津村記久子『ポトスライムの舟』講談社
初めての作家。知人が良かったというので読んでみた。「ポトスライム」は意味がわからず、「ポト・スライム」と読んだのでスライミーな(ぬるぬるした)ものを想像したらポトスの種類なのだ。表題作は地味な仕事をして淡々と生きる女性が世界一周の旅のために163万円を貯めようとする話。こつこつと少しずつ働き、節約をしてお金を貯める。その間にも子連れで家出してきた友人や、お金の苦労のない鈍感な友人などが登場する。こうやって世の中は、安い給料で働き、ひっそりと地味に暮らす、平凡なポトスのような多くの女性たちの労働の上に成っているのだとあらためて思う。彼女たちを描く文体は人生を表して味気ないほど簡素だ。華麗なレトリックの余地などまったくない。
「十二月の窓辺」は大卒のあまり愛想のよくない女性が、印刷会社でまわりから疎まれ、本人もさほど仕事ができるわけでもなく、ヒステリックで無能な女性上司にハラスメントされながら勤めている話。憎悪もつのる。まったくリアル。こういう話はせいぜい最後に主人公が辞表を叩きつけるシーンを楽しみにして読み進むだけだ。ほんと、それだけが唯一の喜びなのだ。わたしも、いじめられてはいなかったが無理な仕事を押し付けられ、また自分自身もさほど有能なわけではないのでミスも多く、うんざりしながら仕事をしていた日々があった。やっと辞表を出したときの爽快感と言ったら!なんだかんだ言ってもまわりはわたしの働きを当てにしていたし、辞めたら困るのはよくわかっていた。そんなに困るんなら、こうなる前にわたしの待遇を何とかすればよかったんだわ...。いずれにしても、翌日からはそこは自分とまったく関係のないつまらない世界となるのだ。ただ、そうやってやめたあとは次の仕事探しだし、不景気の昨今はまたあらたな厳しい現実があるのだが。そうか、こういう小説が書かれる時代になっているのか。そういえばこの本を勧めてくれた友人も長く会社勤めをしている女性。彼女も少し疲れているのかもしれない。
追記:
文体について。先日NHKで桐野夏生のインタビューを見た。この人はいま実際に苦しんでいる若い女性たちのことを考え、彼女らに届くようにと小説を書いているのだと思った(そう本人が言ったわけではない)。番組では、若い女性を救済する運動をしている人が、その施設の個室に桐野夏生の本を並べていた。手に取って読めるように。つまりこれらの小説は、一番困っている彼女らが読むためのものだ。津村記久子やその他の女性作家の小説もそうだろう。彼女たちに届けるためには彼女たちに近い文体で書かなくてはならないのだと思った。
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