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わたしの犬猫遍歴

夫や子供が保護して連れ帰ってきた犬や猫を育てることになって、
「拾ってきたものは仕方ない、それは良いけどお世話は誰がやるのよ」
結局わたしじゃない。みたいに妻、母が呆れつつ世話を甲斐甲斐しくしていったり。
気づいたらお世話してくれる人だいすきっ子に成長しているというパターンがあるあるだと思っていた。

両親は昔は共働きみたいなもので、父が運営している運送会社を手伝う形で母も4トントラックを乗り回す日々だった。
彼女が現役のときは犬を数匹飼っていて、共働きの親の代わり子供たちが主に世話をする。学校帰りに散歩に行ったりごはんをあげたり。

だから犬は子供たちと仲が良かったなと思う。

ちなみに当時わたしの田舎では捨て犬が酷く多かった。実家のワンコたちも拾ってきた子や、何らかの事情で育てられない……みたいに頼まれて引き取った保護犬だった。

玄関横かつ和室の窓の外にひとつ、台所の勝手口横にふたつ。計3箇所に父が手掛けたドッグハウスがあった。昔の田舎ならではの、外飼いの光景だったと思う。周辺の家々もガレージや庭先に小屋を置いていて、嵐の日や体調が優れないときは玄関に入れてあげて。

子どもたちがある程度成長してからトラックを降りて専業主婦になった母。ワンコたちは順番に虹の橋を渡っていく。
そうして最後は勝手口のところの広い小屋に白い中型のミックス犬がひとり。玄関先はひどく静かで寂しかった。
目の前の空き地は駐車場になって、周りには新しい家が建つ。白ワンコのお散歩は草原を駆け回る時代からアスファルトをわふわふ歩くものに変わったけれど、彼はそれでもわたしたちに歩を合わせてくれて楽しそうだったな。

父親が自身の事務所の前に捨てられてた猫を連れ帰ってきた。
みーみー鳴くオスの黒猫。
わたしはワンコに囲まれて育った身なので猫は新鮮味があった。小さくてかわいかった。
「また拾ってきたの、次は猫なの」怒気も含めて呆れる母。でもそれは「なんで拾ってなんかきたの」の意ではなく、「結局わたしが世話するんでしょう」の含みだ。

「ジジ」と名付けたのはわたし。我が家に来たことを後悔させない。もう独りにさせないからね。

首輪にリードをつけて庭とか白ワンコのところまで散歩させることもあった。どちらかと言うと身体の大きいワンコのほうが猫にびびっていたような気がするけれど、よくガレージで一緒に日向ぼっこしていたり。
芸術肌の妹がこのふたりの絵を大きな帆布に描いていて、今でもかつての子供部屋に飾られている。

母いわく「ジジは懐いてくれない」みたいに言っていたけど、十分彼女に甘えていたと思う。家族みんなに優しかったけれど。成長して帰りが遅くなる子どもたちに代わって一番長く一緒に過ごしたのはやっぱり母だったから。

時が過ぎていって、白ワンコが空に上る。
ついに役目を終えたドッグハウスは父の手によって取り壊される。ぽっかり空いたスペースはスッキリしたけど悲しかった。


成人してわたしがまだ実家から働きに出ていた頃、黒猫もワンコたちが遊ぶ雲の上の草原に駆け出していってしまった。
都合よく人の布団に入っては出て、白ワンコがいなくなったあとは陽当りの良い2階のホビースペースの出窓で日向ぼっこをして、
艶のあった黒の毛並みが茶色っぽく日焼けして。

可愛かっただいすきな初代猫。細かく言うとわたしが生まれる前にも猫を飼っていたらしいけれど、しっかり子猫から老猫として眠りにつくまで子どもたちが見届けたのはこの子が初めてだった。
いちばん悲しんでいたのはたぶん母だった。それはそうだ。母は昔から声がでかいし男勝りな人柄だし、懐かないなんて文句も言っていたけれど。
彼女が人一倍愛情深い人間だということは家族がいちばん知っている。

