死にたかったあたしの生きた卵巣〜臓器が意思表示するのよ、あたしの身体〜

基本的にオカルト話なので、そのつもりでお読みください。前回の『わたしは初めてわたしになった〜悟りの体験告白〜』のつづき、もしくは後日談に当たる話です。

※※※※※※※※※



無意識下で強固な妄想を抱えていても、
本人はそれを自覚できない。
今回は、
かなり長年抱えていた
『卵巣摘出手術を受けさせられる』
恐怖(ただし妄想)と、
それが克服されたので
卵巣が歓んでいる、
という話。





わたしは、
そうとう子どもの頃から
両親と縁を切りたいと願っていて、
昨年、
ついにそれを実行した。



といっても日本の法律では、法的な絶縁は不可能なので。

事実関係としては、単に別居して、新居の住所は知らせず電話番号等も教えず、ただ疎遠になっただけ、という話なのだが。



でも、やってみてわかった。
彼らには追跡能力はない。
そうして、
わたしのほうも、
生涯二度と会う気は無い。


とすると、
彼らの知らない場所に引っ越しして音信不通&行方不明になった時点で、実質的には絶縁完了だ。



あれから1年経って、
ふらふらと自分から彼らに連絡をしてしまう可能性はまったくないことがわかったし、
それどころか、
実感として、
あんなおかしは連中とは、縁を切ることができて、ほんとうによかったと思っている。



ちなみに、
彼らの思考回路では

①不動産を借りるには保証人が必要
②保証人には親しかなれない
③よって親の許可なく転居することなど絶対不可能

という三段論法を盲信していたらしく、
まさか勤務先の社長が保証人になってくれて、それどころか入居費用も出してくれていたなどとは夢にも思うまい。。。
それというのも、
ウチの会社が、まだマンションの一室が本社だった頃にわたしは入社しているからで、当時は社長が直接面接してくれて、採用と同時に名刺をくれて直電も教えてくれた。
いまでは社長の電話番号知ってる人のほうがレアだろうね。
支社が複数できてしまった今では、
支社採用なら(本社採用でも)
そもそも社長に会うことすら無い可能性、、、、。



そんなわけで、
わたしは肝心な場面で大変な幸運に恵まれ、長年の願いを叶えることができました。
いまの住居はとても気に入っているし、
毎日、家に帰れるのが、とても嬉しい。




それでね。
長年の夢を叶えたことで、
初めてわかったことを語ろうと思う。
でも、
これはかなりぶっ飛んだオカルト話なので、免疫が無い人は最初からフィクションのつもりで読んでね。




転居してから2週間くらい(??)は
めまいが止まらなくて、
出勤のために起きたときには、
天井が回ってた。
つまり、体調がわるい。



でも、
その時期が過ぎると、
体調は良くなり、
転居まえには全く想像もしてなかったくらい元気になってきた。
たぶん、
土地との相性も良いんだと思う。
勤務先から帰ってくるとき、
嬉しくなるから。


それと同時に、
いまの家に住むようになってからというもの、
かなり、
はっきりと、
身体が悦んでいるのが、
わかった。



とくに、
卵巣がものすごく歓んだ。



そうなってみて気づいたんだけど、
実家時代は、
卵巣は怯えているのが通常で、
なんか、
ものすごく怖がりだった。
何におびえていたのか???






たとえばね、
あたしは不登校で、
そのことに何の罪悪感も持たなかった。
で、あとからいろいろ他人の体験談を読んでみると、もしわたしが登校を自分に義務づけていたら、激烈な虐めを受けていたであろうことは、まちがいないのだが。
わたしには、
登校中に勝手に行方不明になる特技があり、なんでみんなはそれ、やらないのか不思議なくらいだったのだが。
いまならわかる答えは、
罪悪感とか義務感。
つまり、学校に行くのは義務であり、行かずにいることは許されないと思い込んでいるから、虐められててもフラフラと校内に吸い込まれてしまうのだね。
学校に行ってもお給料ももらえないのに、どうしてみんな無給で学校行くのかほんとうに謎だった。
そうした茶番を、
ほんとうに馬鹿馬鹿しく感じていた。


