ヨエル書の警告を聞け。
ヨハネの黙示録9章にはいなごに襲われる人間が出てくるんだけど、
ヨエル書にでてくるいなごも気になる存在だ。
いろんな種類のいなごが徹底的に農作物を食い尽くしている様子が描かれている。
農作物が人間のたとえなのだとしたら、
人間に悪霊たちが群がっている様子が思い浮かぶ。
ターゲットにされている人間は酒に酔っ払ってるようだ。
何の酒かっていうと、黙示録に出てくるなんだか知らないうちに飲まされてる酒のことかもしれない。
「怒りの」「姦淫の」と表現されるぶどう酒は、神様からきたものではない。
わかる人にしかわからないかもしれないが、
例えば、アレを打ってオープンドアしちゃって悪霊の棲家になっちゃってたり
科学や占い、偽預言者、反キリスト等、神様からきた以外の事に頼って悪霊に惑わされ物事がまともに考えられてない人たちのことを指しているように思える。
酒に酔っ払ってる人が何を言ってるのかわからないように
天からみたら私たちは泥酔して見えているのだろう。
地球環境のためにコオロギを食べようとしてる人。
コロナワクチンを救世主だと思い込み、7回接種に疑問を持たない人。
サタン側の偽の情報に踊らされてる人。
聖書にある世界観ではなく、科学技術による進歩により実は球体の地球が自転公転していたのだ、なんてことを信じてる人。
神ではなく人間に頼ってしまい、聖霊ではなく偽りの霊を入れられてしまった人。
イスラエルが大変な時に、しるしがはっきり出ているのにも関わらず、スルーして何も語らない牧者たち。(一方でYOUTUBE等でイスラエル情報を発信してくれる牧師さんもたくさんいる。心から敬意を示す)
他にもまだまだあるだろうけど、私自身だって何かしら当てはまることだ。
天から見たら酔っ払ってるようにしか見えないだろう。
いなごに農作物を食べられてしまったので、嘆き悲しむ人たちが出てくる。
収穫がなく誰も耕さないので畑が荒れ果てている。
大麦も小麦もダメになって収穫物がないことを嘆いている描写。
新しい酒は尽きて油も耐える。
このワードでピンとくるのはやはり黙示録のこの聖句↓。
1デナリというのは何時から働いても同じ給料だったというイエス様のたとえ話(マタイ20:1-16)を思い出す。
つまり、この黙示録6章の聖句は食物の飢饉のことには違いないんだけど、
別の意味も含んでいて実は人間の収穫に対する警告なのではないかと感じました。
神様目線から見たら、天国入りできる人間を探している訳なので
オリブ油やぶどう酒にたとえられる聖霊を絶やさないように気をつけなさいってことなのかなと思った。
だから、いなごに食べられちゃった自分はもうダメなのかな・・・と思っても
そんなことはない。希望の言葉は2章に出てきます。
今からでも間に合う。
本当にありがたい言葉。
クリスチャン歴が長い人が天国へ行くのではなく、
たとえ終わりの時と言われる今この瞬間に立ち返ってたとしも
神様は受け入れてくれるのだ。
だから今、この瞬間からでも聖書を読んで、本物の力ある神様のことを知ろう。
ヨエル書には終わりの雨が降ってくるという預言がある。
いなごはいなくなり、穀物、新しい酒、油がやってくる希望の言葉が記される。
シオンでラッパを吹き鳴らせ。
立ち返るのは今しかない。
なぜなら