
地球の裏側を見てみたい〜「ブラジル旅」編
人生最初の日系ブラジル人との出会い
今回の話は、私が20代前半、約30年程前の出来事になります。
地球の裏側ブラジルってどんなとこ??
人生最初に就職した地域には、当時日系ブラジル人の方々がが多く住んでいました。
職場にも、多くの日系ブラジル人の方々が出稼ぎに来られていました。
彼、彼女らはいつも元気で明るく前向きで賑やかで、パーティー大好きです。
ブラジルにいるご家族に仕送りをするため、残業や夜勤をこなしパワフルな方がとても多くいらっしゃいました。
自宅に招いて下さり、手作りのブラジル料理を振る舞って頂いたり、ブラジル料理のお店なども行ったりしていました。
当時は何となくブラジルに興味がありました。
ブラジル行きのチャンスが!!
ブラジルに興味を持ち始めて3年後、(その頃は、日系ブラジル人の方々が多くいる地域には住んでいませんでした。)
たまたま何となく「ブラジルに行ってみたいな〜」と日本人の友人に話していたら、その友人から「日系ブラジル人の知り合いに聞いてみるね!」と言われました。
数日後、私と日系人の方を繋いで頂き、その方の親戚宅(サンパウロ)にホームステイさせていただけることになりました。
思った事を口にすると、叶う事ってあるんですね!!!
心配する親を振り切りいざブラジルへ。
親にブラジル行きを電話で伝えたところ大反対にあいました。
当然ですよね。。。
「女が1人でそんな所に行くもんじゃない。今すぐ断りなさい!!」
実家から離れた場所に住んでいたため、親の干渉は行き届かず、強行突破いたしました。
今思うと、若さ故の怖いもの知らずで、、、親に心配ばかりかけていたなぁ。
当時、サンパウロ往復の航空券は約30万円程でした。
20代前半の私には大きな出費となりましたが、どうしても行きたかったブラジル。こんなチャンスは滅多に無いし、今まで頑張ったご褒美と言うことで。。。
職場も長期休暇がいただける環境にいましたので、とてもラッキーでした。

初めての1人外国旅
知り合いに空港まで送ってもらい、夢と希望を詰め込んで、いざ飛行機に乗り込みました。
当時、日本からブラジルへのフライトは、途中ロサンゼルスで給油の為、しばらくロスの空港で待つことに。
日本からサンパウロまで24時間かけて到着しました。
英語はほとんど話せないけれど何とかなるものでした。
機内での、飲みものの注文がうまく伝わらず、全く違うものが出てきた時にはしょうがないな〜という感じでした。
自分が好きなことをしに行くので途中何があっても後悔しないと、自分自身に言い聞かせていました。
若さと勢いで何とかなるものなんですね。。。
今振り返ると、ただただ怖い。。。
無事に帰国出来て本当に良かった。
サンパウロに到着
サンパウロの空港に、ホームステイ先のご家族が迎えに来て下さいました。
お互い写真の交換をしていたので、すぐに会うことが出来て安心しました。
普段、他人とハグする習慣がなかったので、会っていきなりのハグに軽くカルチャーショックを受けました。
ですが、あたたかく迎えて頂き、安心感に包まれました。
ブラジルの土地を踏み、太陽と土、空気が全然違いました。
特に太陽は眩しかったです。
ホームステイ先のお宅には、ご高齢の黒人のお手伝いさんがいらっしゃり、言葉は通じませんが笑顔で迎えて下さいました。
お互いジェスチャーでのやり取りです。
お手伝いさんのトイレと部屋は家人とは別になっていました。
初日。「疲れただろうからベットで休んでね。」と言われ、気づいたら1日寝てしまっていました〜
起こされたのは人間の声ではなく銃声でした。
ここは日本じゃない!!
日本がどれだけ安心な所なのか良く解りました。






貧富の差に衝撃を受ける「豊かさとはなにか」を考えさせられる
ブラジルに来て、子どもたちが信号待ちをしている車に近づき、花などを売っている光景を見ました。
ストリートチルドレンのようでした。
子どもたちの目がキラキラとしていることに驚きました。
日本人の目から見たら、貧しく見える子どもたちがどうして??と驚きました。
豊かさってなんだろう。。。

当時流行った写ルンですのパノラマで撮影しました。

文化についての気づき
日本に住んでいると、何不自由なく暮らすことが出来、何も感じませんでしたが、外国に行くとその生活が当たり前で無いことに沢山気づくことが出来ました。
日本では周りに気を遣い、何となく集団に属し、和を乱さないように、目立たないように、が日常でした。
海外では、自分は他者にどう見られているかはあまり気しない、自己主張がはっきりしている文化だなあと感じました。
日本では街中やトイレにゴミがあまりなく、いかに清潔な環境だったのかを知りました。
衝撃的だったのは、ホームステイ先で見たテレビ番組で、誘拐された子供たちを探していますという番組がありました。大きなショックを受けました。
人が多くエネルギッシュな街でした。
食事について
日本にいる時にブラジル料理を食していたので、あまり抵抗は感じませんでした。豆の料理やお肉料理も美味しくいただけました。レストランで食後に出されたミニカップに注がれていためちゃめちゃ濃いコーヒーは今でも忘れられません。魚は日本のものと違い大きなものが多く味が少し薄く感じました。
ホームステイ先のご家族にとても良くして頂き、遠くの国の文化に触れさせて頂いたとても豊かな時間でした。
今回は、20代ブラジル旅。
断捨離が導いてくれた、遠い記憶の掘り起こしになりました。