時間がかかっていいこと:「自分と向き合う」について考えてみた
「No No Girls」というオーディション番組にハマってます。
プロデューサーのちゃんみなが候補者に向き合う姿勢や言葉に愛があって沁みるし(こんな上司は素敵すぎる)、候補者への問いかけに自分も考えさせられるし、
No!を突きつけられたことがある候補者たちが自分に向き合って努力してる姿を応援したくなるし、めちゃ感情移入しながら見てます笑
番組の中で、ちゃんみなが落ちる候補者に結果を伝えるときに、「時間がかかる」という言葉を使うんです。
自分らしさを見つけたり、才能を磨き込むのに時間がかかるから、今回は次に進むのが難しい。でも素晴らしい才能を持っているから、諦めずに向き合って磨いてほしい。と期待を込めて。
否定ではない「時間がかかる」という言葉がしっくりきて考えてみたのですが、
私にとっては「自分に向き合う」ことでした。
「自分に向き合う」ことは時間がかかることだし、時間をかけて良いことなんだと思えて、ここ数年くらいもやもやしていた気持ちを受け入れられたという話です。
自分探しのもやもやと気づき
付き合ってた彼氏と別れる時に「自分探しをしてるみたいだった」って言われたことがあって、
彼は良くも悪くもこだわりがあるタイプで、私はわりと何でも楽しめるし合わせられるタイプだったから、彼からしたら私が軸のない人に見えてたんだろうと思います。
ただ、そうじゃないよと思う気持ちもありつつ、
自分がどうありたいか、好きなこと、嫌いなこと、大切なこだわり…
私はこういう人間ですっていうのがない気がしていたタイミングだったので、このNoは結構きつかった。
それに、仕事や趣味で「これ!」というものを見つけて、一直線に突き詰めてる人や自分を表現している人を羨ましく思ってた自分もいました。
自分の軸、やりたいことってなんだろう??
だから、色々経験して見つけたいと思って、
仕事も頑張ってきたし、バケットリストを作って、富士山登山、バンジージャンプ、マラソン、旅…
スケジュールぱんぱんにしながらとにかくめちゃくちゃ行動しました。
ただ、経験の中で色んな感情や学びがあったはずなのに、自分の言葉で語れないし、言葉にしようとした時には詳細を忘れている…
そんなことがあって、良い経験してるのに自分の身にできてないのがもったいないと思いました。なんだか消費になってしまってる。
行動はできていたけど、それをしてどう思ったか問いかけて、考えて、言語化する振り返りと、
それをするための時間が少し足りてなかったと気づきました。
気づいた時から、日々何をして何を感じたか残しておきたくて、
日記を始めてみたり(1年半くらい続いてる!)、ジャーナリングしてみたり、今年からnoteを始めてみたりしました。
書くことで、自分に問いかけて考えられるようになって、少しずつ自分のことがわかってきたかなと思います。アウトプットが残るのも嬉しい。
自分と向き合うことは時間がかかっていいこと
書きながら、私にとっての現時点での「自分に向き合う」ことの定義は、
自分の言葉で自分がどういう人間か語れるために、行動して、問いかけて、考えて、言語化していくことかなと思いました。
どうありたいか、好きなこと、嫌いなこと、大切なこだわり…
自分のことを知ってることは当然だし、時間をかける必要があるほど難しいことだと認識してなかったです。
だから、27にもなったのになんで自分のこともわからんのだろうとか、
自分で自分を否定してしまって苦しく思った時もあったけど、
ちゃんみなの「時間がかかる」という言葉を聞いて、時間をかけて自分に向き合えるようになってきたし、時間をかけて向き合い続けていくもんだからこれで良いんだなと思えました。
2025年も、行動して、問いかけて、考えて、書いて言語化して、自分や仕事に向き合っていきたいと思います。
特に問いを自分で立てれるようになるのがテーマ。
2025年もよろしくお願いします。