行き過ぎた資本主義が進む「このファッション業界の片隅で」
数十万円から数百万もするハイブランドのバッグや服。
なぜ、そんな高価なものをわざわざ買うのか昔は分からなかった。
所得に余裕のある人が当たり前に手にするそれらは、分かりやすくステータスを誇示するマウントのためのアイテムに見えた。
だけど40代を目前にした今は、「なぜそれを持つのか」がわかる。
初対面の同性と会うとき、チラッとどこのブランドのバッグを持っているのか品定めされているような視線を受けることがあるし、私だって無意識に持ち物から相手を察する機会は増えた。
何を持ち何にこだわるかは、その「こだわり方」含めて相手の背景や価値観に直結する。そして、立場によってそれによる評価も一定数される。
例えば曲がりなりにもファッション業にいる私は「似合うもの」で、「一生使えるくらいのいいもの」を持っているほうが説得力も高くなる。
イメージコンサルティングという業種は長期的な視点で満足度の高い買い物体験を顧客に提供することが目的であり、そのために専門技術を通して「似合う服」を診断しアドバイスする立場にあると思っている。
自分自身もその価値を体現して服や持ち物という非言語で価値観を主張したり相手を読み取ることも仕事の一つだ。
だから、昔と打って変わって今はブランドに価値を感じる。
仕事柄、目が肥えて物の良し悪しが分かるようになったのも大きい。安価な鞄では出せない独特の品や存在感。驚くほど高い強度やデザイン性。ハイブランドには物そのものの価値だけでなく長きにわたりブランドが築き上げた付加価値もある。
ー ハイブランドは「特別」だ。
特別なものを人は手に入れたがるし、特別だから手放す時も新たな引き取り手が見つかる。
だから、サスティナブルが注目される現代で、実はブランドはその貢献性が非常に高いのだ。
長く大切に使われて、リユース(中古売買)が成り立つ。
そして、この逆にあるのがファストファッション。
簡単に手に入り、手放せて、捨てられる。
トレンドの服が安価で手に入る現状は資本主義の暴走だと思う。
「流行り」を作り、業界総出でそれを煽り、「新しい服を毎シーズン"買わなくてはいけない"」気分にさせられる。
友達が着ている今っぽい服が羨ましい。ダサくなりたくない。どことなく感じる焦りから、大して価値も感じないままに安いからと手を伸ばす。
数回着てみて「しっくりこない」
だから、捨てる。
結局のところ、安く手に入れたものは手放す時の執着もない。
流行に踊らされて何となく選択して買った服はその程度のものだ。
大切に着ようとする意思も、長く着られるかという想像もない。
ファッション業界の行き過ぎた資本主義の課題である生産・廃棄に伴う環境負荷をファストファッションはより加速させてしまった。
そもそも私は高校生の頃から、「流行りの押し付け」がとても苦手だった。
流行っている、今キテいる、乗り遅れたらダサい。
そんな言葉を聞くたびに「何で他人が好きなものを、自分まで好きにならなくちゃいけないの?」と呆れて過ごした。
だから、私は服もメイクも興味がなく、男勝りのショートカットでジャージを私服にして剣道に明け暮れる少女時代を過ごしてきた。
そんな私の服に対する考えを180度変えたのは20歳の時に出会った「伝説のアパレル店員」だった。
友達の試着を待っていた私に彼女は突然、試着を勧めた。
剣道の名残でムキムキの筋肉質だった私は突然目の前に現れた「女の子っぽい服」に戸惑った。
断ろうと首を横に振ろうとしたところ「着るのは無料です!お姉さんはこの服が合うと思うんです!!」と畳み掛けられた。
押しの強すぎる姿に圧倒され、私は勧められるまま試着した。
すると、どうだろう
鏡に映った自分が不思議と垢抜けて見えた。
コンプレックスだった肩幅や腰回りはチュニックのシルエットにすっぽり隠れて華奢に見えて、メイクも何もしてないはずの顔が華やいで見えた。
この時、私は知ったのだ。
「服を変えるだけで人の見た目はこんなに大きく変わるんだ」
あまりの感動に12,000円という当時の私には高額だった服をそのまま買った。そして私は気づいた。
「服だけでここまで変わるならメイク覚えて、髪もちゃんとやったら、私もっと綺麗になれるかも」
その夜、妹にメイクの指導を乞い、翌日には横浜No1を名乗る美容室のオーナーを指名して
かくして私は外見を変えた。
世にいうビフォーアフターを2日で実現したのだ。
ー 結果、私の世界は大きく動いた。
当時のバイト先だった居酒屋の飲み会に「新しい私」で参加したところ、バイト仲間から大絶賛の声が沸き起こったのだ。
「どうしたの?何があったの?!別人じゃん」「可愛い!すごくいいね」とみんな口々に褒めてくれた。見た目を褒められるってこんなに嬉しいんだ。変わるってこんなに楽しいんだ!
