【ピリカ文庫】夜空【ショートショート】
「ねえ、今日の夜空はどんな味がすると思う?」
嫌なことがあった日、お母さんは夜の散歩に連れて行ってくれる。そして、こんなことをいつも聞く。僕は空を眺めながら一生懸命考える。そうしているうちに嫌な気持ちはどこかに溶けて、今日の夜空の味だけが僕の中に広がるんだ。
「今日はね、甘い甘いチョコレート味で、イチゴの味もする。ほら、チカチカ赤い光が動いてる!」
「今日はね、雲が多いからミルクチョコレート!」
「いつもチョコレート味なのね。じゃあ、帰りに買って帰ろうか」
お母さんは笑いながら僕の手をギュッと握って歩き出す。チョコレートを買ってもらえるのが嬉しくて、いつもチョコレート味の夜空にしてしまうのをお母さんは気付いていたのかな。
コンビニで夜空の味を探すのはワクワクした。ない時はちょっとガッカリしてしまうのだけど......。
「今日はね、お月様がまんまるで大きいから、オレンジのチョコレート!」
そう言ってから、コンビニにオレンジのチョコレートはなかったかも......と思い、しょんぼりした。
「最近できたケーキ屋さんにチョコレートもあるんだって。行ってみる?」
思いがけない提案に僕は飛び跳ねた。
「ケーキ屋さん? チョコレートもたくさんあるの? 行ってみたい! 行ってみたい!」
「よし、行ってみよう」
チョコレートを探す冒険だ。あるかな。オレンジのチョコレートあるかな。
そのケーキ屋さんは公園から少し歩いたところにあった。暗い夜道の中でキラキラ輝いていて、まるで宝箱みたい。お母さんと僕は顔を見合わせて、早足で向かう。
ショーケースの中はほとんど空っぽだった。僕は泣きそうになり、お母さんの上着の端を握りしめる。
「オレンジのチョコレートありますか?」
聞いたってムダなのに。もう何にもないのに。
「オランジェットならありますよ。少々お待ちください」
奥から戻ってきた店員さんが出してくれたのはオレンジのチョコレートだった! お月様のチョコレート!
店を出た僕とお母さんは、公園のベンチに座って包みを開けた。さわかなオレンジと、とろけるチョコレートの甘い香りが僕たちを包む。
「今日の夜空は、特別美味しいね」
お母さんも僕も、とっても幸せな気持ちで夜空をかじったんだ。
そして僕は今、『夜空』という名前のチョコレート屋をやっている。嫌な気持ちでいっぱいになっている人が、幸せな気持ちで夜空を見上げられるように。
「今夜はきれいな満月ですね。こちらのオランジェットがぴったりですよ」