若く感じる人とそうでない人の違い
仕事柄
小学生から90歳まで
さまざまな年齢の方とお会いするのですが
「人の若さ加減って、年齢ではない」
というのが、私の感想です。
40代辺りからは特に
30代に見える40代の人、
50代に見える40代の人がやはりいて、
相手に感じさせる年齢はその差20歳!となりますよね。
実際の年齢はともかく
それって見た目だけでもないんです。
こちらが感じるその方のエネルギーかな、と思います。
60代?と感じる70代、80代?と感じる70代、
実際に何がどう違うのかと言うと、
私の観察では
もちろん
見た目も違う
それは肌ツヤであったり、髪の色や量やツヤ、
姿勢、声のハリ、表情、動き、など様々なところで感じます。
話の内容でも感じますね。
もう、本当にたくさんのケースを見せていただいていて
ありがたいなと思います。
それで、私がこんな風に年を重ねたい、と思う
年齢より若く見える方と言うのは、
まず、明るい。声も表情も目も明るい。
姿勢が良い、動きがスムーズ。
悲しいけれど、年齢より老けて見えるな、と思う方とは
病気をされたのかもしれないけど
腰が曲がっていたり、動きが緩慢、スムーズに動けない、
自分を守るための言葉がたくさん出る、
無理ができない、とよく言う。辛そう。
決して、だから悪いというのではなく
誰もが一生懸命生きておられて
それまでの人生も、誰もが精一杯生きてこられたのは絶対。
でも、そんなに差が生まれてしまうのがなぜか?と
私は思ったわけです。
誰でも若々しくいたいはずですものね。
今日もたくさんの受講生さんとお会いして
帰り道にふと頭に浮かんだのは
歳を取ったら、疲れやすくなるし、
ネガティブな気持ちにもなるだろう。
それは誰でもそうなのではないか。
でも、明らかに差が出るのは
⇒思い切り自分を出して生きて来たか、
⇒または周りを気にして自分を抑えて生きて来たか、
の違いではないか、と思いました。
先日テレビで見た「三島喜美代さん」という芸術家は
87歳。
ゴミをアートに、というテーマで活動され
海外からも取材されるような方。
見た感じは、大阪弁で、普通の大阪のおばあちゃんという感じ。
でも、インタビューの中で
「歳なんて忘れてる。覚えてない。
面白いと思うことを追いかけていたら
疲れることがない。」
という言葉が印象に残った。
87歳でも、
やりたいことを目一杯やっていれば
疲れないんだ!年も感じないんだ!と
思わせてくれた人だった。
病気になんてなりようがない、と感じる。
皆誰でも、思うようにいきたい。
好きなようにしたい、でもできないで何十年も生きて
そして病気になったり、年老いて
「ああ、若いころは良かった」とか、
「もっと早くにこんなことを始めていれば」とか、
「もう今更」
「何のために生きているのか?」などと思うのではないか。
私がこのまま年を重ねたら
そんな風に感じてしまうように思う。
だから、だから、
今からすぐにでも
本当の自分を生きなければ!と思うのだ。
時間をさかのぼることはできない。
でも、今からでも決して遅くはない。
気づいたときから変えていけばいい。
本当の自分を生きるってどういうことか?
たぶん、本音で生きること。
自分の本音にふたをする癖に気づいて
ふたを外して生きること。
勇気もいるし、ある意味、いい人というレッテルとかを
諦めないといけないかもしれない
そういう風に変わろうとすると、
非常識に思う人が若干いたとしても
元気で明るくて自由に生きていていいなあ!と思う人が
もっとたくさん周りにいるのだろうと思う。
どっちがいい?
常識的でいい人だけど、辛そうな人と、
非常識な感じだけど、自由で楽しそうな人。
選択は自由。
時間はあっという間に過ぎる。
明日から、いずれ、と思っているうちに。
なので、今からできるところから始めよう。
まずは、
好きなことを好きと言い、
イヤなことにNOを言うこと。
言える相手からでいいと思う。
感情的に生きること。
いい大人が感情的だと非常識に思われると怖れが出るが、
悲しければ泣く、
腹が立てば怒る、
嬉しければ喜ぶ、
楽しければ笑う、
どの感情も豊かにそのまま表現する。
笑ったり、怒ったり、泣いたり、喜んだり、、、
表情豊かに生きること。
その感情を味わうことが生きることだと思う。
こんな時、怒るなんて非常識よね、とか、
あまり喜ぶとバカみたいよね、とか、
そういうのやめよう。
50代も半ばになると
こんな風に、どんなふうに年を重ねるか?ばかり
考えているのもどうかと思うけど
人生100年の時代。
元気に、最後まで自分らしく生きるためにも
今からもう一度、
「わたし」になろうと思うのです。
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