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バーナード・マラマッド『レンブラントの帽子』小島信夫、浜本武雄、井上謙治訳、夏葉社

これ、感想を書くのが難しいなぁ。まず、わたしはマラマッドは以前に『魔法の樽』という短編集を読んだのだけど、どうも好きになれなかった。閉塞感があって、作品中の空気が淀んでいる気がしたのだ。たぶん自分はマラマッドとは相性が良くないのだと思っていたが、今回は気を取り直して再チャレンジしてみた。

この本は3つの短編から成っている。訳者の名前も3人あがっているが、どれを誰が訳したかは書かれていない。まさかの三者共同訳? 

「レンブラントの帽子」は美術学校で教える性格がまったく違う二人の男の人間関係の奇妙なこじれを描いたもの。彫刻をおしえる男があるときかぶっていた白い帽子のことを、美術史をおしえる男が見て何気なく「お、それいいですね!レンブラントの自画像の帽子みたい」と言うのだが、相手は何も言わないばかりか、気を悪くして彼を避けるようになる。二人の関係はどんどんこじれていく。だが最後に美術史の男が謝って、仲直りするという話だが、こういう彫刻家のような男がそんなに簡単に機嫌を直すとは思わないし、愉快に話し合う仲になるというエンディングは不自然だと思った。でも、二流の芸術家である彫刻家のいじけ方が妙にリアルで、そういう人間っているんだろうなと思う。ぱっとしない二流の男同士のぱっとしない話なのだが、でも世間の大半の人間はぱっとしないし、ぱっとしない人生を生きているのだ。

非常に戸惑ってしまったのは次の「引き出しの中の男」だ。アメリカ人の男が気晴らしにソ連に旅行する。タクシーの運転手と英語で話すうちに、運転手が小説を書いていることを知る。アメリカ人はフリーライターで、詩やエッセイのアンソロジーを出したこともある、いちおう文学系の人間だ。二人ともユダヤ系というのが共通点。そのうち運転手は用心しながら自分の小説を妻が英訳したものがあるので、その原稿を外国で出版してほしいとこっそり頼み込む。ソ連のみじめな暮らしが描かれる小説は国内で発表できるものではないから。ここまでは納得できる筋だ。そして書いているのはたぶん素人の下手な小説なのだろうと、なんとなく想像できる。

ところが嫌々その原稿を読んだアメリカ人は感動してしまうのだ。しかし、原稿をアメリカ人の自分が持ってソ連を出るのは危ないのではないかと心配になり、初めは素っ気なく、まったく問題にならない出来だと突っ返すのだが、その後思い直して運転手のアパートを訪ねてしまい、実は小説は良い出来だったと謝る。でもアメリカに持っていくのは自分の身に危険が及びそうで嫌なのだ。ここから二人と原稿は行ったり来たりを繰り返す。ついに原稿を押しつけられてしまったアメリカ人は心配しながらモスクワ空港に向かう。

そのあとは運転手の短編3つのあらすじが順番に紹介されて、この小説は終わる。その3作(のあらすじ)を読んでわたしは「はぁ?」と思ってしまった。ソ連の暮らしを描いた感動的な話のはずだが、ちっとも面白いと思えない。これ、ひょっとして駄作じゃないのか…。アメリカ人は感動したが、それは彼に見る目がなかったから。つまり、この短編ってすごいアイロニーで終わっているのか。それとも、あらすじだからこれだけでは判断すべきではなく、本篇はチェホフ風の哀愁が漂っており、アメリカ人が言うとおりに傑作なのか。わたしはあらすじを読んで感動すべきなのか…。

ここのところが本当にわからない。でも、そもそもあらすじだけで「これは傑作だ。感動だ」なんて読者は反応できるものだろうか。アイロニーだとしたら、これまた第1作につづいて二流の芸術家(アメリカ人と運転手の二人とも)の哀しさを表しているのか。

ここまで書いたら力つきたので、3作目は割愛する…。

なんかよくわからないなぁ。実にもやもやする。ついでにいえば、荒川洋治のあとがきもわたしは全然ぴんと来なかった。この人、やたらと「欧米の小説は~」と言って、欧米をひとくくりにして書いているけど、それはあまりに乱暴すぎるじゃないの。

というわけで、なんだか残念な読書だった。ざっとひと通り読んだだけだから、ひょっとしたら大きな勘違いがあるのかもしれない。でももう一度読み直す気力が起きないのだ。やっぱりマラマッドはわたしは苦手だ。


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