両親には、
そうとう嫌な目にも遭わされているし、
わたしから見れば一種の異常者なのだが。
同時に彼らは、
極度の事なかれ主義者でもあった。
『学校行きなさい!』
『はい!』
────それで登校中行方不明。
そして警察呼ぶべきかどうかで大騒ぎした頃に、本人は駅前の本屋で楽しく立ち読みでもしてました、という事態になったら、彼らは何とかして事態を取り繕うことしか考えられず、わたしへのペナルティーはなかった。
ああ。
このへんのことを考え出すと、ほんとうに謎だ。明らかに虐待以外の何物でもないこともされているし、わたしとしては彼らが側にいるだけで身構えるのが普通だった。彼らとのすべてのコミュニケーションは、わたしからすれば、ただの接待でしかない。
家庭の安らぎだとか、
家族の絆だとかは、
わたしからすれば、
論外。
なのに、
それにもかかわらず、
彼らに命令されても、
抵抗はできたし、反撃もできた。
なにを命令されても、
『はい!』
以外の返事はすべて口答え、という扱いだったのに、そのことで体罰を受けたりもしたのに、じゃあ命令は忠実に履行されているかというと、そこはまったくノーチェックだったことになるよね。
我ながらここには矛盾を感じるが、
思い出すかぎりは、
これが事実です、、、、、。






いや、
じつは、
不登校の話題は前振りです💦
平気で不登校になれるわたしは、

それだけではなく、
病院とかも平気でサボれる。
それだけではなく、
かなり早い時期(低い年齢)の頃から
決意していた。
よほど重い病状が出ないかぎりは、
病院には行かない。
自覚症状も無いのに、
検査とか受けない。


風邪とか虫歯とかの
①医者に行けば確実に治せる
②手術になる可能性がゼロ
の病気に関しては、
べつに医者に行くのは構わないのだが。


それ以上の
重い病状の場合は、
死を覚悟するレベルのものでなければ、
病院には行かない。
なぜか、
そのように、
かたく決意していた。
大した病気でもないのに入院させられ検査などされるくらいなら、、、。
────死んだほうがマシだ!!



なぜだろう?
なぜここまで思い詰めるのか???

そこは自分でも謎だった。

(※といってもわたしは親を信用しないし、先生も信用しないし、警察も信用しない人間だから、医者にも生まれつき不信感を持っていても不思議ではない。こうして言語化しないかぎりは、自身のなかでは、とくに矛盾は感じていませんでした。)





それがね。
引っ越しして、
親と離れたことで、
事実上、わたし個人の権限が増えた。
(※彼らが独占していた権限が返還された)

そうなったときに、
はじめてわかった。




なぜ、
どうして、
そのように思い込んだのかは
謎なのだが。



卵巣は
卵巣自身が
摘出されて
死なされることに
おびえていて、



それに対して、
わたしは、

だったら
死んでもいいから
摘出手術だけは受けさせない。

そのように誓っていたのだ。
なぜって、
わたしはわたしの卵巣を守りたい。








オカルティストのはしくれ。
わたしはオカルト&スピリチュアル方面の書籍や記事はそうとう大量に読んでいるのだが、それにしても。
内臓がしゃべる、っていう話はほとんど聞いたことがない。



わたしは、
ほんのごく最近まで、
かなり深刻な謎の症状を抱えていて、
単純に言えば、
わたしは自分の身体が自分自身であるとは到底思えなかった。
かわりに、
(ひとつひとつの細胞とそれをするのは絶対に無理だが)
それぞれの臓器が意思を持っていて、臓器とのコミュニケーションならばできるので、臓器連合としての自分の身体とやりとりをして、それで何とか自分の身体を運転??(運営??)していた。



それで、まぁ。
いまから10日くらい前にかなり強烈な神秘体験をしてですね。
そうしたら、
生まれてはじめて、
自分は自分である
(=わたしの身体はわたし自身である)
と、思えるようになった。
『この身体が、わたし!』
という体験は、
ものすごく強烈だ。
ふつうは物心ついたときには、
すでに自分の身体=自分自身だからね。
後天的にそんなことを体験できるなんて、なかなか例がないことでしょう。



そしてね、
前述のとおり、わたしは病院には行かない主義だったので、
もちろん、
『自分の身体が自分であるとは思えない』という症状は正式に何と呼ぶのか知りません。
離人症、
というワードを見つけて、これは当てはまりそうなので使わせてもらっていますが、それだって、医師の診断を受けていません。




