「構図」で読むカグラバチ
「カグラバチ」は現在(執筆当時2024年10月)、週刊少年ジャンプにて、快進撃を続ける新進気鋭の作品だ。その鮮烈な「復讐劇」というストーリーラインと、派手なアクションシーンの絵作りはとても目を引く。
私はこの作品の良さを支える要素の1つに「構図」があると思う。
ではその「構図の良さ」とは一体何なのか?
これからその良さを紐解き、どのような形で作品に落とし込まれているのかを見ていこう。
目次
カグラバチの魅力
この漫画の特徴は何といっても白と黒がとても魅力的に描かれているところにある。
さて、白と黒が魅力的とは具体的にどういうことだろうか?白と黒で構成されていれば魅力的だろうか?
漫画はおおむね白黒で描かれる。(昨今はかなり例外も多いが)ならばどれも白黒で描かれているのだから魅力的ではないのか?否、そうではないだろう。
このnoteではカグラバチの「白と黒」がなぜ魅力的であるのか?ということを「構図」の観点から切り込んでいこうと思う。ここではなるべく絵の事に関して全く知識がなくとも実体験と照らし合わせ、なんとなく感覚で理解できるような記述に努める。
用意できる方は是非、カグラバチを横に置きながら見ていただくとより、カグラバチに落とし込まれた「構図」の良さ、綿密さに気づくことだろう。
それでは、はじめよう。
基本的な明暗による絵作り
漫画の話をする前に、少し抽象的な話をしなければならない。我々は常に明度を見ている。それは自覚があるにせよないにせよ知覚されている。このことについて話をしていこう。
明度とは単純に明るさの度合いだ。もっと簡単に言うならば明るいか、暗いか。白っぽいか、黒っぽいか。である。
白と黒は表裏一体だ
カグラバチは度々、「黒がかっこいい漫画だ」と称される。
しかし、これは少し説明が不足しているように思う。下の画像を見てほしい。真っ白に塗りつぶされた絵と真っ黒に塗りつぶされた画像だ。これらの画像は面白いだろうか?
当然全く面白みがない。すべてが真っ白であったり、真っ黒では何の感情も湧かない。では下の2つはどうだろうか?
ただ2本線を引いただけであるが、上の画像よりもずっと面白くなった。どちらも対極にある色のラインがフレームを区切ることによって強い明暗のコントラスト(対比)が生まれる。
このように白と黒という対称的な2色がそれぞれを引き立たせるからこそよりかっこよく映るのである。2つは表裏一体だ。
真っ黒を最も浮彫りにするのは真っ白である
なぜ図2の画像が面白く感じられるか。これは明暗のコントラストにある。少し説明が遅れたがコントラストとは対比の事である。その要素の相対的な差の大きさである。相対的な差の大きさとは何なのかもう少し詳しく見てみる。
次の2枚の画像を用意した。(図3)
どうだろうか?どちらとも四角が描かれている。しかし我々の眼をよく引くのは右の四角である。
このように明暗の差が大きいほどコントラストは強く知覚され、強い印象を与える。我々の目は画像の中でも最も明度差が大きい領域へ引き寄せられるのだ。
ここで誤解してはいけないのが差は相対的に知覚されるという点だ。図3の左の画像だけが出てきた場合、もちろん差が一番大きいのは黒の中でもさらに黒い領域である。
カグラバチは集中線を描かない
先日このようなツイートをした。これについてもう少し詳しく説明する。
「集中線」はとても強い視覚効果だ。何本もの線が見せたいものに向かって向いているから鑑賞者は強くその線の先を意識する。通常の漫画であるならこれでよいだろう。
ではカグラバチならどうだろうか?ここまで書いた通り、カグラバチは白と黒が魅力的な漫画だ。そしてその魅力を引き出すには対極にある色があってこそである。
下のシーンはカグラバチに出てくる、白と黒がとても印象的に決まったシーンだ。
ではこれをもっと目立たせたいと思い、白い領域にありったけの集中線を描き込んでみよう。するとどうだろうか?
