約20年前に男性育休を取った備忘(4)~ちょっとしんどかった時と、心境の変化~
ぼくが育児休業を取得したのは、今から18年前だ。
曖昧な記憶だが、当時男性で育休を取得したのは、首都圏で労働組合のあるすべての会社で累計で89人しかいなく、ぼくが90人目だった、と記憶している。
今この時代が「こんなに子どもを育てる社会の環境は変わった、良くなった」ということを改めて噛みしめる意味で、18年前の体験を記録しておこうと思う。
育休中途中までは、ちょっとだけしんどかった。
(まあそもそも、ぼく自身がさして育休の間を思い出にしようとなど考えていなかったのだが)それをさしおいても、とにかくこの時期は、わりかし日々を乗り切るだけでいっぱいいっぱいだった。
そんなわけで、半年ほどあった育児休業の間のことをあまり覚えていない。
で、ぼくはそれを今になってけっこう後悔している。
なので、今から子どもが生まれる人や、育休に入ろうとしている人、子育てと仕事の両立に奮闘している人に、ぼくは必ず伝えている。
今の時期が「ただ大変だった」記憶だけにならないように、できるだけたくさん今の時間を覚えておこうね、と。
その時期は、パートナーも深夜まで仕事という日が多く、一日じゅうワンオペ(※この言葉を世に送り出したのはすき家の偶然の功績だ)ということが多かった。
やっとの思いで一通りのルーティンを終えて床につこうとしても、子どもはすんなり寝ようとしない。
一緒に床についたのに、相変わらず寝室から出たがって泣き叫ぶ子どもに耳を塞ぎ、寝室のドアを足で押さえて開かなくして、泣きつかれて寝るのをただひたすら待つ、という日が何日が続いた。
この終わらない泣き声に対して、因果関係に関心を持たなくすること、感覚を麻痺させることがいちばんの自分を守る方法だと思っていた。
そんなある日、ちょっと気持ちの持ち方が変わる出来事があった。
その日は子どもも朝から機嫌が良く、今日はなんだかゆったりと楽しく過ごせそうだなー、とか思いながら、すり寄ってぼくの体をクライミングしてくる子どもと戯れていた。
ぼくは洗濯物を干し終わってソファに寝っ転がっていたのだが、そこに楽しさMAXになっていた子どもが、いきなりぼくの顔にダイブしてきた。
鼻に激痛が走り、これは何かが起きたな、とすぐに気づいた。
激しい痛みとともに、なぜだか最初に頭に浮かんだのは、
「ああ、痛みと怒りって関係ないんだなー」
という思いだった。
痛かった、本当に痛かった。
でも、痛かったからって、子どもを怒らなくていいよな。
痛みと痛みをうんだものとは実は関係なくて、子どもを憎たらしく思う必要はないよな。
そういう落ち着いた気持ちで、鼻を冷やす氷枕を取りに行っていた。
この日以来、ベースの気分がちょっと変わった気がする。
だいたいの日常を普通にやり過ごせる、穏やかな感覚を持てるようになったのだ。
細かい家事を平気で手を抜くようになり、子どもの泣き声が少し遠いところから聞こえているような受け止めをすることもあった。
一方で、
「もしかして、ぼくはこの子を愛さなくなってしまったのではないか?」
そう思ったことも、一回くらいはあったかもしれない。
でも、まあ不必要にしんどくなくなったからいいか、という思いのほうが大きかったように思う。
ちなみに、鼻は折れていた。
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※今後このへんのエピソードを上げていく予定です。
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