精神的に強い子に育てる②
一生懸命子育てをしてきても、自分の手から離れたと思った時期に、本当に手の届かないところへ行ってしまったら…。
世の中、まだまだ先がある若者が、決断をつけてしまうのが早すぎますよね。
生んだときにはまさかと思うでしょうが、自分の子が年頃になって自ら命を絶ってしまったら…。
自分が親だったら生きる気力を亡くしてしまうことでしょう。とても考えたくないことです。
私にも子供は居ますが、
「成長してからも、生きていてほしい」
と常に願っています。
それは、自殺現場を見てきたことが大きく、若い子でも自ら死を選択してしまうのだということがずっと頭に残っているためです。
精神的に強い子を育てたいとは思っていますが、それは「何でも逃げないで立ち向かう子」という能動的なものよりかは、
「自分で死なない子」
という消極的な意味に捉えていただきたいです。
何でも立ち向かっていたら、その子にとって到底解決できない問題に直面した時にどうなるでしょう?
何とかしようと頑張って頑張って、最終的になんとかできたら、それはアニメであり物語にもなれそうなくらい感動的なお話です。
しかし、大きかれ小さかれ、生きていたらたくさんの問題に立ち向かう機会があり、それに対していつでも負けないとは限りません。
頑張ればなんとかなると信じきって、だけど最終的には何ともできなくて、ポッキリ折れてしまった時にどうするか。
そんな時に、そのまま沈むのではなく、沈んでもいいのだけど、孤独に耐えることのないようにしていくこと。
これが親の勤めではないかと思います。
親でなくても、信頼できる誰かを引き合わせてあげられるだけの行動力を、身に付けるような子育てをしてあげること。
それは、小さい頃から色んなところに連れ出してあげることで育まれると思います。
いつまでも親の影に隠れて、何かあれば親がなんとかしてくれるという意味ではなく、子供うちに前に出て失敗しても、慰めてくれる存在があるということを肌で感じていて欲しいのです。
つまり、こちらの記事で書いたような、傘を忘れたからといって、罰としてずぶ濡れで登校させる親ではなく、小さいうちに一番身近な人がリカバリーをしてくれる信頼感を得る経験をさせてあげて欲しいのです。
今はなんでも自己責任の世界ですが、だからこそ切腹文化が遺伝子に根付いているのかわかりませんが、自分の命を引き換えにしているところも大きいのではないでしょうか。
ふと落ち込んだ時に、傍に誰かがいてくれているという気持ちになってくれるよう、そういう存在となれる親でありたいと私は願っています。