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患者経験から考える7〜リハビリは、からだとこころの再適応〜
患者経験から考える第7回。
マラソンに出かけた地方で足を骨折し、入院・手術を受けた私。すっかり病棟コミュニティの一員に。次のステージはリハビリです。
リハビリのスタート
手術後の夜、担当看護師から「明日からリハビリね」と伝えられて、心躍りました。
近所の整形外科で短期のリハビリを受けたことはあるものの、術後のリハビリは初めて。しかも、手術の翌日からってどんなことをするんだろう。好奇心とワクワクしかない。日々やるべきことがあるのは 、嬉しきことかな。
翌日。担当の男性理学療法士(PT)さんが迎えに来てくれました。車椅 子でリハビリ室へ移動。リハビリ室は角部屋で明るく、外の風景が見えて開放的です。
10台ほどの施術ベッドとさまざまなリハビリ器具、模型の階段、歩行器、立派な筋トレマシーンまで揃っています。
リハビリ室の患者さんは、施術ベッドでストレッチを受けていたり、平行棒で歩行練習をしていたり、それぞれの課題に取り組んでいます。平均年齢は高めかなぁ。
この病院リハビリは、基本的に担当制で毎日リハビリ。1回40分と時間も長め(通常20分が多いようです)。
始める前に、現時点の足関節の可動域を確認したり、足首やふくらはぎの周囲を測ったり、健康な足の蹴り出す力を測定したり。PTさんに「さすがに蹴る力は強いですね」と、褒められました。握力も測定。
私の右足には、取り外し可能なギプスシーネが包帯で巻き付けられおり、リハビリの度に外して裸足で施術を受けます。術後に初めて見る患部は、傷口に保護テープが貼ってあり、血が滲んでいてちょっと気持ち悪い。
膝から下は赤黒くパンパンに腫れ、足指は癒着しているかのようにひっついていて、まるで象の足のよう。足首もほとんど動かず、自分の体だという実感が湧きません。
主治医からのオーダーは、2週間は足首前後運動のみ、2週間後から左右も。4週で1/3荷重開始、5週で1/2(両足立ち)、6週で全荷重(片足立ち)となるとのこと。術後翌日のこの状態から、6週間後の遠い未来のことなんて、全く想像できません。
セッションの前半はストレッチですが、初日は軽く足指を前後する程度。ちょっと動かすだけで痛いし、傷口から血が滲み出てくるのでは・・と不安に。後半は松葉杖の練習をすることに。松葉杖は初めてでしたが、コツを掴めば難なくクリア。これはちょっと嬉しい。
できることが一つでもあることが、前向きなエネルギーとなります。でも今の状態は、足を腰より下に下ろすだけで鬱血するので、長時間はまだ無理。夜に痛みが強くなって、痛み止めをもらいました。
理学療法士(PT)さんと
40代男性、担当のPTさんとは退院までの3週間弱、リハビリを受けながら、いろいろな話をしました。リハビリにの内容について、骨折の状態について、これからの生活や走ることができるようになるのか、など。
病室に迎えにきてもらってから、帰るまで、私はひたすら喋り続けました。その饒舌ぶりには、自分でも驚くほど。こんなに話すことに飢えていたのかと。
入院生活3週間で最も長く話をしたのは、おそらくPTさん。話す時間(本来はリハビリなんだけど)が40分確保されていることの安心感。これはカウンセリングで時間が決まっていることと似ています。自由に話せること、遮らずに聞いてもらえることの心地よさって、格別ですね。
付き合いが長くなると、私にも余裕が出てきて、つい職業的な関心が…。担当PTさんが理学療法士になったきっかけやこの仕事のやりがいと難しさ、さらには個人的なことまで。気がつくとPTさんの語りを聴いていました。
一つ一つリハビリが進んでいく事自体が、目に見える回復のプロセスとしてフィードバックされ、明日への意欲と自信に繋がります。リハビリは生活の中心になりました。
リ・ハビリテーション
リハビリの語源は、リ・ハビリテーション。ラテン語で「再適応」という意味があるそうです。その目的は、病気や怪我の後、日常生活に戻り人間らしい生活を送れるよう訓練をしていくこと。
でも、起こってしまった病気や怪我をなかったことにはできない。怪我や病気によって、損なわれた身体部位や機能不全を抱えて、どう社会に再適応していくのか。
立つことはおろか、歩くことから離れて日々体力が落ちていく私。今は看護スタッフから手厚いケアを受けて、痛みや不自由をできる限り低減してもらっていて、安心と安全は確保されている。でも、このままでは、元のコミュニティで生活することはできない。
治療で傷を治し、療養を経て再び元のコミュニティに戻って、人間らしく生きること。そこに至る通路がリハビリなのだと思うのです。
そこには「健康な身体の一部を喪失した私」という存在を、どう自分自身が受け入れ、残りの人生に位置づけていくのかという実存的な課題があります。
大きな課題に立ち向かうためには、気持ちを整えたり、覚悟を決めたりすることが必要。リハビリは、身体の回復を図ることを通して、心のリハビリもしているのではないか…と実体験を通して思うのです。
今回はここまで。
次回は、怪我をしたのをきっかけに、突然溢れ出てきた短歌のことを書こうと思います。