形見として瓶の中に入れている彼の首輪には黒い毛が付いているままだ。
母は時々「今階段の上から鈴の音聞こえたよね、ジジが来たかな」って。鼻の奥がしみるのを耐える。
わたしも聞こえたことがあるよ、お母さん。



テトが父の手によって連れられてきたのは、我が家に犬猫がいなくなってからしばらくしてだった。
犬小屋があった場所には花を植えたり人工芝を並べたり、父の庭弄りで様子がだいぶ変わっている。

……雨の日だ。夜、仕事から帰ってきたら、リビングに段ボール箱があって、中に4匹だったと思う。目も開けられないくらいの小さな猫たちがか細い声で鳴きながらよたよたしているのだ。

「なにこれ?」
「お父さんがまた持ち帰ってきたの!」
母の声は、世話するのはどうせわたしだという諦めの気持ちと、捨てられていた状況への怒りを混ぜたものだった。

強い雨が降ったこの日、父が出勤すると事務所前に置かれていた段ボール。雨を含んでぐしゃぐしゃな箱の中に父の手のひらより小さな猫たちが震えている。
当然自分たちの力では箱から出られない。

わたしも聞きながら憤ったあの激しい気持ちは、記憶障害を起こした後でもテトを見るたびに脳裏にちらつく。
大きさ的に産まれて間もないと思っていたのに、獣医によると乳歯がしっかり生えていて生後6週間は過ぎているとか。なのにこの小ささはつまり、餌をろくに与えられず栄養失調の日々を過ごした結果だろうという。

そしてあろうことか雨の日に捨てたのだ。

心の通った人間のやることではない。父は崩れそうな箱から濡れていない適当な箱に入れ替え、ごつごつの手で優しく濡れた身体を拭いて一緒に帰ってきたんだろう。
それを初めて家で迎えた母の気持ちはどんなだっただろう。

ひとりは力が尽きてしまった。
言い方は過激だけれど、わたしは虐待からの殺しだと思っている。
他の兄弟は無事に譲渡先をみつけて、残ったのがテトだった。
感染症の影響で片目は見えない隻眼の男の子。耳が大きく足が長く、拾ったあとは毎日甲斐甲斐しく世話をした母のおかげで元気になったテト。
名前はもちろんわたしが付けた。「てっちゃん」「テテ」「てっくん」いろんな呼び方で育てられた猫。

ワンコのときと違って、各々成長してぽつぽつと自立していく子どもたちより、いつも尽くしてくれる母にベッタベタなテト。片目なので最初は歩き方もバランスを崩しがちで、けれど本人はそんなこと気にせずにびょこぴょこ走り回る。かわいいかった。

小さい頃から母の胸の上に乗せて寝ていたから、立派な大人に成長した彼の寝床は未だに同じだ。
母はいい加減苦しくて寝付けないって言うけれど、結局ははちゃめちゃに溺愛してしまっている。ちょっと嬉しそうだし。
「子供4人がみんな家から出てってもテトがいるからいいもーん」みたいに言う。

実際にわたしたちが家を出て行ってからも、彼女にはテトという名前の息子がいるのだ。
拾ったのは父だけれど母ばかりに甘えるから、父はふてくされている。まあそうなるよね。

独身最後辺り、わたしが久しぶりに実家に帰ったら父が
「そういえば猫増えたから」みたいにさらっと言う。ごはんを食べているときに。
この前の旅行のお土産あるから、と同じテンションで告げる。なんだこのひと。
慌てて2階の寝室に行くと、折りたたみサークルの中に大人しくちょこんと香箱座りをしているハチワレがいた。本当に増えていた。

「また事務所に捨てられてたの?」
「事務所じゃなくて別場所の工場に居着いてた猫なんだけど、もうおばあちゃんでヨタヨタで、トラックやリフトが動くところで危ないし」ってことで持ち帰ってきたそう。
とても人懐こくて、初めて会うわたしにもなでさせてくれて、嬉しそうにかすれた声で鳴くのだ。

