川崎洋『教科書の詩を読みかえす』筑摩書房
学校の教科書に掲載された詩を紹介して、短いエッセイを加えた本である。大人向けだと思って手に取ったが、子どもも読めるように平易な文章で書かれている。取り上げられた詩は茨木のり子の「わたしが一番きれいだったとき」のような有名なものもあるが、日本の詩をあまり知らないわたしは初めて読むものが殆どだった。たとえば三好達治の詩も「あれ、こういう詩も書いていたのか」とちょっと意外に思うようなものだった。ほかに印象的だったのは、栗原貞子「生ましめんかな」、辻征夫「棒論」、「落日ー対話篇」など。
セキレイについての文章があった。わたしは路上でスススーっと走っていくあの小さい鳥が好きなのだ。「セキレイ」という名前の響きも清々しくてぴったりだと思っていた。ところがこの鳥はシッポを振るところから、各地で「こめつきどり」「シッポチャンチャン」などの名前で呼ばれているらしい。埼玉では「ケツフリオカメ」らしい。ひどいな。英語もwagtailだからもろに「シッポ振り」だ。がっかりだ。しかし中国語では「相思鳥」とぐっとロマンチックな名前で呼ばれているとのこと。
関西弁には独特のシンタックスがあるのではという話が面白かった。橋田壽賀子が脚本を書いた「おしん」はセリフが長くて、俳優たちは覚えるのに苦労したが、関西出身の俳優はそれほど苦労がなかった、あれは関西弁のシンタックスに違和感がなかったからではという仮説。方言には語彙や発音だけでなく、シンタックスの違いもあるのか。
辻征夫「落日ー対話篇」は、妻が「沈みそうね、夕日」と言うと夫が「沈むまで息を止められる」などと言う。すると妻は「むかしはもっとすてきなこといったわ」とふいに言うのだ。あの夕日が沈むところにある街に二人で住む楽しさを想像してつぶやいたりしたらしい。その街には古い居酒屋があって、そして...などと話したらしい。そんなことを言われた夫は、さて次は妻にどう言うのかな。詩の最後は妻がふたたび、「沈みそうね、夕日」とつぶやく。
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