『Laboみのこなし』みのってぃです。毎日note968日目
気候とは生き物である。
みのってぃです。
ね。これだけ気温も天候も浮き沈みしてるんだからもはや生き物ですよ。
そんなとある生き物である我々は、とある『天候』という生き物の影響を受けて寒さや暑さと対策に講じる。服もそうだし、防寒、暑さ対策もそう。日除けもそう。
そうしてモノが売れていく。哺乳類の一種である我々生き物が必要なモノを買っていく。こうしてお金が動く。ビジネスが成立して経済も動く。
近年というか、昔からそうなんだけど。本当に様々な分野でビジネスが構築されていってる。宗教だってそう、病院だってそう。あらゆるところでお金が動く。今は通貨が存在するから、お札やコインが『お金』という姿になってる。キャッシュレス社会でもあるので当然、お金が必要ない場面も増えてきた。それすらビジネス。端末決済をするには機械を導入する。手数料がかかったりする。
すべてがビジネスでまかり通ってる。
というように『生き物』と『ビジネス』は常に密接である。
なんてことを休憩中に考えておりました。
世の中からお金という対価が無くなった場合、ほとんどのサービスが消えてしまう。僕が関わっている物流だって、物を運んだところで給料は支払われないので、物流は止まる。故にオンラインショップは成立しない。じゃあ店頭に買いに行こう。けど給料は貰えないからレジに店員はいない。というかレジもないか。じゃあ商品だけ置いてあるか。お金は消えているので『商品』ではないか。そこにある『何か』である。お金という概念が消えるのでモノづくりはストップ。現物が無くなればもう『それ』は無くなる。
誰がが作らない限りは。
お金が出来た歴史を辿ると
お金が出来る以前は物々交換だった。
そこに生じた問題は『自分が欲しいものが手に入るか否か』である。僕が『サッカーボール』をAくんから貰いたい、と思ったらその対価を選ばなきゃいけないが、例えば僕が野球ボールを差し出すとしてもAくんが『俺はバスケットボールが欲しい』となったら物々交換は成り立たない。
その不便さを解消するために『お金』が出来た。
という歴史らしい。
明日以降、もう少し深掘りしてみようと思います。なぜお金のことを書き出したのかはわかりません。たぶん書くことが無かったからでしょう。
今日は仕事が早く終わりそうで、水曜トレーニングに参加出来そうなので休憩中に書きましたとさ。
ひとつよしなに。