見出し画像

26年間で1番辛くて感謝してる


この間、夫と話になった1番辛かった、頑張った時期っていつ?

について書いてみようと思います。

私の夫は、純ポジティブ、純E、純Tなので、
辛い時期はあったけど、挫折した経験はないなーと言っていました。
病むとかよく分からないって。
なんて羨ましい、、、

私の性格はINFJだけど、結構色んなことが上手くいくって思っているし、面倒な性格だけど適当に生きるのは得意なので、辛いけど、その中で楽しさを見出すor脳では何も考えずに無でやり過ごすのどちらか。

それでも、私は結構、挫折?苦労?努力?を経験してきた人間だなと自分で思っていて、
スポーツ、国家試験、就活、色々ありますが、、、、

人生一番の挫折

年齢を重ねて、辛いこと、苦しいことがたくさんあった中でも思いつくのは、

1番はやっぱり、

中学受験

でした。

私は両親共々中学校から私立に行っていて、住んでいた環境もあり、地元の公立の中学校には上がらず、私立の中学校に行くために、小学校5年生から塾に通っていた。

塾に行っている友達はたくさんいたけど、きっとみんなと塾のタイプが違うことに気づくのに時間がかかりました。
(日頃の勉強を強化する塾、中学受験をする塾)

初めての塾

あまり記憶にないのですが、
みんなよりも勉強をする塾に行くよ。
と言われて行った初日。

毎週行われる国語の小テストが授業の最初に行われた。
4年生から通っている子がほとんどだったため、小テストの流れもみんなわかっている様子でスラスラ書いていた。
これは、教科書の章の最後についている10問の問題なので、少し暗記すればできるものらしい。
受験勉強というのは、算数以外は、基本的に5年生から新しいことを学ぶというよりは、4年生で浅い内容を把握し、5年生から内容を深めていき、本気モードに切り替えていく勉強スタイルだった。

小学校4年生まで、学校の授業についていけなくて困ったこともなかったし、小テストも大体100点だったので、この小テストのことは今でもすごく覚えている。

1個も分からない。
10問なので、10分あったら大体の子が終わっていたのに、私はほぼ白紙。

ここで、

花より〇〇  〇〇に入る言葉を答えなさい。

の問題が登場し、
唯一わかる問題きたーーーーーー!!!!!!
と思い答えを書きました。

すぐに回収し授業おわりに返却されました。
その後、順番に名前が呼ばれました。

これは次の日の授業の席順になるようだ。
点数が高い子から先に呼ばれて、右前に座る
後ろまで行ったら隣の列の1番前になり、
点数の低い子が左後ろ。。。

私は1番左後ろだった。。

返却された答案用紙には、
人生初の

0点

一個わかる問題があったのにと思い、

ハナヨリダンゴじゃないの???

何が違うの??

帰ってから母に聞いたら、笑われました。

私は

花より男子

と書いていました(笑)
昔からテレビっ子で、ドラマや映画は人一倍観てきました。

きっと母は、相当恥ずかしかったと思います(笑)

そんなこんなで始まった受験生活。
笑えていたのはここまででした。

本格的な受験期


受験勉強は今思い返しても、
人生で唯一

死にたいと思った時期です。
毎日投げ出したかった。
毎日自分が惨めで、何のためにこれをしているか分からなかった。

3ヶ月に一回、全国模試が行われて、順位、志望校の判定が出る。

志望校どころか誰でも入れる学校もほぼE。

このままではダメ。と言われるけど、
そのためにどうしたら良いか分からなかった。
だってなんのために勉強しているか分からないから。

母に怒られたくないという気持ちで、

必死で勉強した。

塾の中で行われるテストはそこそこの点数を取れても

模試になると、勉強したことが何も活かされない。

周りには頭の良い子、志望校が見つかっている子、旅行に行った話をしている子、
今まで努力というものをしなくても平均以上はできていた私は、毎日しんどかった。

母にも、私ができなさすぎて
なんでできないのか。なぜ分からないのか。
何度もぶつかったけど、涙しか出なかった。
なんの涙かもわからない。

みんなは学校終わり遊ぶ約束をしているのに、私は塾がある。
だけでなく、宿題が盛りだくさん。で休み時間も勉強。
話にもついていけないし、なんのためにこんなことしているのだろう、

月に一回月謝袋を見ると、⚪︎万、、、
夏季講習、冬季講習はプラス⚪︎万、、、教科書、模試代⚪︎万、、、
父と母は私にこんな大金を払ってどんな賭けに出ているのだろう。。

