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Day1 観念して全部任せる〜加入儀式〜

患者経験から考える 第2回。
知らない土地で足を怪我し、救急車で現地の病院に運ばれた、その続きです。

信頼関係は、「大変でしたね」と受け止めてもらうことから

救急病院に運ばれた私を、救急担当の若いお医者さんが対応してくれて、とても丁寧に診てくれました。怪我をした状況を聞いてくれて、「大変でしたね」 と慰めてもくれました。

べつに凝った言葉ではないけど?と思われるかもしれませんが、辛い時にこの言葉を掛けてもらえると身に染みます。特に医師にしみじみと「あぁ、これは大変でしたねぇ」と言ってもらえると、緊張が緩んでほっとします。この先生にお任せしようという気持ちが芽生えるのです。

今回私がこの地を訪れたのは、ある地方のマラソン大会に出場するためでした。会場に向かう電車に乗ろうとして、駅の階段で転んで怪我をした、 というわけです。

かなり不注意だったと自覚しているし、「自業自得 」という声も聞こえてきそうな状況にもかかわらず、お医者さんも 看護師さんも、「せっかくマラソンに出ようとここまで来てくれたのに、残念でしたね」 と、決して批判的ではなく、私の気持ちに寄り添った言葉をかけてくれました。どれだけ救われたか。

自分の置かれた全体像がまだうまく飲み込めず、やや混乱した頭のなかにも、「ここは自分を委ねられそうなところかも…」という信頼感が芽生えてきます。

「折れてます。手術が必要」と診断されて

レントゲン とCT を撮ってもらい、その結果を ドクターに説明してもらいました。 開口一番「 折れてますね。 しかも2本とも」とのこと。「え。折れてるんですか…」とぽかんとする私。まだ現実感が持てません。

足の膝から下には、脛骨と腓骨という2本の骨がありますが、見事に両方が折れていました。画像を目の前にしてさえ自分の足と実感しにくく、興味深げに画像を眺める始末。

そういえば、階段で転んだ時に、試しに右足で立とうとしたものの、全く身体が支えられず、それどころか足首がぐねっと曲がる 不気味な感じがしたのを思い出しました。どうりで立てないわけです。

ドクターいわく「普通の固定ではなく手術が必要な状態」 とのこと。対応は2つ。患部を板などで仮止めして地元の病院まで移動し、入院する。もしくは、この病院に入院して手術を受け、ある程度まで回復したのち、地元に帰る。どうされますかと。

情報処理が追いつかず、「コテイ」「シュジュツ」「ニュウイン」という音が頭の中でぐるぐる回る…。

しかし、ここに至ってようやく、私は事の重大さを理解し、自分ごととして受け止めることができたのです。

ここまでだ。観念して全部任せよう

この場所から自宅までは、車で3時間あまり。具体的な方法を考えれば考えるほど、この怪我した足を抱えて移動することは非現実的であることが明らかに。
…となると、ここで 入院手術を受けるしかない…。

これ以上、この事態に対して自分にできる手立てはないと思い至ったとき、心のなかに 「強制終了」という言葉が湧いてきました。

イメージ的には、目の前に 鋼鉄製の壁が爆音を立てて空から降って来た感じ。

「ここまでだ。観念してこの病院で治療を受けよう」という気持ちが固まりました。「ここでお世話になります」 と伝え入院が決まりました。

そこから先は流れ作業。 看護師さんたちによって、テキパキと入院準備が進みます。それまで着ていたランニングウェアから、あっという間に病院着に早替わり。

加入儀式

折れた足の踵のホネにキルシュナー鋼線を差し通す直達牽引という処置(これがめちゃくちゃ痛い!)を受けて、ドラマなどでおなじみの脚を吊るしてベットに寝ている格好になって、病室に運ばれました。

こうして、怪我の発生から2時間後には、入院患者が出来上がっていました。手首には、患者IDが印刷された患者バンドが装着されています。これは自分では取ることができないのです。

痛い思いからのID配布は、まさに加入儀式でした。

今日はここまで。
次回は、仕事と日常生活との決別、手術前夜について書くつもりです。

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