悪魔との対話
アダムとイブが善悪を知る木の実を食べなければ、
今頃世界はどうなっていたのだろう。
みんな神様と一緒に楽しく暮らしていたのだろうか。
でも結局、すでに意地悪な蛇が存在していたのだから、
遅かれ早かれ、私が蛇にやられていたことだろう。
だって、私は一時期スピリチュアルにハマってたから。
私が少々スピったのは
ニール・ドナルド・ウォルシュの「神との対話」という本を読んだせいだ。
この本の著者もクリスチャンを自称していたので
聖書を読んだことのない人は、この著者が「神」と呼んでいる存在を、
聖書の神だと思わされるのだ。
しかも、この本は、妙に納得できることも書かれていた。
例えば、猫にも気持ちがあるとか。
(他にもあったが、なにせこの本の記憶をドブに捨てたので忘れてしまった)
人は納得ができる情報があると、全体を信用してしまうものだ。
一方で、聖書の言葉に反するような教えがたくさん散りばめてあった。
地獄は存在しない、全員天国へ行くからヒトラーは天国にいる、とか
魂は経験をしたがってるから被害者という経験を望んでいる人がいる、とか
すべてのことは自分の思考が引き寄せている、輪廻はある、などなど。
当時、聖書の知識がなかったアホな私は、
「なーんだ。地獄ないのか。それなら好きなことをしよう💡」
なんて開放感に浸り、自分の善悪を根拠に思う存分好きなことをした。
結果、神への反逆者そのものだった。
ある時、この著者であるニール・ドナルド・ウォルシュが初来日するという案内があったのでそれに応募し、その集会に顔を出そうと会場へ出向いた。
場所は、日比谷公園のあたりの会館だったような記憶がある。
とても楽しみにしていたのに、会場のドアを開け中に入った瞬間、
周囲の異様な雰囲気に全身鳥肌がたち「キモー!!」となって、
会場に入ることすらできなかった。
それでも、せっかく応募したのだからと、
思い直して会場に入ろうとするも、どうしても中に入れない。
中では「ブラボー!!」なんて歓喜して盛り上がってる風景が見えたものの、
本人を目にすることなく会場を跡にした。
この感覚は今にして思えば、神様による守りだったんだと思っている。
というのも、この本では、イエスキリストのことを宇宙人だと言っているのだ。
聖書では、イエスキリストが肉体をとってきたことを告白しない霊は
反キリストの霊だと教えている。
さらに、最悪な事に、この本の全体的なメッセージは、
「あなたは神のようになれる」というものだ。
創世記の蛇の言ってることと一緒。
つまりは「悪魔との対話」だったのだ。
私は、この「神との対話」の本にすっかり騙されていた。
危ないところだった。
しかしながら、この悪魔からの情報は役にたつこともあった。
それは、サタンがどのようにして人を騙すのかの
手口を知ることができたからだ。
スピ系の情報は、いつも陰謀論とセットである。
本当の情報の中に少しの嘘を混ぜるのは、いつの時もあちら側の常套手段だ。
だから、サタン側の漏らす情報には実は本物が含まれているものだ。
陰謀論と言われていたことが表面化している今となっては、
アホらしい陰謀論をわざと流しているように思うけど
2000年初頭あたりは情報が少なかっただけに質もよかったのだ。
この時に身についた臭覚は、コロナ禍においておおいに役に立ったものだ。
聖書の知識を知ることができると
その情報の上澄みだけをうまく抽出していけるようになる。
だからこそ、コロナ禍において、
これまでスピに走ってたけどイエスキリストを信じるようになった
という人がかなり多く出現していたのは、
神様の計画だったのではないかなと思わされる。
全てとは言わないが逆にスピを通ってない純粋なクリスチャンの方は、
サタンの偽情報に惑わされやすいなってtwitter(X)見ていて感じたりしていた。
それは、サタンの奥深さを知らないからだ。
「神は本当にそう言われたのですか?」を問われたら
速攻で答えられるようにしておく必要がある。
サタンは聖書に手が出せない代わりに、教理を変更したり、文脈を切り貼りして変えたり、偽教師による独自の本やブログによって聖書と違うことを言って引き離して騙したりする。
我々は善悪を知る木の実を食べてしまった人間だからこそ、
自分で善悪の判断するよりも、イエス様の声(聖書)を聞き分けて着いていけるように、日々聖書と触れることが大事だと痛感するのだ。