5年生の私には、なんでみんなと同じ中学校に行ったらダメか分からないし、
なんで、みんなと違う勉強をしないといけないか分からなかった。毎日夜ご飯のお弁当を温かく食べられるように、保温のお弁当を買ってくれたり
(あの頃はまだなかった)
土日は朝から夜まで塾があるから、昼はパン屋さんのパンを届けてくれて、夜ご飯は温かいお弁当を持ってきてくれて、毎日10時ごろにお迎えにきてくれて、

その後、勉強に付き合ってくれて、、
毎日夜に、大丈夫だよと抱きしめてくれて、

そんな好意にも辛くなる毎日、、

ここまでしてくれるのに、勉強ができない私に頭を抱える母を見て、

自分消えた方が良いなと何度も思い、次(9月)の模試で、また同じような結果だったら死のう。と決めた。(現在5月)

でも、今、私は生きている。

気持ちに変化があった。

新しい自分

こんな私の意識が変わったのは、オープンキャンパス。
6年生になり、中学受験の意味は理解してきた時に、いくつかオープンキャンパスに行きました。可愛い制服、みたこと無い部活、先輩たちの笑顔、ランチルーム、購買、、、、
笑顔でいる先輩たちを見て、母と手を繋ぎながら泣いたのを覚えています。

今思い出して、うるっときた。

帰りにパンフレット一緒にメッセージ入りの栞をもらいました。

「私たちと一緒に素敵な学校生活を送ろう」

ありきたりな言葉だが、すごくすごく胸に刺さり、
見たことのない世界にときめきました。

たまたまなのですが、その次の週、
地元の中学校の見学に行く日が学校の授業内にありました。

教室、食堂、部活、何もかも全然違い、そこで昼食もいただいたのですが、

AランチかBランチかの二択しかなく、それを食べた時に思いました。

私はこんな中学校行きたくない。
あの世界に入りたい!!!

6年生の夏までは、
毎日どのように死のうか、
どうしたら、塾を辞めさせてくれるかを考えていましたが、

この日からは、あんたらとは違う中学校に行くと
ちょっと上から目線ですが、

思いながら学校に通っていました。

そこから徐々に成績は伸び、
自分が何をすれば良いのか分かってきた気がしました。

正直、勉強量は辛かった時期より多く、睡眠時間も今までより少ないですが、

後数ヶ月で終わる。
今頑張れば、絶対に幸せが待っている。

それに気づいたのが、人よりは遅い6年生の夏ですが、
今でもあの感動、気持ちを忘れません。

丁度14年前の今頃、、数日に迫った受験日を前にやる気に満ち溢れていました。

私は前日に母手作りのカツを食べて、雪の中、試験会場に行きました。

私は無事受験に合格し、中学校は電車に乗り、可愛い制服を着て通いました。

人生でいつ番辛かったのは受験期だけど、
人生で1番感謝していることは、受験の機会を与えられたこと。

大人になって、父や母から
なぜ塾に入ったか、こういう勉強したら、こんなことが将来変わるというのをしっかり伝えた上で、塾に入れなくてごめんね。

パンフレットではなくて、実際にもっと早く見に行って、目で見て感じて貰えばよかったよね。

母も受験の母をするのが初めてだったから、たくさんあたって、関わり方間違えていたかもね。ごめんね。

とたくさん謝ってきます。

感謝と謝罪をするのは100%私なのに、、、

大人になってから感じたのですが、
何度も対立して、強う口調で言われても、私の両親に、

「⚪︎⚪︎ちゃんはできるのに。」
「⚪︎⚪︎ちゃんはやっていたよ。」

と人と比べられたことはありませんでした。

これって本当にすごいことだなと思いました。
職業柄子どもと触れ合うことも多いですが、

「⚪︎⚪︎ちゃんもやっているよ」
「⚪︎⚪︎くんはやっているよ」

と怒っている先生や親をよく見かけます。

私は兄弟が下に2人いますが、

「お姉ちゃんなんだから」

と言われた記憶は一回もないです。


本当に感謝しきれない。
本当に感謝しきれないことを結婚式で伝えることができて、本当によかった。

パパとママのおかげで私は本当に幸せ。

なんだかふと気持ちを記録したくて今日はこんな記事を書いた。

今日も1日健康に無事に過ごすことができました。
ありがとうございました。

いいなと思ったら応援しよう!

mini
こんなご時世です。 お気遣いなく、気楽にふらっと読んでいってください。 もし、いただけた時は帰りに夫にケーキを買って行きます。