秋の虹
その秋、私は今までになく迷子のような状態の私だった。
長く勤めていた会社を辞め、次にやることは決まっていたけれどそれに取り掛かる時機を探るうちに、どんどん怖気づいていた。始めるも始めないも自分次第で、一歩踏み出せば失敗するかもしれない。踏み出さなければ、とりあえず失敗しないでいられるのだ。
ふわふわと足元の定まらない私は、秋が深まる頃、アメリカのある街にいた。
たくさんの古着屋とインテリアショップ、趣味のいいレストラン。そして全米でも指折りの大きな書店のある街。自然も多く残り、大都市に比べるとのんびりしたペースで地元の人たちが暮らしていると聞いていた。
元より慌ただしい旅ではない。特に目的も決めないまま、一週間ぼんやりとそこで過ごした。自分の好きなものだらけのゆったりした街での滞在は想像通り快適なものだった。私が長く暮らしていた中央線沿いの街のようで、どこか気が抜けて居心地がいい。私は古着屋を何軒も覗き、こぢんまりしたビストロやカフェで繊細な味付けの料理を楽しんだ。体育館を思わせる広大な大型書店は夜遅くまで開いていたので、繰り返し足を運び何時間も過ごした。ホテルは一歩間違うと悪趣味になりそうなギリギリを攻めたダークメルヘンな装飾で、それも心を浮き立たせた。
ただ、ホテルに到着した時から気になっていたのが、路上で生活しているらしい人たちの多さだ。これまでに行ったことのあるアメリカの都市のどこでも、こんなに数多の家を持たない人を見たことはなかった。宿泊していたホテルは街の一等地にあったのだが、周辺には路上に座り込んだり、寝転んだりする沢山の人の姿があった。近くを少し歩くだけで、彼らと彼らのテントが次々と目に入る。古書店に入って店主と常連の方とひとしきりお話しして別れた後に、その常連さんが路上に暮らす人だったと気づいたこともあった。
その街の福祉のことや、行政のことを私は何も知らないまま訪れていた。それだけ多くの人が路上で暮らさなければならない状態でいることが大問題なのは間違いない。ただし、日本の現状を考えれば、排除されずに街に居場所があるように見えるのはまだ少しはましなのかもしれないと思った。
翌日には日本に帰国するという実質的な最終日。日本人移民の歴史を保管、展示する資料館を訪ねた。その州は古くから日本人が移住し、苦労しながら根を張って生きた歴史があるそうだ。しかし、第二次世界大戦が始まると、財産も土地も奪われ、強制収容所に追いやられた。
その歴史と彼らの暮らしの様子を伝える資料が濃密に展示されていた。一番強い印象を残したのは、ある女性が強制収容所に向かう時に愛犬を置いてこなければならなかったと語る映像だった。車に乗せられて運ばれる彼女を、犬はずっとずっと追いかけて来たという。でも引き離されてしまって、その犬とはそれっきり再会できなかった、と彼女は言った。
その時の流行歌に、日曜日も月曜日もいつも君を思うよ、という一節があったそうで彼女はその歌を口ずさみながら、こんな風に毎日愛犬を思っていた、今も忘れられない、と話した。彼女の細い歌声が耳の奥に残った。
私にとって犬という生き物は特別な存在で、特にその時はミシガンで大切でかけがえのない犬に会ってきた直後だった。年齢を重ねてすっかり老犬になった彼は、目を離したらふいと旅立ってしまいそうな気配に満ちていた。目の前にいても、もう半分別の世界にいるような遠さを感じて、日本で暮らしている自分が会えるのはこれで最後だと分かっていた。
愛する犬との別れと聞けば、自然と繋がるものを感じた。
その女性が語るそばから、彼女と愛犬との別れのシーンがまざまざと浮かんできた。取り残された犬はどれだけさびしかっただろう。その後もずっと彼女を探していたはずだ。食事も水も与えられず、どうやって生きたのだろう。生きられたのだろうか。
資料館を後にしても、その女性と犬のことが頭を離れなかった。ぐっしょりと湿った気持ちを抱えて歩いていると、静かに小雨が降り始めた。早くホテルへ戻ろうと足を速めたところで、道の端に寝ている男性の姿が目に入った。
どうやら路上で暮らしているらしいその人は、雨にも気づかず静かに眠っているようだ。何かが気になって、じっと見た。
まだ若く見えるその人は身じろぎもしない。顔色はあまりに蒼白だった。それに、生き物というより、まるで物であるような静けさを感じた。
そして気づいた。その人は、亡くなっていたのだった。
まさかと思って、道の先にいた人に慌てて話しかけたが、酔っているのか動きも怪しく要領を得ない。すぐに通報しなければいけないと思ったけれど、私の拙い英語で状況を説明するのは無理があった。近くにあるのは閑散とした人気のないビルばかりで、誰かを呼ぶこともできない。だんだん雨は強くなっていた。立ち去ることはできなくて、誰かが通りかかるのを待つことにした。
10分ほどした頃だろうか、横たわるその人の前に車が停まり、何かの制服を着た人たちが降りて来た。警察ではないが、公的な団体のスタッフに見えた。どうやら私より先に気づいた誰かが通報していたらしい。
声をかける間もなく、彼らはその人の身体に触れて状態を確認し始めた。それが終わるとすぐに大きな寝袋のような袋にその人は入れられた。5分もかからずに、彼の身体を乗せて車は去っていった。
あまりに自然で、静かで、よくある日常の一コマに見えた。
時間にすれば、とても短い間の出来事だ。でも今何を見たのか。私の頭では全く処理できなかった。誰もいなくなったその場所を何度か振り返りながら離れ、地図も見ずに歩き始めた。
雨が本降りになり、自分の息が白くなっていることに気がついた時には、ホテルとは全然違う方向に立っていた。
途方に暮れて目の前にあったスーパーのカフェスペースに逃げ込んだ。スーパーといっても高級路線の店のようで、全体に余裕が感じられる内装だった。フレンドリーなスタッフと和やかな家族客の日常そのものの会話が耳に流れ込んでくる。ここからそう遠くない場所で、それも路上で人が亡くなっていたのに、あまりに穏やかな空気が広がっていることに呆然とした。
外が見える入り口付近のカウンターに腰掛けて、私はチャイの入った紙コップで手を温めた。ただぼんやりと、この旅で経験し、目にした別れを思い出していた。もう二度と会えないだろうミシガンの大切な犬、戦時中の日本人女性と愛犬の別離、人知れず道端で旅立った彼。何を思えばいいのか分からず、ただ光景を反芻するばかりだった。
どの位経ったのか。ふと目を上げると、雨はやんでいた。夕暮れが近づいてきた空には雲が多く残っていたが、その片隅に色の薄い虹が覗いていた。
ああ、みんな生きていたし、生きているんだなとふいに思った。
淡くぼんやりしていた虹は、空に溶け込むように消えていった。