特殊な社会人チームの監督をするということ vol.3
名: ロビン
姓: オス(去勢済み)
犬種: シーズー×マルチーズ(Mix)
歳:5歳
特徴: 保護犬、片目が見えない
兼ねてから母が飼いたいと言っていたイヌ。
10年前にウチにはパピというパグ犬がいた。
16年という大変長生きをしてくれたのだ。それ以来の新たな家族である。
しかし今回、飼うにあたっての決め手となったのは親父殿の「犬飼いたい」の一言なのだ。
これには驚いた。今まで一切そんなことを言わんとしてきた親父のまさかの一撃である。母も苦笑していた、だが嬉しそうだった。
私の父も来年には71歳。世間でいうと祖父の領域だ。
姉も結婚して家を出た。私も早朝から深夜まで家にいないのだ。一週間に一度も顔を合わせない時もある。寂しく、そして丸くなるのもごく自然な現象なのだろう。
起床してリビングに入ると、既にロビンと呼ばれていたこの子であるが、私は到底納得していない。しかしこういうのは早い者勝ちなので抵抗はしていない。
片目が見えないという事で、かつて隻眼の男と呼ばれていた伊達政宗公から名前を借り、家族が一緒にいる時以外は、内緒で「マサムネ」と呼んでいる。
しっかり振り向いているところを見ると、この子も悪い気はしていないはずだ。
犬専門で知識のある方、もし犬の名前を2つ付けてしまうことになんらかのネガティブな事象が起きるのならば是非、指南していただきたい。すぐに「マサムネ」に改名することを家族会議にて資料提出をする。
前置きがまさかの飼い犬の話に。まあ要するに、我が家を最高に癒してくれる新しい家族が増えたということを言いたいだけである。これで私が不整脈になることもないだろう。と、願いたい。
そもそも文末で良かったのではないかとも思うが、そこは読者の判断に一任して、今後の記事作成の参考にする。
それでは本題へ。
夏の渡航選手が残り二人くらいになったところで、vol.1で書いた七夕の敗戦が起き、その後すぐに夏の渡航者全員がチームを離れた。
シーズン途中ではあるが、チームとしては再出発に近い。
この時点でかなり優勝への道のりが厳しくなり、ほぼ他力本願になってしまっていたが、可能性が少しでもある限りは当然諦める訳もなく、新たなチーム作りと更なる個々を伸ばす作業に取り掛かった。
新たなチーム作りと言っても急変させたわけではない。
今までやってきたシンプルなプレーの強度を向上させることをまず先決にした。それから個人がレベルアップするために「アップデート」をしようと伝えた。
何をアップデートするのか?
それは「情報」だ。
どんな情報か?
1つのプレーに対して、追求することで
あらゆる情報収集するのだ。
そしてそれが「知識」になる。
なぜそういうプレーになったのか?
更に良いプレーや選択がなかったか?
だとしたら、どんな準備があるのか。
味方の動きはどうか。
自分の足の運びはどうなのか。など
起きた現象には必ず「ストーリー」があるんだということ。
この「アップデート」と「ストーリー」という単語をフットボールに織り交ぜて記事や言葉で表現しているサッカー人がいて、私はそこから引用させてもらっている。
これらに正解はないのだが、私は常に「相手が一番嫌と感じるであろう」を軸に、選手に指導している。
放棄するわけではないが、これが正しいかそうでないかはどうだっていい。その私の意見を軸にしてもらって選手自身が「自信を持って、主体的に」判断を下す癖をつけられるようになることが一番重要なのだ。
その判断が正解かどうかなんてどうだって良い。それがゴール、アシスト、チームの勝利という結果に繋がれば「すべて正解」になる。
ということを考えながら指導しているつもりだが、おそらく、前半の選手たち(夏の渡航組)には伝わらなかった。
いや正確には『伝えることが出来なかった』のだ。
これに関しては私の伝達能力と選手の掌握術が乏しかったことが一番の要因だ。
そしてこれこそが、私自身、指導者に向いていないといまだに感じている事の直接的な理由にあたる。
人生経験が圧倒的に足りてないのだ。
『人生死ぬまで勉強』
これを格言にしているので、それはもう人生の経験はまだまだ不足しているわけである。
故に、ガムシャラにやるしかないということで自分の思いの丈を選手にぶつけようと試みたが、それで上手く伝わるほど甘くはない。
相手は「選手」である前に『人』である。
とりわけミーティング時にはサッカー以外の部分の話をすることが多い私だが、
サッカー、及びフットボールは『人間が行う競技』であるため、その選手自身の人間性が今後のフットボール人生を左右するのである。
私が選手達の個性や人間性を「直接的に」操作、成長させることは無理な話だ。これはハッキリ『無理』と強調する。
選手自身がその個性や人間性がなるべくポジティブな方に、そして自分自身で導けるような『キッカケを与えること』。
これは指導者として絶対的にやらなければいけない事だ。
伝わらない場合も勿論ある。
私は神様ではないので、例えば全てを言語化して全ての人を納得、理解させることはほぼ不可能だ。
きっかけを活かすも殺すも選手次第。故に指導者の『言葉選び』というのはとても大事だ、一歩間違えれば二度と信用されなくなるだろう。だがそういったリスクが常にあるのも指導者の宿命である。
だから、指導者は選手達と接する時には『いかなる時でも愛を持って接しなければならない』。
感情的になることはもちろんあるが
そこに愛情が無ければどんな言葉を選んでも選手たちの耳には入っても胸には響かない。
さあ、果たして私はこれをどのくらい出来たのだろう。
これは選手たちに聞かなければわからないし、聞くべきでないと言い聞かせているが。。本当は臆病なだけである。
そうして試行錯誤している間にシーズンは終わってしまった。
4位という言葉が出ない結果になった。
スタッフ陣からは、『今までにないHBOの基盤が作られた。感謝してる』という言葉を頂いて、大変恐縮であり救われた気分にはなったが、手応えは皆無。
やはりこの世界は結果が全てだ。
来季の人事がどうなるかはまだわからない。
そして今週の金曜日朝練をもって、HBO東京の2019年活動の全過程が終了する。手応えを得られなかった私に残ったものは果たしてなんなのだろうか。この目に見えない不透明な糧を来年に明らかにしなくてはならない。
先日、同級生たちの集まりで『今年はどうだったか、来年はどうしたいか』というのをアルコール混じりっけで話した。
「自分に正直になれなかった時が多かった」
これが私の答えだった。
お酒の場で、しかも冗談交じりの会話には相応しくない真面目なトーンでプレゼンしたので同級生たちは『あ〜、ねえ。』
という感じ。
しかしこれこそまさに正直な私なのだ。空気は読めてないかもしれないが、本音だ。
その年に得た糧というのは、必ず翌年に繋げて活かさなければならない。だから明らかにする。自分に正直にならないと見えてこないのだ。
そうして人生というのは色濃くなってゆくものである。
ということで、社会人監督としての自分を客観視してvol.1-3にまとめてみたが、まだ書ききれていないことは山ほどあるのだろう。だが、これが今の私が発せられる言葉とボキャブラリーのキャパだ。
明後日の朝練で締めくくる2019年。
今年もサッカーと共に。ぬか漬けのような一年であった。
兎にも角にも、選手目線だけでなく指導者目線でもサッカーと向き合えたことは貴重だったと、言わざるを得ない。
2020年に向け、もう色んなことが始まっている。
世界は、そしてサッカーは淀みなく動く。
私もそこに呑まれてはいけない。
来年こそ、飛躍の年に。
HBO選手兼任監督
ミノッティ。
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