①この世は幻想の世界である
②そんなことは言わなくても分かりきっている
なのに、
③幻想界に生じたこの身体(臓器連合)の面倒を見るために、わたしはこの世から離れられない


こんな状況に置かれたら、
だれだって自殺願望を持つのが当たり前だと思います。



しかも、、、、、、。
完治した(とつぜん完治してしまった)いまでは、自分の抱えていた精神異常について言語化できますけど、
そうなる以前は、
『完全に正常なのに』
『自分は異常であると思い込んでいる』
だけの病気、
という可能性もあって、
そもそも医師の診察を受けるにも、
告白するべき言葉が見当たらず、
手術可能性の有無と関係なく、
診察には行けませんでした。



いいですか?
こんなふうにね。
わたしは基本的に妄想家なのです。


重度の妄想癖は、
精神科での治療対象になるのかもしれませんが、そこに被害妄想の要素はないので、とりあえず日常生活において正常を偽装することは可能でした。




わたしはひどい妄想家なので、
その前提で読んでくださいね。
ただし、
これらの妄想には被害妄想の要素はないことと、この話は、わたしにとっては、れっきとした真実です。
(※自分にとっては真実であることも、他人にとってはただの妄想にしか見えないと理解できていることが、わたしなりの客観性ですね)



わたしにとっては、
①自分の身体=自分自身という認識が持てない
(※ただし最近これは改善された)
かわりに、
②臓器がふつうにしゃべります✨✨✨



かならずしも日本語でしゃべるわけではなく、また、すべての臓器と意思の疎通をできるわけではないのですが。
たとえば十二指腸や膵臓や脾臓がどこにあるのか、いまだにわかりません。
でも、胃はよくしゃべるし、大腸は大きな沼のヌシのカエル(のような姿)。
心臓と肺臓と腎臓も、かなりよくわかります。
肝臓は沈黙の臓器と呼ばれ、
コミュニケーションは不可能なはずですが、、、ほんとかよ???




そうして卵巣は。
わたしの身体では、
断トツいちばんに、
とにかく『生きたい!』と
願っている。



もともと自殺願望があるのがふつう、
というわたしにとっては、
卵巣の生きる気力は貴重です。
卵巣を死なせないこと、が、
わたし自身の生きる意味だ、
と言ってもいいくらい。



それにね。
臓器がしゃべるとは言ってもね。
胃は明らかに生死の概念を理解していない。
心臓は破綻すれば死に直結する器官だが、はたして死を理解しているかどうか。


それに対して、
卵巣だけが、
生死に敏感で。
わたし個人の死ではなく、
摘出手術という形で
卵巣だけが死なされることを
非常に恐れていました。



でね、
だからわたしは
いまでも
はっきりと誓っていて。
卵巣ガンとか悪性の腫瘍とかで、
卵巣摘出手術を受けるくらいなら、
卵巣とともにわたしは死にます。
いーじゃん、
わたし自身は、
べつに長生きしたいわけじゃないし。
いちばん生きたがっているのは
わたしではなく、
卵巣なんだから。



卵巣のために生きる。
卵巣が死ぬならわたしも死ぬ。
卵巣が崩壊したとき、
巻き添えでいっしょに死ねるなら
本望────。


なんて。
通常の価値観から考えれば
かなりシュールなことを
誓ってしまったのですが。
わたしは本気です!!!



そこで、
毒親と縁を切った話に戻ります。
わたしは
卵巣摘出手術には絶対に合意しない。
そう決意すれば、
その話は解決済ですね。
本来ならば。


ところが、
たったひとつだけ例外があって。
わたしの場合でいえば、
それが両親の存在です。



わたしが入院して、
卵巣に異常が見つかった、
というとき。
わたしに何の許可もなく、
勝手に手術に合意できる権限を
なぜか彼らは与えられているのです。



ひと昔まえ(昭和時代くらい)の、
ガン告知の話とか、
わたしに言わせれば、
まったく正気ではない。



重い病気は
本人には冷静な判断は不可能だから、
まわり(家族)には教えるけど、
本人には教えない。
という対応が日本の医学界の常識でした。
なので、
まわり(家族)だけが、
『この人は末期癌です』
『余命は3ヶ月です』
とか知らされて、
本人には
『もうすぐ退院できますからね!』
とかのウソの告知。
それが優しさであり、配慮。
それが当時の常識だった。
─────正気かよ???



