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世田谷美術館「アイノとアルヴァ 二人のアアルト」

アアルトという建築家を、私はあまりよく知らなかった。北欧の人、有名なオシャレな家具の人、そのくらい。
この展覧会では、そのアアルトと妻の協働が大きなテーマになっている。2人はパートナーとして様々な仕事にあたったのだ、と。さて「パートナー」とはどういうことか。

日本国語大辞典によると、パートナーとは
①ダンス、スポーツなどで2人1組になる時の相手。
②配偶者。
③仕事を共同でする相手。相棒。
とある。これに則れば妻のアイノ・アアルトと夫のアルヴァ・アアルトは、②であり③でもあったことになる。だが、「アアルト」と言った場合、多くは夫の方を指すだろう。それならば妻は、その影に隠れ、下働きに明け暮れた「縁の下の力持ち」としてのパートナーだったのだろうか。

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実際に展覧会を見ていくと、アイノは決して影に隠れた存在ではないことがわかる。しかし、彼女は事務所の財務の管理や、家庭内の仕事の管理の責任を負っていた「縁の下の力持ち」でもあったということも、同時にわかっていく。またいくつかの展示物は、添えられた説明文にはアイノの名前を掲げながら、その図面などに入っているサインはアルヴァのものなのである。これはどういうことなのだろう。

現代日本で、共働きをしている母親から聞かれる言葉として「子供のことをしているのは私なのに、書類の保護者欄に書くのは夫の名前」「夫は仕事だけしていればいいけど、私は家のことも全部やっている」というものがある。これに似たものなのかもしれない。実際のアアルト夫妻のありようはもちろんわからないが、展覧会で提示されている事実を見ると、いかに男女同権がうたわれていたとしても表舞台に立っていくのは男性なのだな、と感じざるを得ない。

ただ、アイノは自分でも様々な作品をデザイン、製作している。例えば、子供用の家具。フィンランドの幼稚園で実際に用いられたそうだ。その点で、先に述べたように彼女は決して影に隠れた存在ではない。

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アルヴァと文字通り協働したプロジェクトもあり、確かに彼女はアルヴァにとっては重要なパートナーだったのだろう。
また、2人のパートナーシップが強固なものであることが伺えるのが、目指す理想や理念が共通していることだ。同じものを追い求める相手が、公私ともに側にいる。これは両人にとって心強く、助けになるものだったはずだ。
冒頭で辞書の引用をしたが、「②配偶者」という「パートナー」でありながら、理想や理念を共有できていない夫婦も多いように感じる。そのことを考えると、アイノとアルヴァは(微妙な引っ掛かりを感じる部分は残るが)、得難いパートナーと人生を共にすることができた幸福な事例なのだろうと思った。

翻って、と自分の胸に手を当てて「パートナー」のことを考えてみる。私は既婚だが、そして配偶者は辞書の通りに捉えれば確かにパートナーだが、本当に私たちはパートナーなのだろうか?

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会場の最後、出口までの間の長い廊下に椅子やスツールが並べられていた。警備員さんが通りかかり「こちら、ご自由にお座りいただけますので」と声をかけてくれたので、一脚選んで腰を下ろしてみた。すっと柔らかく体重を受け止めてくれて、心がほぐれる。でも、ソファやマイクロビーズのクッションのような、どこまでも沈み込んでいくような不安定さはない。安心感と頼りがいのある存在、そんな、この椅子のようなパートナーを得たいものだし、私自身も相手にとってそういう存在でありたいものだと思いながら会場を後にした。

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