『東京格差ー浮かぶ街・沈む街』『未来の地図帳ー人口減少日本で各地に起きること』
将来どこに住もうか、と考えたことはありますか?
私は究極的にはマルチハビテーションに憧れています。本来の意味でのノマド生活。カフェを転々とするノマドライフではなく。
しかし自分がある程度の年齢になってみて思うのです。果たして20年後、私の肉体と精神は「移動」に耐えられるのだろうか?と。
「20年後」としたのには理由があります。
まず、家族の状況がある程度落ち着いているであろうこと。もし私の親が長生きしていたら老老介護になる可能性もゼロではありませんが(それを望まないというわけではありません)、それも含めて先が見えてくるのが20年後ではないかと思うのです。子供の進学のことだけならば、ある程度の方向性は10年もあれば絞れてくると思うのですが。
もうひとつは、自分自身の老い方が見えてくるであろうこと。周囲を見ていても、そのくらいの年代が「いつまでも元気」な人とそうでない人の分水嶺のように感じます。実際の分水嶺はもっと早い段階で何度も訪れているのでしょうが、それがはっきりと現実の生活に支障を来すレベルで現れてくるといえばよいでしょうか。可視化されるというか。もちろん人体はそんなに単純化できるものではありませんから、この点については考えるだけムダという気はしています。
さて、自分はマルチハビテーションが難しそうだ、となれば定住しなければいけません。賃貸マンションで暮らしている私は、持ち家という財産はなくても「どこに住んでもよい」という自由を手にしています。今この瞬間は通勤時間や子供の通学などといった外的要因によって住む場所に制限が加えられていますが、20年後ならもうどこに住んでもよいはずです。おそらくまだ仕事はしているでしょうが、そこまでシビアに通勤時間を削る必要はなくなってくるでしょう。もしかしたら通勤という行動自体がなくなっているかもしれません。そうなれば、もはや「通勤圏に住む」「そこから居住地を決める」こと自体がなくなりますから、住みたい街の候補地は大きく広がることになります。
前置きがとても長くなりました。私がこの2冊を読もうと思ったのは、「将来、自分はどこに住もうか?」と頭に浮かんだからです。さすがに20年後に住む場所を今決めるつもりは毛頭ありませんが、考えてみるのは楽しいことです。妄想大好きですからね。なにせ私は生まれも育ちも今住んでいる自治体ですから、川向こうの街に住むのでさえ大きな変化なのです。
そのようにしてこの2冊を読み始め、愕然としました。『未来の地図帳』については、既読の「未来シリーズ」である『未来の年表』『未来の年表2』で心の準備はできていたつもりですが、どこに住むも何も「そもそも『住める=自治体として成り立つ』場所がどんどん減っていく」のです。転入超過でそれほど問題は大きくないように見える東京でさえ、『東京格差』のサブタイトルのように「浮かぶ街」と「沈む街」に二極化するという事実があります。文中に出てくる「軍艦島マンション」という単語には言い得て妙だと膝を打つ思いでした。
しかし、ここでは具体的な地名は挙げませんが、硬直化した住み方・暮らし方に新しい風を吹き込む取り組みが起きている街が多くあることがこの書籍には示されているのです。「東京(の人)は冷たい」というステレオタイプの思い込みは、新しいまちづくりやコミュニティ参画によって「ところにより」過去のものとなりつつあることがわかりました。その流れが加速し、災害に強くなりさえすれば、今すでにある文化・芸術の充実と相まって東京はとても魅力的な居住地になるのではないでしょうか。
東京、とひとことで言っても青ヶ島から丸の内までありますが、これらの本を読んでみて「都心に30分〜40分以内で出られる」「面白いことをしている」街に住みたいとある程度妄想の方向性が定まりました。通勤圏に縛られなくてもよい、と言いながら矛盾しているようですが、やはり自分の趣味である美術鑑賞のことを考えると気軽に都心に出られるところに住みたいと再確認したわけです。あとは最初に挙げた「20年後」にどの街がそうなっているか、そればかりはその時が来てみないとわかりません。
将来のことというのは基本的に考えれば考えるほど暗く重い気持ちになっていくことが多いのですが、今回は悪くない読後感と明るい展望を得ることができました。行政やどこかの誰かに頼りっきりになるのではなく、私たち一人一人が街を良くしていけるのだと当事者意識が強まったことも収穫です。書籍は読んだだけで終えるのではなく、行動に移してこそですからね。生きることを楽しみましょう。