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患者経験から考える8〜短歌で心のリハビリを〜

患者経験から考える第8回
今回は少し趣向を変えて、手術の翌日に突如として吹き出してきた「言葉=短歌」について取り上げようと思います。

七五調で言葉が溢れる

入院4日目、手術の翌日です。大きな山を越えて一段落。SNSツールで怪我の報告をしようとスマホを手に取ったところ‥。

骨折にまつわるフレーズが次々と頭に浮かんできました。しかも、短歌のリズムである五・七・五・七・七の三十一文字で。もう、どうにも止まらない!

短歌は俳句と共に定型詩の一種とされています。でも短歌って、学生の頃に古典の授業で習ったけど、ほとんど印象がないとか、子どもの頃に百人一首で坊主めくりをしたくらいで、あまり馴染みがないですよね。

私自身、ほとんど短歌の素養はありません。ただ、言語化しきれない体験の嵐を、とりあえず定型詩という容器に流し込んで「圧縮」して置いておくには、短歌はナイスチョイスだったなと感じます。

作り始めてすぐに10首、入院期間を通して60首を詠みました。

「患者経験から考える」の連載は、一首に込められた情景を「解凍」して展開し、文章で表したら1500文字になっちゃった、という感じ。短歌の圧縮率、恐るべし。

闘病短歌8選

入院中に詠んだ短歌は、短歌というよりは、むしろ七五調で書かれた日記のようなものです。

よろしければご一緒に味わって頂けたら嬉しいです。  
*解説の後の( )は、「患者経験から考える」の連載回数です。

①マラソンに行く道中の階段で
 滑って転んで複雑骨折
解説:まさに骨折をした場面です。そう、電車に乗ろうと駅の階段を降りていた、まさにその時!滑って転んで複雑骨折しちゃいました。(第1回)

②骨折はきっと天の思し召し
 走りすぎたか?強制終了
解説:救急外来で足首の腓骨と脛骨の両方がポッキリ折れていると診断された時のイメージです。ああ、ここまでか、終了、という感じ。ようやく止まれてホッとした面も。(第2回)

③病室の小さき窓から見える空
 今日も快晴マラソン日和
解説:患足を牽引されて身動きが取れない時の歌。窓の隙間から見える空は快晴で、こんな日は走ったら気持ちいいだろうなと、ちょっぴり憂いを含んだ歌に。(第3回)

④入院も三日目には慣れたもの
 人の適応力に驚く
解説:手術当日の朝、すっかり病棟コミュニティの一員となって、当然のようにバイタルチェックを受けながら詠んだ歌。(第4回)

⑤術中にトンテンカンと響く音
 まるで大工の工房のよう
解説:術中に聞こえてきた音は、骨折した足を補強するプレートやスクリューを取り付ける音でした。大工の仕事場のように聞こえました。(第5回)

⑥3三本のビスが入った足首は
私を支えて五十年だね
解説:術後に病室に戻った時、しみじみと感じたこと。怪我した足は、50年も私を支えてくれてたんだなと、愛おしく感じました。この辺りからようやく情緒が出てきます。(第5回)

⑦病室のお向かいさんとの会話にも
 にじみ出てくる家族への想い
解説:ベッド固定から解放され、車椅子でご近所さんとご挨拶がてらおしゃべりしていた時の歌。気持ちにもゆとりが出てきたようです。(第6回)

⑧リハビリの時間がめっちゃ楽しみで
 身繕いして待つわたしかな
解説:術後の生活の中心はリハビリです。リハビリが楽しみすぎて、病院着なりに身支度をし、姿勢を正してPTさんの来訪を待つのでした。(第7回)

第7回までの元になった歌を掲載してみました。こうして並べてみると、出来事から情緒へ。緊急から日常へ、というこころの動きが見えてくるようです。

芸術としての短歌とはかけ離れていますが、自分の身の上に降ってきた出来事を把握しようと、私の心が選んだ表現手段が「短歌」だったのでしょう。不思議です。

今回はここまで。次回は、病と表現について考えてみたいと思います。

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