その快感を知ってから私は美容の世界にのめり込んだ。
ダイエット本を読み漁り、歌舞伎の女形を真似て動作を練習し、メイクを練習した。
毎日こつこつ重ねるうちに私の外見はすっかり変わった。
そして、私はいきすぎた資本主義の戦犯ともいえる「流行り」の世界にまんまと足を踏み入れた。
当時25歳の私は花盛りだった。
華やかなイベントによく声をかけられたし、出会いに困ることも無かった。
好きかどうかより今っぽく見えて可愛いことを優先して服を選んだ。だから服に愛着はなく、買ったけどしっくりこずに着ないまま放置した服が沢山あった。
「モテ・可愛い」を謳歌するために流行りの綺麗めOLファッションで黒目が大きく見えるカラコンをつけて、その歳の毎日を楽しんでいた。
ただ、華やかな場に行くほどに見た目しか評価されない自分の薄っぺらさを自覚して、だんだんと恥ずかしさを覚えるようになった。
20代半ば、大した学歴もコネも家柄もなくバイタリティだけで起業を目指したのは、ただ外見だけを着飾って空っぽな中身に蓋をして生きるより、自分の信念や熱情のままに挑戦する人生を生きたいと思ったことがきっかけだった。
紆余曲折、色々あり小さな挫折も経験した結果、私は地に足をつけた私のままに最大限にできる形で起業しようと決意した。
そこで生まれたのが自分の経験を活かしたスタイリストとメイクによるビフォーアフターサービス『シンデレラプランニング』だった。
最初はmixiでスタイリスト、メイクを集めて、ブログの読者さんを相手にレンタルスペースで起業した。
起業の「き」の字も知らない小娘が資本金5万で立ち上げた小さな会社『りぷらす』は人生(Life)に+(Plus)を提供したい。カタカナや英字より、ひらがなで子供でも読める簡単な表記にして「優しい会社でありたい」という願いを込めた。
そんな風に始めたけれど、最初の頃は閑古鳥が鳴いた。
手作り丸出しのサービスで生計を立てることは困難を極め、知人のAirbndbの掃除バイトや短期アルバイトなど繰り返し、実家に戻る交通費すら出し渋って漫画喫茶を寝床にする日々を過ごした。
それでも「こんなサービスがほしかった」と喜んで利用くださるお客様が少なからずいてくれて、一緒にやりたいと言ってくれる仲間がいたから続けてきた。
シンデレラプランニングは今でこそ月間250名ほど来店があり、全国から飛行機や新幹線ではるばるお越しになるお客様もいるサービスになったけれど、最初は試行錯誤だった。
そもそも、立ち上げ時期の私は「流行りの服をスタイリストが選んで提案すればきっとみんな綺麗になれる」と思っていた。けれど実際に運営して分かったのは、流行りの服を選ぶほど「個性」はなくなり、お客様は一旦のオシャレ着にテンションを上げても、『その後』で選ぶ服に体験前との変化が生まれないという事実だった。
そんなとき、私自身も男友達から会話の流れで「お前って頑張って可愛く見せてるけど中身がよくわからない。人形みたいで違和感がある」と指摘を受けた。
それまで流行りの可愛いを装えば良いと思っていた私には衝撃的な言葉だったけれど、言われている言葉の「意味」はわかる気がした。
外見ばかり世の中の流行りに寄せているだけで、中身の魅力がよく分からない。
「似合う」「垢抜ける」とは一体なんなのだろうかという根本的な問いが目の前に現れ、大きな壁のように思えた。
そんなとき出会ったのが【88診断】だった。
高度経済成長期に色彩学の権威が7万人の統計から生み出した『嗜好感性価値観座標軸』を現代でも合うようにスタイリスト、メイクと改良した技術が【88診断】
簡単に言えば『人』に対して似合う色(配色)、形、柄、素材の総合的なバランスを診断して再現できる技術だ。
私自身、それまでは流行りのCancamスタイルでいたが、88診断を通して「ワイルド」「エレガントゴージャス」という"忍耐強く、目標の実現に向けてまっすぐな性質" "華やかなものを好み美容が好き"という指摘と、「似合う服」を可視化されて膝を叩いた。
面白いことに「似合う服」は外見と内面の調和でこそ見つかるのだ。
その人の個性、持ちうる魅力が外見で伝わるとき、心惹かれる独特な引力が生まれる。
しかも「似合う」は個性美で色んな形がある。
私のような「強く逞しいこと」も美しさなのだ。(ワイルドなら生命力の強さから生まれる美、というイメージ)
そしてこの技術を採用してからシンデレラプランニングは本当の意味でお客様の「似合う」を再現できるサービスに生まれ変わった。
88診断を受けたお客様が口々に言うのは
「流行が似合わなくて服を選ぶのが億劫だった」「着てみたい方向性の服に憧れても、周りに合わせなくちゃいけない気がしてチャレンジできなかった」「買ってはしっくりこなくて捨てるのが嫌で服が苦手だった」
