。そうしてファンクラブに入り、私の掛け持ちオタクライフが幕を開けました。


私のNEWS初ライブは『NEVERLAND』でした。名古屋二日目のお昼公演。初めてのガイシホール。初めて聴く生の彼の歌声。体の芯から震えるような感覚を覚えました。ライブの記憶飛ばし女なので、ライブの内容はほとんど覚えていませんが、この感覚ととにかく圧倒されたことは覚えています。
そしてなにより、確定ファンサをもらったこと。このファンサに記憶のキャパの9割を持っていかれました。EMMAの衣装で、私を撃ってくれたこと。そのときの彼の顔、指先、そして私の興奮。あの瞬間のことはたぶん一生忘れません。本当に幸せな記憶です。あのとき見つけてくれてありがとう。すごくすごく嬉しかった。今のところオタク人生で唯一の確定ファンサです。松本さんとはまた違った幸せをくれたあなたに、本当に感謝しています。

NEVERLANDでもう一つ印象的だったことがあります。それは最後の『U R not alone』で、「シゲの分まで一緒に歌って」と言っていたこと。朝起きたら声が出にくくなっていて、それでもステージに立ち一生懸命歌声を届けてくれていた加藤さんのために放ったであろうあなたの言葉。力の限り歌いました。素敵な関係性だなって思っていました。そうしたら、加藤さんが泣くんですよ。私たちの声を聴いたからなのか、声が出ない悔しさからか、加藤さんの目から涙があふれたんです。その景色を、私は忘れることなんてできません。


NEWSのライブはほんとに良くて、自分見る目あるなあって思ってました。しかもその時のNEWSは私の肌感、めちゃめちゃ勢いがあって、レギュラー番組が始まったり24時間テレビのメインパーソナリティをしたりと、グループが大きくなっていくってこういうことなんだなっていうのをひしひしと感じていました。嵐に出会った時はもうすでに国民的アイドルの名を欲しいままにしていた感があったので、とても新鮮な感覚でした。嵐がいてNEWSがいて、どちらともが私に違った幸せをくれて。その時がピークで楽しかったですね。


最初でも触れましたが、私は彼の裏表がなさそうな所が好きだったんです。あと、強くいようとしていた所。ほんとは泣き虫なのにファンの前では笑顔でいてくれるの、素晴らしいアイドルだなと思っていたんです。

でも15周年の辺りで、色々あったじゃないですか。彼にもだしグループにも。その時歌番組に出ていた彼が、なんだか知らない人にみえて。いつでも強くてカッコいいキラキラアイドルだと思っていたのに、取って付けたような顔で弱々しく笑う彼のことを受け入れられなかったんです。もしかしたら私の思っている彼とほんとの彼は違うんじゃないかって。


追い討ちをかけるように、私は『Strawberry』も『EPCOTIA ENCORE』も行けなくて。それだけならまだしも『WORLDISTA』すら行けなくて。ガイシホールが改修でツアーから名古屋が外されて、大阪城ホールで申し込んだんですけど落選して。しかもその年に嵐のライブは当選したんですよ。その時に、私ってライブに行きたくてNEWSを好きになったのに、ライブに行けないなら応援する意味ないよね?って思ってしまったんです。
あと、彼は週刊誌に撮られてもいいとかなんとかよく言うけど、いざ色々あったらファンの前ではびーびー泣くじゃん。表向きは強い自分を演出しておいて、ファンの前ではそうじゃなくなるなんて、ダサいなって思ったんです。今思えばファンの前で素直になってくれるのはそんなに悪いことではないと思うんですが、とにかくその当時はそれが受け入れられませんでした。大きな何かがあったというよりは、小さな歪みに気づいてしまったという感じでした。そうして私は担降りを決めました。


友達に担降りしたことを伝えた時に「やっと夢から覚めたの?」と言われました。絶対私のタイプじゃないって思ってたらしいです。友達の方が私より私のことよく分かってるなと思いました。冒頭に書いた、友達からなんでと言われまくった担当こそ手越祐也です。でも嫌いになったわけじゃないし、ひっそり応援しようとは思ってたんですよ。曲は好きだったし、歌番組もチェックしていました。四部作も終わりが見えた頃、まさかあんな退所劇を繰り広げるとは思っていなかったので。

担降りしたこと後悔するくらい大きなグループになってほしかった。その中心で、太陽みたいに輝いていてほしかった。思い出を綺麗なままおいておきたかったのに、その時代のファンを否定するような発言なんて聞きたくなかった。あの時降りておいて良かったななんて、そんなこと思いたくなかった。脱退・退所を聞いた時、私の心の中はそんな気持ちでいっぱいでした。