ガンの告知に関しては、
いまはそこまで酷くは無くなったそうですが。


本人に許可なく、
親が勝手に手術に承諾し、
本人はそもそも病名すら知らされていないまま、手術をされ卵巣を摘出されてしまった、などという例が、日本には、ままあります。
(※そんなに無数にはないです。念の為💦)



あのね。


引っ越しして、
いまの住所になってから、
たまたま??手にした本に、
何の因果か、
卵巣摘出手術の話が載っていてですね。
本人の年齢を考えると、本当のことを教えるのは可哀想だから、本人には何も言わずに親が勝手に手術を許可してしまう、という例はあるようです。
ほかに妻の手術を夫が許可、という例も載ってた。
著者は非常に憤っていたが、
いまのところ、それは、れっきとした合法的対応らしい。ひどいね💢💢




ところで
摘出手術が提案されるほど、
わたしの卵巣には欠陥があるのかは、
ちょっとわからん。
なにせ、
医師の診断は受けない方針だから。



でもね、
健全不健全(健康不健康)を問わず、
無実の卵巣が死なされた(摘出された)
という例はこの世に無数に存在するし、
それを『集合意識から拾いあげた』のだと
オカルティストは考える。



そうして、
自分の卵巣がおびえていたら
可能なかぎり安心させてあげることと、
彼女??が嫌がる場所には絶対行かないことが、飼い主??としての礼儀です。



そういうわけなので、
わたしは自分の卵巣が正常なのか異常なのかよく知らない。
でも、たぶん、だいじょうぶ。
なぜって、
わたしの卵巣は、
臓器のなかでいちばん元気だから。
よく踊るし、よくはしゃぐ。
たまに痛いことがあるけど(とくに左)、
健全な痛みなのか不健康な痛みなのかは自分でわかる。


事なかれ主義の両親が勝手に手術の承諾書にサインしてしまうリスクがゼロになり、
なおかつ、
わたしは卵巣摘出手術は絶対にしないと決めてしまったので、
摘出死の恐怖から解放された彼女(たち??)は、
いま、とても元気です💖💕💖




ところで、
以下は最近買った本から。
※※※※※※※※
『卵巣エネルギーの効果』
卵巣の細微なエネルギーのエクササイズは、女性に卵巣のエネルギーが感じられるようにするためのものです。これを経験した女性は、エネルギーが脊柱を上昇するのが感じられたと表現しています。
(略)
温度については、多くの女性が温かく感じられたと話しています。
(略)
卵巣のエネルギーは重く濃密なのです。
※※※※※※※※
タオ性科学 女性編
謝明徳[著]
鎌崎拓洋[訳]


この本、
買ってきたばかりなので、
エクササイズはひとつもやっていないのだけれど。

ほんの10日くらい前に、
わたしが悟りを開いたとき。
ほかの人の体験談で語られているような内容とは、まったく別の展開になり。
背骨に謎のエネルギーが高まり、背骨から、ものすごい快感がやってきて、ほとんど気が狂いそうな状態が三日三晩続いた。寝ているときはともかく、外出中などは、ふつうっぽく振る舞うのが大変なほどだった。

(※知っている人とは誰も会っていない。通行人から不審人物だと思われないように振る舞うには注意が必要だった、という意味)

そうして、
そのような異常に高レベルな快感が落ち着く頃には、わたしの意識の中心は背骨になっていて、わたしにとっては生まれて初めて
(物心ついて初めて)、

『この身体が、わたしなんだ!』

という自覚を得た。ということです。


だから、
背骨の快感には、
わたしは大変な恩義があると
言えるのだが。



もしかして、
背骨にあの快感をもたらしたのは
過剰に活性化した、
卵巣なのでは??



集合意識から情報を拾うことができ、
なおかつ、
みずからの意思(摘出されたくない!)
を明確に表現できるほど優秀な卵巣が、
わたしに極度のエクスタシスと悟りと自己認識、そして生きる意味と生きる気力をもたらしてくれたのでは???



そのように考えてみると、
第一に恩義を感じるべきは
卵巣────。


後悔もしないし、
貸借でもない。
卵巣のためにわたしは生きて、
卵巣とともにわたしは死ぬのだ。


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ミミィ
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