白の領域が集中線というラインで潰され、白と黒の明暗差が薄れてしまいなんだか違う印象になってしまのではないだろうか。
また、カグラバチが映画のシーンを強く意識して作画がなされていることも関係しているだろう。実写映画では集中線は存在しない。
そんな集中線が出てこない映画でどのようにシーンの焦点へ鑑賞者の視線を誘導するか?それは明度差を利用した視線誘導である。
映画では原則として最大の明度差がシーンの焦点になるように配置されている。カグラバチではこの方法を使って鑑賞者の視線をシーンの焦点へ巧みに誘導しているのだ。
明度差を利用した視線誘導
これはカグラバチの中で最もよく使われる視線誘導の1つだ。
図4でまず目に飛び込んでくるのは真っ白な四角いシェイプだろう。続いてもう少し目立っているグレーの四角が2つ並んでいるのを見るはずだ。
明度差だけでこのように視線を誘導することができる。そしてその明度差で視線を見せたい場所へ誘導し、強く印象付けることができる。このように明度差だけで見せたい場所を見せることができるなら集中線という存在は不要だ。
次に図5を見ると今度は周りから離れた黒の四角が目にまず飛び込んでくる。このように焦点としたい物や、人物の周りを白い領域で囲むことで明暗のコントラストが高まり、シーンの焦点とすることができる。(図4も同じで白のスペースの周りを黒で囲むことで焦点を生み出している)
コラム:オブジェクトの大小による対比
先ほどの図5は切り離された黒いオブジェクトがよく目立つ。これにはその近くの大きな黒いオブジェクトも関係している。この支配的な形があることによって黒いオブジェクトによるサイズの対比が生まれる。これによってより強く、小さな黒いオブジェクトが印象付けられる。
視えないラインの知覚
次の図6を見てみる。この画像はどう映るだろうか?
だんだんと小さくなる縦線が続いている。この画像から得る線の情報は本当に縦の線だけだろうか。きっと次のようなラインが見えるはずだ。(図7)
これは何も線に限った話ではない。他にもいろいろな例がある。(図8)
また、規則的に配置されたオブジェクトはラインとして知覚される。(図9)
では実際のものを見ながら解説する。こちらは主人公が落ちながら敵と戦うシーンである。このコマで目を引くのは手前の大きな手だろうか?それよりも落ちていく主人公にとても目がいくはずだ。
これは一定のリズムで配置された紙吹雪が、黒い主人公のシルエットに集まるようなラインを形成し、これがほかの漫画でいう集中線のような役割を果たすからである。
わかりづらい場合は図10を参考にするとよい。
もっとわかりやすい例ならその下の折り紙の蝶のシーンだろう。
折り紙が作るラインは蝶へと焦点がいくようにうまく配置されている。ダメ押しは青い線で示した形である。これが蝶に向くような角度で配置されることでよりこの蝶に視線が集まるようになっている。(図10)
シーンのストーリー密度を上げる
集中線を他のもので表現することで得られる恩恵は他にもある。
下のシーンは特にわかりやすい。
このシーンは主人公が飛んでくる刃を妖刀の力ですべて凍らせたシーンだが、刀が集中線の役割を果たし、その先の主人公たちがシーンの焦点となるようになっている。
このように一番見せたい割って入ってくる主人公に焦点を向けつつ、刃が向かってくる様子とそれを凍り付かせ防いでいる様子がこのコマに鑑賞者の視線を迷子にさせずに描写されている。(ついでに敵キャラが驚いているシーンも描かれてある)
普通に集中線を用いて画面を構成しようとすればこうもうまく1コマにこのストーリーを収めることは難しかっただろう。
このように本来なら集中線で表現するスペースを他の物に置き換えることによって、コマの中を広く使い、多くのストーリーを語っているのだ。
もっと深く読むために
どうだっただろうか?「カグラバチ」という作品に落とし込まれた「構図の良さ」を知っていただけただろうか?
ここで書いたことは「構図」からカグラバチを楽しむ要素の一部に過ぎない。カグラバチの「構図」の良さはまだまだたくさんある。またどこかでその良さについて語る機会があればと思う。
できるなら感じるままにストーリーを楽しんだ後は、もう一度今度は視点を変えて読み返してみよう。
このnoteで書かれた「明度」や「視線誘導」などの視点から読めば新たなストーリーの解釈を見つけ出せるかもしれない。
カグラバチはとても素晴らしい作品であり、今後も人気を伸ばしていくだろう。そしてその中でどんどん良い「構図」は生まれていくに違いない。
このnoteを読んだ方がそこに含まれた意味を拾い、解釈し、より作品を楽しめるなら幸いだ。
最後に、是非今後は、「構図」という視点を持ってカグラバチを読んでみてほしい。今までとは違う世界が見えてくるはずだ。