それが180度変わって、
「今は服を選ぶことも着ることも大好きになった!!」「服を捨てなくなった」「世間的な美人と私が違ったとしても十分に魅力的で綺麗だと今は胸を張れる」
そんな言葉を熱っぽい目でお客様に言っていただく時の感動は文章で伝えきれないほどだ。
私は経験から知っている。
新しい服を「探すこと、試すこと」は本来楽しいことで、たった1着の服との出会いが人生を変えるほどの大きな感動を生む。
自分の可能性を知り、自信を生み、背中を押す力がファッションにはある。
そうやって似合う服を知ることで、目の前の服の価値が大きく変わるし、仮にそれが高い服であっても「長く着られる」という確信を持って選び手にした服は、手放されずに大切に着られるのだ。
これはある意味、その人にとってハイブランドと同等、いやそれ以上の価値を持つ存在になりうると思う。
昭和の時代に大量生産・大量消費が生まれて「流行り」を生み出し、商品が生産され、売れ残った商品は人の手に渡ることすらなく廃棄される終わりのない悪夢が繰り返されている。
ファッション業界の中でサスティナブルな取り組みを色々な団体が取り組んでいるが、環境負荷の少ない生地は生んでも「着られない服の廃棄をなくす」という視点はなかなか出逢えない。
必要なのは一人一人が目の前の服を長く愛するサイクルなのではないか。
そのための1つの手段として「似合うを知る」が貢献できるのではないか。
流行を生んで「買わせる」のでなく、似合う姿を再現することで「納得して買ってもらう」確率を上げることが出来るのではないか。
生産や廃棄のコストを抑え、喜ばれながら市場を活性化させる。
価格競争で安く安くでなく、顧客にとって価値のあるものとして服が正当に大切にしてもらえる仕組み、サイクルをファッション業界に根付かせたい。
サロン経営をして11年。
これまで沢山のお客様の背中を押してきた私には野望がある。
ファッション業界から資本主義を正常化したい。
もっと大きな欲を出せば、この日本の市場を
「商品」中心でなく「人」中心に変えたい。
サロン経営だけでは壮大な野望を果たせないので11年のサロン運営から生まれた診断実績9千件と元々扱ってきた7万人の統計を基に「似合う服を診断して再現できるAI」 AI88system を開発して特許を得た。
来年リリースするwebサービスは服の消耗や試着の労力(身体的な負担や時間のコスト)をなくして、「似合う服」を見つけたり、買った後で「似合わなかった」というミスマッチを未然に防ぐ。
そして従来、ネットでは不可能だったセレンディピティ(思いがけない商品との出会い)を実現できる唯一無二の存在となる。
「似合う服を診断すること」「着た姿を可視化すること」は11年前に創業してからずっと軸ブレせず、変わることはない。
ただ、その手段が人だけだったところから、人とAIの両方になる成長のフェーズになる。
これによってより多くの人にこの価値を広げることができると確信している。
私はファッション業界の中心にいない。
有名スタイリストやデザイナーでないし、パリコレにも呼ばれない。
スタートラインは「服の苦手な女の子」であり、途中過程は「流行りに翻弄された女性」であり、今現在はそれらの経験をバネにした「11年試行錯誤しながら積み重ねた起業家」である。この11年を長いとするか、まだまだとするかは価値観によるが、いずれにせよファッション業界でいえば片隅にいる存在だ。
それでも、恐れず横に並ばず私の視点で、声を大にしてずっと叫んできた。
私は変えたい。
流行りの服を見てため息をつき「私は可愛くないから似合わないのだ」と苦しむ子たちをなくしたい。
たまたま流行りの服が似合わないだけで、あなたに似合う服は別のテイストでちゃんと存在する。
着られることなく燃やされていく服を、その服と出会えることで幸せになれる人たちが見つけられるようにしたい。
ファッション業界に難をつけたいわけではない、流行そのものが悪いわけでもない。
ただ、行きすぎた資本主義が見直されて、人にも環境にも優しく社会全体の幸福度を底上げできる業界になってほしいと切に願う。
何度も書くが、ファッションにはそういう力があるのだから。
私は私のできうる限りの力を使って、この業界の資本主義の在り方を変えるために叫び、そしてここから新しくAIという名の武器を持って風穴を開けたい。
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この記事は「資本主義のアップデートについて考えるアドベントカレンダー」への寄稿です。
https://adventar.org/calendars/9132
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