アンドロイドが電気羊の夢を見るとするならば
VR音楽プラットフォーム構築を目指し、音楽メディア「sono」を主宰しているmimyです。
「sono」のプロジェクトに関してはnoteの過去記事で色々書いてるので、よかったら読んでやってください。
AIが音楽を作る時代
OpenAIが2022年11月30日にChatGPTを発表し世界にインパクトを与えて以来、世の中生成AIの話題で持ちきりですが、もちろん音楽界隈にもその波は押し寄せてきていますね。
2023年末には音楽生成AI「Suno AI」が話題になり(sonoと名前が似ているので、むこうが話題になっていることにちょっとジェラシーを感じてしまいますw)、これから楽曲を制作する側もどんどんAIに取って代わられるのではないかと危惧する声もちらほら耳にします。
そうした中、つい先日tofubeatsさんが音楽生成AIについて取材を受けている記事を拝見しました。
この記事の中で、tofubeatsさんが受けた衝撃について以下のように紹介されています。
この記事を読んで、ふと学生時代に読んだSF小説「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」を思い出しました。
ご存知の方もたくさんいらっしゃると思うけど、映画「ブレードランナー」の原作ですね。
私はSF小説を読むのが趣味なんですが、フィリップ・K・ディックの作品は他にも読もうとしたものの、陰鬱すぎて断念したのでこの1冊しか読破できていません。。。
それはさておき、この作品の序盤で主人公のリックが所有する「電気羊」の話が出てきます。
作中の設定では最終戦争後に地球上の都市が放射性降下物で汚染され、生きた動物が希少な存在になっているので、ペットも非常な高額で取引されているんですね。
動物を飼わない人間は不道徳で同情心がないと見做されるけれど昔買っていた本物の羊は病気で死んでしまい、リックはしかたなく本物そっくりな電気じかけの羊を所有しています。でも、それが生身の動物ではないのが恥ずかしくて、電気羊であることはなるべく知られないようにしている日々です。
本物の動物を手に入れたいリックはいつしか自分の電気羊に憎悪を抱くようになり、そんな最中、賞金稼ぎのために逃亡中の危険なアンドロイドを「廃棄処理(つまり殺処分)」する仕事を引き受けるのですが・・・。
どんなに生成AIが進化したとしても
SFというのはいわば数々の作家による思考実験の場なのですが、この「アンドロイドは電気羊の夢を見たか?」に出てくる電気羊は実に象徴的だな、と改めて考えています。
tofubeatsさんが衝撃を受けたように、昨今の生成AIの進化度合いは確かに目覚ましく、耳の肥えた音楽愛好家にさえ人間が作った曲だと思わせるくらいです。
でも、「感動の先に人間がいない」とわかった瞬間、その曲はそのまま価値を維持できるのでしょうか?
精巧にできた電気羊を愛でることができないリックのように、生成AIが作った曲を人は熱狂して聴きたがるものなのでしょうか?
血の通った作品じゃないとつまらない
ちょっと前に読んだ、ガンダムの生みの親である富野由悠季さんのインタビューも色々考えさせられる内容でした。
この記事の中で、富野由悠季監督は以下のように語っています。
「人間はリアルなものが好き」。
もうこの一言に尽きるのかもしれないけれど、どんなにAIの技術が進んで一見ハイクオリティで「アーティスティック」なものが出来上がったとしても、それがAIの手によるものだと知られた途端、人は「なーんだ」という感覚に捉われてしまうんじゃないですかね?
(余談ですが、「artistic」とよく似た字面で「artifical」という英語の単語がありますが、こちらは日本語に訳すと「人工的な」「不自然な」「偽りの」という意味になるそうです。)
でもまあ、もしもいつかアンドロイドが(私が敬愛してやまない藤子・F・不二雄先生の代表作「ドラえもん」のように)人間と同じような感情を持つようになり、電気羊の夢を見るくらいまで進化するならば、それはもう人がどのように受け止めるようになるかわかりませんが。
ところでこの記事のサムネイルにしている羊の画像、実はPhotoshopの生成AI「Adobe Firefly」の機能を使って生成したものだったりします。
自己表現ではなく何かに利用されること(例えば商用利用など)が目的ならば、生成AIは今後どんどん活用されていくんでしょうねぇ。