左側マンの松葉杖生活。経過観察57日目(手術後27日目)
僕がお気に入りのラジオ回です。文中にもリンクを貼っておきます。
この時は私にとって神回でした。星野源さんのANN、オードリーのANN、どちらのラジオも魅力的ですのでぜひ聴いてみてください。
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本日の右膝
リハビリした後はある程度のアイシングをまだしている。
熱を持つ回数は減ったがゼロではない。アイシングのしすぎ、冷やしすぎも良くないので上手く調整する。
今日は膝が結構曲がりやすい感触がある。中でちょっと捻じれている感覚もあるのだが、股関節周りをマッサージするとそれはだいたい軽減される。
もう一日中右脚をマッサージした方が良いくらいに張り詰めているのだろう。とにかく明日のMRI結果が出たあとに、更にリハビリの強度を上げていきたいところだ。
『不安』
例によって不安の概念を簡単に調べてみよう。
不安・・・安心できないこと。気がかりで落ち着かないこと。
文字通り、これは周知の事実か。
人はなぜ不安になるのだろうか。
自分が今まで不安になった場面はどういう場面だったか。
もう数えきれないくらいの映像が浮かび上がってくる人の方が多いだろう。
脳は嫌な記憶の方を強く残すので不可抗力に近い。
なので『自分にとって何が不安なのか』を追究することが今後はカギになると、私は踏んでいる。
『普通』とは
『ほとんどの人は誰しも不安を持って生きている。これは人間のつくりからして当然のこと』これは養老先生の言葉である。
そして多くの人は『死体を見た時に”気持ち悪い”と感じるが、感じない人もいる。しかしいずれ自分も”死体”になる。なのにそれを気持ち悪いと言っている人は、自分に折り合いがついていないからだ。』
ただ、これは解剖学者である養老先生だからこその言葉なので一概に「そうだ!」とは言えない。例えばあなたが人生で初めて見た死体が「交通事故でみるも無残な姿になった人体」だった時は、気持ちが悪いと思う可能性もあるからだ。世の中にはどうしてもグロテスクな映像の耐性が無い人の方がいる。
だがやはり多くの人は『死体を見た時に気持ちが悪いと思うのが普通である』という。そしてそれを普通と思わない人は現代社会では非常識だとされる。
ちなみに私は養老先生は臨床に医者では無いので分析結果よりもその仕組みからして論理的にこうだよ。という話が多い。だがこの方は自分の目で見てきたことを仰っているので、崇拝しているのではなくたまたま見た回で共感を得ただけであることは言っておきたい。
星野源さんのオールナイトニッポンにオードリー若林さんがゲストで来ていた回で『普通』について話していた。
これを聞いて私も脳天にハンマーを叩かれたような気になった。
やはり頭の回転が速いというか、キレのある人たちのトークというのは耳に入りやすい。頭にもスッと入ってくる。言語化が上手すぎる。
これには若林さん反応し、
若『俺が結婚した時もファンの方から「なんだ普通の人だったんだ」というメッセ―ジがたくさん来たんだけど、「いや、俺はずっと普通だよ。何普通じゃねえと思ってんだよ」って思って。3Pシュート夜中に打ってると『なんのために?』って聞かれるんだけど「なんのためもなにも、あのシャポって音が気持ちい良いからだけなんですよ」っていうだけで、そんなことがもう小学生の時からずーっとなんですよ』
と共感していた。
さあ、果たしてみなさんの『普通』とはなんですか?
その先のトークも凄く興味深いので、その部分だけを短く編集したモノを用意したのでこちらからぜひ⇩(ちなみにラジオ切り抜きは収益化にならないらしい)
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”普通の強要”が不安を助長させている
みなさんは恋愛というものを経験してきただろうか。あるいはまだ無い人は気を付けた方が良い点がある。
それは相手が「こうして欲しい」という思いを強く主張してきた段階で「自分ではいられなくなる」可能性が高いからだ。好意を持っている人から言われたら尚更である。
家族も、恋人も、旦那も、嫁も、結局は他人である。
他人が”完全に”分かり合うことなんてのはあり得ない。
あり得るのは「分かり合えないとわかっていながらも寄り添って、お互いに譲っている、認めている、受け入れている」という行為だ。
そういう関係性ならばそう簡単には離婚もしないし別れもしない、絶交することもないだろう。
だがそれが簡単なことではないから、離婚もするし破局もするだけだ。
まさにこれなのだ。
我々が持っている『普通』を強要することは”相手を不安にさせる”
そしていずれ自分が持っている『不安』も助長される。
だって「え?これ普通じゃないの?」ってみなさん思うでしょう?
そういう時はだいたい「いや、そんなはずはない」と感じてしまうのが人間だ。そうして答えがなんのかわからなくなって、そもそも自分が持っている不安が一気に膨張してしまうのだ。
〆
私も幾度となく普通を強要されてきた。
でもそれも受け入れてきた。だけどどこかでずっと「おかしくないか?」と片隅に残していた。今それが爆発している最中なのだろう。
『たまにはファッション雑誌を読んだ方が良い』と言われたことがある。なぜ自分がまだ興味がないモノに触れさせようとするのか。
『ここは中学のクラブチームじゃねえんだよ』と高校サッカー部の先輩に言われた。』はい、ここは高校サッカー部です。それくらいはわかりますけど何が違うんですか?先輩たちと仲良くすることも許されないんですか。メリハリのつく関係は高校生では無理ですか?
『これ、ご飯にかけた方が良いよ』それはわかる。だけど私にとっても美味しいモノですか?まずは考える時間をくれませんか?まずは白飯だけで食べたいと思っている私の気持ちは?
こんなことは山ほどある。
いまだに全くファッション雑誌は読まない私だが、周りで私の恰好を変だと言う人はいない。自分がラクでストレスの無い低価格で気軽な格好でいるだけだ。私が傷つくと思って言えない人はバンバン言ってください。
世の中には『私は社会不適合者です』と主張する人がごまんといる。自慢ではないが私もその一人であると断言できる。
理由は、今まで私の言動を見たり聞いたりしてきた人達が1000人いるとしたら、900人くらいは離れていったからだ。まだ100人も私を見限らずに接してくれている人がいるなんて有難いことだ。これからはこの100人の方を大事にしていいけばいい。
それを続けていればまた大事にすべき人も増えていくんだと思う。だがやらなくちゃいけない事は増えるだろう。でもそんな人生だったら楽しい。不安も恐怖も受け入れてこの人生は戦っていける。
ひとつよしなに。
みのってぃ。