エゴ
残された課題は後2つ。体感気温はiPhoneのお天気アプリで36℃。私の体温と良い勝負だ。
なんとなく題名を極力短くして、これから本題に入っていく。
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「エゴ」という言葉は、"自我、自尊心、利己主義、うぬぼれ"とかいう意味で使われるらしい。
批判といじめ(誹謗中傷)は違うっていうよね。もちろんそれはわかる。
批判はしても良いもので、いじめや誹謗中傷はやってはいけないこと。
確かにそうなんだけど、なんとなく相手のために偉そうに批判をする人のことを私は好きではない。
批判をしている自分がさも正しいかのように、知識を自慢するかのように批判する人のことは好きではない。
なんというか、建設的な批判というのは確かに相手のために言っているものなのかもしれないけれど、本当にそれって相手のためなのかな....
単なるその人のエゴじゃないのかな、と思ってしまうときもある。相手を批判することによって相手が成長できるように、というか考えを深められるように...と
批判をしてくれる人の存在は貴重なのかもしれないけれど
本当にその建設的批判は相手のためを思ってしていることなのかな。
その人のエゴじゃないのかな。正義や価値観の押し付けではないのかな。
いくら相手の考えや行動の改善のためにその批判的意見を述べているとしても、
それはただのおせっかいやエゴなのかもしれない、とも思うのである。
建設的な批判をしてくれる人の存在を受け入れられるほど、いつだって発言者に心の余裕があるとは限らないからね。
否定を求める度合い(?)みたいなものはかなり個人差があるんじゃないのかなぁと思う。
親しい仲の人ほど相手に対して建設的批判ができないことは少なくないけれど、それを伝えた方が良い時とお節介になる時と意外と見極めが難しい、なんてこともある。(相手の意見を否定できるって良い仲、ってことかもしれないけれどね)
建設的批判は私はありがたいというか、素直に受け入れるようにしている。1度は受け入れて、その批判的意見は正しいのかどうか自分なりに考えている。
他人の価値観や正義を押し付けられるのは大嫌いだけれどね。
マイナスのことほど伝え方が難しい。
相手のためを思ってしている発言に関しては、正直自分自身も それが本当に自分のためではなくて相手のためなのか、今一度考えてから発言しようかなぁと思ったりしている。
というわけで終わり。
今日からネタがないときは今日1日で読んだnoteの中で誰かが話題にしていたことに対して、自分なりの意見を述べるようなものにしたいと思う。
特に自分のnoteの内容が書かれているなぁと思って、無理してコメントしていただかなくても大丈夫です。🙇♀️
これはオマケだけどnoteは有料会員にならないとコメント欄を閉鎖できない意味がわからん。コメント欲しくない時もあるのになぁ。