自粛生活の中での…
「陽性一家」認定から6日目、かな。
熱が下がってからは、朝夕は娘と田んぼの中を散歩し、午前中は勉強して、午後は壁を塗ったり庭の落ち葉拾いをし、夜は本を読む。三食をきちんと作るという、規則正しい生活をしている。
noteの下書きがたまりにたまった。なんか、書いても書いてもダメな時期にいたらしい。
昨夜お風呂に入りながら思った。
日々、結構ぎりぎりまで仕事をしていたのは自覚があった。熱があると自覚したとき、
ヘンな話、コロナならわたしを止めてくれる、、、といった感覚がよぎったのを否定できない。
そして実際にコロナだから私は立ち止まった。立ち止まらざるを得なかった。
おかしい、そこまで自分を追い込んでする仕事って。
だからこそ退職するわけだし、あともう4か月、、、カウントダウンは明らかに日々進んでいるのだからと、もう少し我慢、もう少し、、、が、もう嫌になっちゃったんだってことを、「わたし」が知ってて無視するから、そういうこと。
人には、好きなことをした方がいい、とか色々言って、noteにも気づきとして色々書いてはいるが、私は6月末まではこのまま我慢という、日々が窓もない狭い箱のような教室に気が付けば12時間とか、週に5日間は勤めとしているわけだ。それを「どんな意識でやっているか」、が問題。病気になってでも逃げだしたいような意識で仕事をしているからやばかった。
空を求め、風を求め、光を求める「わたし」にとっては、もう窓ひとつない空間での仕事に耐えられなくなっていて、そんなことを知る由もない職場の人たちからは、このまま復帰を待たれているわけだけど、今のタイミングで逃げ出すわけにも行かない。
社員だから、最低でも8時間、週に5日はそこにいないといけない。リモートでできる仕事ではない。
あとは、「どんな意識で」これからの4か月間を過ごすのか、だ。
さて。。。
一方で、家でできる仕事ではないので、復帰までのこの数日は、勉強以外に特に仕事ができるわけでもなく、いっそ、仕事のことは考えないことにしている。日報は毎日届くので、目を通して、必要な連絡はしているが、私がいないことで逆に新人さんたちや、私頼みだったパートさんもベテランとして頑張っている。「早く戻って来て~」とLINEで来るけど。
私の方は、身体はほぼ回復していて、リラックスしすぎて動けなくならないように、適度に動きながら過ごしているのだけど、外に出るのは朝晩の田んぼのあぜ道の散歩くらい。
静かな生活の中で、心の片隅で、「この休みはあと●日」「この休みが明けたら生まれ変わっていたい」なんていう焦りが存在するのを感じている。
降って湧いたような2週間の休暇。しんどい思いをしたとはいえ、私には神様からの助け舟とも言えるこの休暇で、何かをつかみたい、意味があったという何かが欲しい、生まれ変わってすっきりして最後まで仕事を駆け抜けることができるような思考の変化が欲しい、それにしてもあと●日・・・と。
転んでもただでは起きたくない精神、ほんまに欲張り。
何か意味のあることを求める、どうしょうもない欲張り精神が頭をもたげては自分を掻き立て、焦りだす気持ちを少し遠めに眺めながら、深く深呼吸をして、「わたし」の行くべき道を探している。探している?目をつぶっていてもそちらに向かうような方向が現れるのを待っている、というのか。
うるさい思考の声を切り離すことは、意識すればいつでもできる。
それは、幼いころからの私の中の私というお友達の声だから。
私をこよなく愛し、心配し、失敗から遠ざけようとあれやこれやとお節介を焼いてくる声。その声の主は年を取らないようだ。幼いころから同じレベルの心配をし、私に色々と不安の材料をつぶすようにと話しかける。
無意識でいると、その声に同調して、心配でいっぱいになる。
毎日一緒に散歩をする娘にそんな話をすると、
娘も、自分は自分の道を行くと決めたにも関わらず、同級生たちの就活の幕が上がったのを横から見ていて、なぜかすごい焦りを感じたらしい。自分はこんなことをしていて就職できるかな、仕事に就けるかな?と。気持ちが、わーーーー!!って忙しくなって、焦って、なんかやらなあかん!って。。。
で、あれ?違う違う。何を焦ってるん?と思ったと。
でも、自分にとって大事なことはそこにないと思うからこそ、学校をやめることにしたのに、ヘンやね~と🤗
今、こうして大人になった娘と、夕暮れ道をのんびりと歩きながら人生を語る時間をもらえたことに、今はひたすらに感謝したい。こんなに美しい静かな世界を目の前に見ながら、生きてるってしあわせやね、と語り合えること。
その娘は、あと春休みまで数日という、退学前の最後の学校での日々のはずだった。友達にも先生にも会わないままにお別れ。
オットも今月末退職なのに、最後の10日ほど出勤できるかな?という感じで、私が、「なんともならんもんは、なんともならんなぁ。しかたない」って言うと、
オットに「それは、要するになんとでもなる、ってことやで」と言われた。確かに。
で、三人で一致したのは「ただ、そのまんまでしかない」でした。
言葉遊びのようですが、要するに、自然の成り行きに任せるのが一番だ、ってこと。どこへ流されて行くのか、自分を見守ろう。
何かしら、その場を超える方策とか知恵とか直感が向こうから来るまで、落ち着いて待つ。
今、まさに週末からの復帰に向けて、今後まだ4か月ある職場での日々に、自分はどう向き合っていくのか、、、おのずと現れる答えのようなものを待っています。
期待ではなく、来るべき答えが来ることを待っている。どういうのかな?自分本意ではない、人生の答えのようなもの。
それについて、何も期待せず、恐れず、ただ現れるのを待って、現れれば、それに従いたいと願って、手放しています。
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