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靭帯切れてから、経過観察216日目(手術後186日目)

教育とはなにかを20文字以内で定義せよ。

今朝、為末さんのツイートで拝見した御題です。
この『教育』というテーマって、必ずしも”教育現場”にいる人達だけが考えるべきモノでは無いと思ってます。
学校の先生たちは当然、子供たちの面前に立つので”教育”に関わる存在ですが、自分の存在が「親」であれば「自分の子」を”教育する立場”にあるし、職場で自分が誰かの「先輩、上司」にあたるならその「後輩」を教育する必要があるでしょう。仮に自分が”社会的な立場”として誰かの上に立ったことはなくとも、その下の立場は生きていると必ず経験していることになるので、ほとんどの人がこの「教育」に関わっていることになるかと思います。

なんでこのテーマにフォーカスしているのかといえば、自分には全然関係のないことだと思ったし、教育する立場にない。と思っているからです。じゃあ必要ないかといえば、そうではない。考えた事もなかったテーマに自ら触れていくと自分に何かしたの変化がもたらされます。そういう経験をボクはしてきました。

ここで注意したいのは「教育に一番重要なこと」を発表するわけではないということです。「聞かれたことに答えていない」というボクの悪い癖を治すための良い機会だと思ったのも書こうと思ったキッカケです。自分が悪いと感じている癖は意識していてもそう簡単に治せずに時間のかかるものです。なのでせっかくやっているnoteを活用していこうと思います。
ということでまず”定義”というものをハッキリ解釈することが必要です。

定義

定義とはどういう意味か?

定義(ていぎ)は、ある言葉の正確な意味や用法について、人々の間で共通認識を定めるよう行われる作業。 語義。 一般的にそれは「○○とは・・・・・である」という言い換えの形で表現される。 コミュニケーションを円滑で取り違いなく行うために必要とされる。

https://www.weblio.jpより引用

とあるので、『教育とは〇〇である。』を
自分の考えをハッキリと、見た人がわかりやすい形で示すことが大切だと思われます。こんなご時世なのでユーモアや皮肉交じりのジョーダンめかした表現をされている方もいて、とても面白く興味深かったです。為末さんの問いに対するリプライに惹きこまれました。

どう定義するかに困っているので、まず日本の教育が現状を把握すること、そして自分がどういう”教育”を受けてきたのか、自分が受けてきた日本の教育がどう変化してきたのか、または変化していないのか。この辺を掘り下げていく必要があるのだと思います。

日本における教育とは

現代が生み出した『ググる』を使って下記に書き出してみます。

・日本の教育は、全員が同じレベルを目指して教育することが前提である。テストを何度も繰り返し、合格するまで試験を実施することや、全教科の成績をまんべんなく伸ばすことを目指したりするなどの特徴がある。この教育方法は、諦めず繰り返し取り組む姿勢を身につけ、努力によって能力を伸ばせると考えられている。

・日本の教育基本法第1条では、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない

https://haa.athuman.com/
https://teachforjapan.org ›

より引用

はじめて見たけど、一般的にこういった軸があるんだというのは理解できました。こういう定義って全国の先生たちって把握、理解しているもんなのだろうか。今度教師をしている知り合いに聞いてみようと思います。

さて、これらのことから何を思うかというと。
これらの定義からやはり自分が受けてきた教育は『協調性よりも同調性』だったし、『共生よりも強制』の色が強かったなと思い返します。
やりたいようにさせてもらえた時間は少ない。例えば「小中学生の時に楽しかった思い出は何ですか?得たモノはなんですか?」と聞かれた時に、自分が”本気”で『これ!』というものは無いです。ただ、当時お世話になった先生たちには感謝しているのは嘘ではないです。それは今こうして健康体で生活しているからです。両親とはまた違う、自分の人生には必要な存在だったのは間違いありません。だから今もこうして生きている。そう捉えています。
ではどんな場面で「同調」と「強制」があったのか。
まずこれは自分だけに降り注いだ事ではないモノが多いです。例えば「運動会」や「学芸会」なんかはそうです。今思えばなぜあんなにも時間を割いて「リハーサル」をやるのだろうと感じます。しかも結構長い時間をかけてやったりします。運動会や体育祭なんていうのは生徒たちにとっては特別なイベントだったりもするので(運動嫌いな子もいるので全員には当てはまらない)割と自分たちらしくというか、純粋に楽しみたいという本能が働くとは思うのです。そういった中でも様々な競技があるので自分なりの楽しみ方を作ればいいけど、あんなに先生たちに強制されることが多ければそりゃ楽しめないよなって思ったりもします。比較的に運動能力が高い生徒にはあまり関係ないのもしれませんが。
学芸会なんか、ボクだけでなくたくさんの生徒が先生に「こういう演技をしなさい」と言われたもんです。そもそも学芸会は純粋に楽しくなかったのでやりたくなかったけど学校行事なので強制参加でもある。なのに演技を指導されたのはとても嫌でした。

これらのことを述べると、「お前がただ面白くなかった事を羅列して否定しているだけだろ」と思われそうだが、異論の余地はないです。
ただ、こういう現場ではもう少し生徒に「自由」を与えても良いのではないかなと。生徒たちの純粋な表現力を守るためにも。
それが一筋縄ではいかないのは百も承知ですが、大人に連れて本格的に自我が芽生えて自己形成がされていく仮定で、強制されることや同調が良しとされすぎると、自ら行動を起こしたり、それこそ失敗を恐れること。チャレンジにおびえてしまうこと、「どうせ上手くいかない」などと最初かた決め打ちしてしまう人が多くなってしまうのかなと感じてしまうのです。

基本的な定義があるにしろ、学校の先生としてあるべき姿といのは学校によって違いはあるかと思います。地域差もあるでしょう。そういった意味で”教育の差”はあるかと思います。どこが良い、悪いというのは現地の情報が無いのでわからないけど。

明日以降、教育の定義をハッキリさせるためにまた考えながらnoteを書いていきます。

今日の右膝です。
痛みと腫れが出る前の状態と同じくらいまで回復してきました。
また翌朝から少しリハビリを開始していきます。
ハムストリングスと臀部の強化にはげみます。
それでは

ひとつよしなに。

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