圧倒的で感動的な 理想的超えて完璧な、というRADの曲
RADWIMPSという超有名バンドの曲に、「会心の一撃」という歌があるわけで。
特に有名な歌詞に「圧倒的で感動的な 理想的超えて完璧な」というのもがあるわけで。
この歌の歌詞が意味するところを深く考察したいわけではないし、(深く考察したい方は是非ヨルシカの曲を聴いてみてほしい、アルバムのの曲たちの中に1つの物語が眠っているようだから。)
この歌の歌詞に なんとなく応援ソング感があるところを肯定も否定もしない。
ただただ耳に残る「圧倒的で感動的な 理想的超えて完璧な」を口ずさみたくなる。
そんな何かを、追い求めたくなる。
この世の中に生きる人の中で 自分しか手の届くことができない世界を追い求めて、手を伸ばし続けたくなることがある。
この心の奥にあるのは漠然とした「現状に対する不安」なのだろうか。
とか書きながら、本当はもっと強く考えさせる部分はここなのだ。
あと何万回の後悔で 僕は僕の期待を超えられるだろう
あとどれだけ後悔をしたら、自分自身にしてしまった期待を超えられるのか。自分自身に期待したことに答えられるのか。あと何回転べば、もう2度と転ばなくてすむのか。あと何回挫けたら、理想の自分になれるだろうか。
自問自答は尽きないけれど、
自分のことが好きになったり嫌いになったり自信が湧いてきたり不安になったり、いろいろな瞬間があるけれど
それでもやっぱり「一発勝負」の場面は訪れてしまうわけで。
『会心の一撃』なんていうものが必要になってきてしまうわけで。
「圧倒的で感動的な 理想的超えて完璧な」を追い求めても
辿り着ける可能性なんて低いだろうし
むしろ辿り着きそうになったらまた自分でハードルなんか上げちゃったりして
さらに自分に期待しちゃったりなんかして
でも挑戦し続けて、努力し続けて、理想を追い求めることに価値があるような気がしちゃって
今日もどこかで疲れてしまうなぁ、と思うことがある。
出したいのは、追い求めたいのは「会心の一撃」ではなくて、
"いつでも"出せるたった1つの"自分の武器"なのかもしれない。