約20年前に男性育休を取った備忘(7)~3/31に寄せて~
今日は3/31ということで、ちょっと今までの話からそれて、この日に寄せて思い出したことを残しておこうと思う。
育休をとっていた頃は少しは思い出せるが、仕事に復帰してからの何年間かの両立真っ盛りのあいだ、ぼくは記憶があまり残っていない。
いや、正確にいうと「大変だったな…」という記憶しか残っていない。
写真部出身のパートナーがいなかったら、きっとろくな写真も残っていなかっただろう。
そのくらい、ただただ、生きて、生かさせてだけいた。
そうして、何年かを過ごしていた。
あの頃、自分は笑ったことがあったんだろうか。
子どもの成長に目を細めて、大きくなったな、こんなこともできるようになったんだな、と思うことは、あったんだろうか。
きっとあったはずなんだけど、どうしても断片的にしか思い出せないのだ。
その曖昧すぎる記憶の中で、今日、3/31という日になって思い出すのは、
下の子の卒園の日、上のこの入園から通算したお迎え日数をカウントしたことだ。
1,000回を超えるその途方も無い回数に、夫婦で何かを乾杯した気がする。
それだって、言ってみれば「大変だった」の延長線上の思い出だ。
こんなことしか思い出せない、そのことに、ぼくは今でも激しく後悔している。
時間が経てば経つほどに、この期間が何よりもかけがえなく、いとおしい時間であったことに気づかされるのだ。そして、もうその日々を取り返せないと思うと、なんでこんな事になってしまったんだろう…と、ため息が出てしまうのだ。今でも。
だから今、保育士と仕事で接するようになって、入社する保育士さんと話す場面になると、ぼくはつい話してしまう。
「どうか、お父さんお母さんが、たくさんのことを覚えていられるような、保育をしてください」
たぶん、言われた保育士のほうは「急に何言い出すんだ??」てなもんだと思う。でも、つい話してしまうのだ。
自分のような、ろくになんにも思い出せない親より、たくさん子どもの笑い顔、泣き顔、怒った顔、そういうのを覚えてるお父さんお母さんが増えたほうがいい。
今日で保育園のお迎えが終わった、という人。
今日まで本当にお疲れ様。
まだまだ大変な「小1の壁」もあるし、これで一気に楽になるわけじゃないけど、子どもは親の予想を遥かに超えて成長して、どんどんできることが増えていく。
そのうち、親がやることも少なくなっていく。食べ残しを片付ける役割も子ども自身に移るだろうし、どんどん勝手に自分の世界を広げていくだろう(『親うざい』と言われるのももうすぐ)。
急に楽になる、ほんとにこれだけやっていればいいの?と戸惑うほどな日々がやってくることも、きっと期待していい。
それこそ、ちょっとつまらなく感じるかもしれない。
まだまだ保育園のお迎えが続く、という人。
どうか、覚えていてください。
すこしでも、一瞬でも多く、今の時間を覚えていてください。
今はじつは、めちゃめちゃ貴重で、楽しいこといっぱいの時間です。
それに気づくのは大変かもしれないけど、周りのことをたくさん頼って、少しでも多くの時間を覚えておけるように、お祈りしています。