そんなこんなで私の短くも濃い掛け持ちオタクライフは幕を閉じました。ここから嵐の休止まではゆるゆるとオタクをしつつも、大学受験があったのでそちらに重きをおいてという感じでしたね。コロナもあったのによく乗り越えましたよね。













3人目の担当は唯一女の子です。性別も事務所も他3人の担当とは異なってて、結構異色の存在なんですが、高2で出会ってからずっと私の憧れであり目標としている人です。あんまり詳しくは触れませんが、今の私の形成に大きく関わっている部分だけ触れておこうと思います。


自分にも他人にも嘘がつけなくて、いつだって真っ直ぐで何事にも全力でぶつかって、強さと儚さを兼ね備えている所が好きでした。彼女みたいに自分に正直に生きたいと思うようになりました。
あと、彼女のグループは楽曲が凄く良くて、私の心に突き刺さってきたんです。ライブも熱くて、毎回本気で全力な姿が大好きでした。ライブで初めて泣きました。物心ついてから片手で数える程しか涙を流したことがなかったんですが、彼女の声は私の琴線に触れるんです。今も歌っている姿をみるだけで涙が出ます。多分細胞が共鳴してます。エモいなんて言葉では片付けられないほどに。
あと、私は泣くことはダサいことだと思い込んでいたんです。でも、言葉にできないほど沢山の想いが溢れた時に零れる涙ほど美しいものはないと、彼女が教えてくれました。嬉し涙や悔し涙を全てさらけ出していたあなたの姿を見て、私は少しだけ素直になれた気がします。


今までとは違う畑でオタクができて、いい経験だったなと思います。ライブではメンバーカラーのサイリウムを振って、CDを何十枚も買ってチェキを撮って、大箱ライブの時は良席や特典目当てに10万チケを買いました。(ちなみに定価です)
担当の誕生日を祝うために熊本までライブを観にいきました。ツアーの多ステも初めてして、ツアーを通して成長を見守るという経験もしました。何もかもが新鮮で、本当に楽しい毎日でした。残高は常にカツカツでしたが。


でもそんな生活も終わりを迎えます。2021年の年末、解散が発表されました。また、私の大切な人達が離れ離れになってしまう。また、私の生活から当たり前が消える。
嵐同様、解散までにお別れを伝える猶予が与えられました。その時の私は、嵐の時とは違い、悔いなく最後まで応援することにしました。ゆっくりフェードアウトするのではなく、最後まで大好きなままでさよならをしよう。一緒に燃え尽きよう。自分の心に嘘をつかない担当を見ていたから、そう心に決めました。

それからは行ける限りライブに行きました。チェキを撮るために、ラストシングルは80枚も買いました。2022年の年末には、来年の6月29日に解散すると発表され、ライブ会場で大粒の涙を流しました。解散に向かって走り抜ける姿は皮肉にもカッコよくて、どんどん好きになっていきました。

そして迎えた解散ライブ。場所は結成当初からの目標だった東京ドーム。私にとっても人生で初めての東京ドームでした。80人キャパのライブハウスから活動を始めた彼女達がたどり着いた夢の舞台で、私は担当とお別れしました。人生で1番泣きました。この曲を聴くのも、このコールをするのも、これで終わり。悲しくて寂しくて仕方ないし、今でも映像を観ると涙が溢れてしまうけど、でも後悔はありません。私の担当も言っていました。解散は寂しいけどこれまで歩んできた日々になんの後悔もない、と。自分の気持ちに蓋をせず、真正面から向き合いあえて傷つくことで、その痛みはゆっくり消えていくんだなと知りました。無理やり目を背け続けると、定期的にかさぶたを剥がされてしまって、いつまでたっても傷は癒えないんだなと。最後まで応援しきることができて本当に良かったです。私がそうできたのは間違いなく、彼女がみせてくれた生き様のおかげです。本当にありがとう。

今も個々で活躍している姿に力をもらっています。陰ながらにはなりますが、ずっと応援しています。


えーっと、思ったより長くなってしまって自分でも驚いています。だいぶかいつまんだつもりですが。

しかも4人目、今の担当にはとんでもないクソデカ感情を抱えているので正直こんなの比じゃない分量になってしまいそうです。







よし、決めました。現担当への想いは別のブログにします。なので一旦ここで終わりにします!(え?)

その辺にいるオタクの乱雑なオタク遍歴をお読みいただいたあなた。ありがとうございました。もし続きが上がったら読んでくれると幸いです。なんせ個人的本編はそちらですので(笑)

最後に3人の担当へ、私の人生に彩りを与えてくれてありがとうございます。あなたたちとの出会いに本当に感謝しています。たくさんの人を幸せにしているあなたたちの幸せを心から願っています。

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