大人しくてかわいい。
後日、結婚の挨拶に実家に行ったとき、夫になるなおさんはおばあちゃん猫を見て
「実家にいた子にそっくり」
って思わずスマートフォンを構えながら、とても懐かしそうにしていた。 

猫はかわいい。犬ももちろんかわいい。
でもそんなこんなで、だいたい世話を毎日してくれるひとに懐く。ごはんくれるし、長い時間一緒にいるし。
少なくともわたしの中ではそうなる可能性が高いという認識だった。

どうやらそれは常に該当するわけではないようで。

うちのまるのことだ。
嫌われてはいない。それはわかる。でも遊ぼうとしても、なんだかちょっとつまらなさそうにごろんと寝そべってしまうのだ。
甘えているのかな、なでなでタイムかな?と思っても違うらしい。

「だって母ちゃん遊び方下手なんやもん」
じとりと冷めた目でわたしを一瞥して、この息子は自分の毛づくろいをはじめる。
自覚はある。わたしはおもちゃさばきが下手くそだ。
もちろんご飯をあげるときは、わたしの体中が毛まみれになるくらいすりついてきて甘えるんだけれど。
彼的には「母ちゃんは遊びが下手な世話係」なんだろうか。

なおさんはほぼ家にいない。
詳しい内容は控えるけれど、朝は気だるそうに家を出て、深夜帯に帰ってくるのがよくあるパターン。そうなってしまう責任ある役職だから、と。元々同じ会社の部下だったわたしは理解しないといけない。

さて、そんな彼が不在中の猫は。

昼間や夕方、なおさんが帰ってくるのを待つ夜とか。わたしは家事やら炊事やらをあらかた済ませて、休息がてら寝室でこの子とくつろぐ。
おもちゃも駆使するけれど、やっぱりすぐに飽きられてしまう。なおさんのテクニックに、まるはもうゾッコンなのだ。

それから、くつろぐ場所がいつもいつもなおさんの布団の上という。わたしが自身の布団にいようが夫の布団にいようが、まるで意志を持ったように彼は夫のテリトリーから離れない。

夫の枕カバーにスリスリしてじゃれる。夏用に買った接触冷感の薄い生地は息子の爪と歯によってバリバリに破れほつれている。
わたしの枕は無傷だ。なんだか「そっちに用はない」と言われているよう。
わたしが寝室にいないときも、こっそり忍び足で部屋を覗きに行くと、やっぱりなおさんのスペースでリラックスしている猫とばっちり目が合う。

「来るのばれてんで、母ちゃん」
「ばれてたかぁ。まるは耳がいいね」
「父ちゃんまだ帰ってこぉへんの?」
あらもう、眼の前にわたしがいるのに父のことを訊いてくるなんて。
「まだまだやで、お月さんが出て高いとこまでのぼった頃やね」
「ふーん」
「母ちゃんと遊ぼか」
「いい。母ちゃんとのゲームは攻略済みやからね」
そしてまた夫の布団にぽふりと頭を沈めるのだ。

寝具のファブリックは毎日ミストをかけるし頻繁に洗ったり、たまにわたしと夫の布団の位置を入れ替えても、まるは迷わず父のほうを選ぶ。
たぶんなおさんのにおいがすきで、なおさんのことがだいすきなんだ。

だが息子。それは母も同じだ。

夫が帰ってくる気配がすると急にそわそわする猫。いつも何時に最寄り駅着かを連絡してくれるので、帰宅する時間に合わせて廊下に続く扉を閉める。玄関が開いたときに誤ってまるが飛び出さないように。
むくりと起き上がり、扉前でおすわりしながらめちゃくちゃ嬉しそうに尻尾を振る。
犬みたいに興奮しながら尻尾をブンブン振るのはブリティッシュショートヘアの特徴のひとつらしい。

ただし、王道なツンデレという見事に猫らしい性格もセットである。
愛しのなおさんがリビングに入ってくるタイミングで、喜びを表情に出さないように彼の横をスン、て感じで通り過ぎる。
「あらごきげんよう、帰ったのね」みたいな。
なおさんは毎回そのやり取りを愉しんでいた。

