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内田春菊『ダンシング・マザー』文春文庫

あっという間に読んだのは、読むのが辛くて早く読み終わりたかったからだ。『ファーザー・ファッカー』を読んだのは1993年で(おかげで自分にとって忘れられない年になった)、それから20年ちょっとで内田春菊はこの本を書けた。前作もこれもどんなにきつい作業だったかと思う。

ほんとに気違いじみた話だが、世の中には程度の差はあれ、こういう話はあるのだと思う。母親の再婚相手や内縁相手が連れ子である女の子に性的な目を向ける。母親はそれに気づいているのに、止めようとしない。そればかりか、男ではなく娘の方を責めることがある。子どもにとっては、自分に迫ってくる男が異常で問題があるのはよくわかっているが、わからないのは、なぜ実の親である母が自分を守ってくれないのかということだ。守ってくれないばかりか、相手の男の機嫌を取るような態度を示すのかということだ。すべて、外見をとりつくろいたい母親の自己愛ではないか。

内田春菊さんは勇気を出して、その母親の心理を分析しようとした。でも、きっと男のことにはまったく興味を持たないだろう。単なる異常者として切り捨てるだろう。父として入り込んできたその男は、実際の結婚相手とは別の家庭を持っていた。こちらの家庭は自分が好きなように支配することができる、ファンタジーの世界だ。内田さんにとって大事なのは母親がやったことを見極めることだ。最後に娘は家出するが、自殺するのではと夜の山を探す男と母。でもその最中にも、母は娘が死んだあとのことを自分勝手に想像している。救われない人だ。

母は有名になった娘にお金の無心はするが、いまだに謝っていないという。自分の非を認めて謝るということができない人なのだろう。この母と絶縁したことは、これ以上ないほど正しい。

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