そしてなおさんは疲れていても、わたしが食卓にごはんを並べ終わるまで、リビングのソファか寝室で猫と遊んでくれるのだ。
まるは隙あらばキッチンに登ろうとしたり、米袋が入ったコンテナの上を陣取ったり。猫ハラというものはかわいいけれど、調理中は危なっかしい。
だから別の場所へおもちゃと一緒に息子を連れて行ってくれるのはすごくありがたい。


まるは、それはもう嬉しそうにはしゃぐ。わたしのときとは雲泥の差である。ひどい。
「やっぱ父ちゃんサイコー!!」
みたいに目をキラッキラさせてはしゃぐ。走るし跳ぶ。ヒゲまんじゅうをぷっくりさせて、格闘技のトレーニングかのようにおもちゃでシャドウボクシングを始める。

ため息混じりに「かわいい、かわいい」という夫。ひとしきり遊んだ頃、わたしが「用意できたよ、食べるよ」と寝室に呼びに行くと、彼の布団の上でふたり仲良く寝そべって、今度はなおさんの手にじゃれて甘噛する猫がいた。
「ありがとうね、もう行くよ」
「まるの相手ありがとう」
「え、なに?もうごはんの時間なん?」
つまらなさそうにする猫。すまんな、ここからは夫婦の時間なんだ。


犬も猫も他の動物も、どんな人に懐くかは決まっていないのだと思う。ただわたしの実家での暮らしが、たまたま世話する人に懐く子が多かったのだ。
解っているのは、まるは父ちゃんへの執着が強いということ。

それからなおさんは心が仏なので、猫にもとても寛容である。
枕カバーをビリビリにされるくらいでは怒らないし、以前後ろ足の太い爪で足に深い傷を負わされたことがある。その痕がまだくっきり残ってるけれど、それも怒らない。
まあこれはまるも意図せずだったので、怪我するのがわたしだったとしても、わたしも怒らないけれど。
「この傷は俺とまるの男の勲章やから」
とかなんか言っている。

そんな仏の代わりに、キッチンに登ったり冷蔵庫を開けると当前のように入ってきたり、遊び感覚で危険なところに手を出そうとするのを叱るのはわたしの役目。
ブリティッシュショートヘアはいたずら好きでもあるらしい。彼が思わぬことで怪我したり、猫にとってよくないものを食べたりしないように、母はいつも目を光らせるのだ。

あー、だからわたしは二番手なのかな、なんだか腑に落ちる。

そうは言ってもかわいい一人息子である。
わたしたち以外の沢山の人たちをも癒やしている、今では非常にやり手な猫だ。
なんともあざとくかわいいのだ。やんちゃでもツンデレでも、この子の存在が愛しい。
そう、この夫婦がとことん親バカなのは自負しているし、周知の事実なわけで。


逆に、なおさんはよく感心したように言ってくる。
「まるは母ちゃんのこと大好きやね。そんな態度俺にせぇへんもん」
「………?ふーん?」
どんな態度?わたしにはよくわからない。

なるほど?「親の心子知らず子の心親知らず」ってやつなのかしら。

遅い時間の夕食後もなんやかんや猫の相手をしてくれるなおさん。わたしがお弁当用のお米を朝炊けるようにセットしたりして、ようやく1日が終わる。日付はもちろん変わっているのだけれど。

寝室に行くと、電池切れで寝息をたてている彼のそばでやっぱり一緒に寝ているまる。
限られた時間。深い眠りについてほしいところだけれど、なんだかまるが走り回ってる夢を見ているようで。
「どこ行くん、こっちやで〜まる」なんて寝言を吐くなおさん。猫はその声で起きて、光る目で父をガン見している。数秒してからこちらに顔を向けて、
「父ちゃんなに言うてんの?ぼくここにおるのに」
なんて、疑問符をぽぽぽんと浮かべて首を傾げるのだ。

そんなかわいい親子を横にわたしは、愛しくてもう笑うしかない。


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