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誰がそれを呼ぶ(山姥切長義の極・修行手紙の話)


※いち個人の解釈・意見・感想です。なお筆者は刀に詳しくありません。

ついに待ち望んでいた山姥切長義の修行が実装され感無量です。
すごくよかったので感想を書き残しておきます。

●今まで長義について考えていたこと(過去ツイートコピペ)


長義と国広は、ふたりの自身への認識と現状が食い違ってるのが苦しいな…と思う
国広は別に自分を山姥切と呼んでほしいわけではないけど、初期刀でずっと山姥切と呼ばれてたのは国広
後から来た長義は山姥切と呼ばれたいけど先の状況があるので…
でも自分が山姥切であるという結論で修行から帰ってきていたただきたいかな…とは思う…わかんない
長義が国広と同じような結論にたどり着くかなあ…(国広はアイデンティティを山姥切の写しではなく國廣の傑作であるというところに持ってきた)
でも国広が修行で結局山姥を斬ったという話は曖昧で人によって変わるんだな~事実かわかんないな~みたいな感じになってたから 長義が同じような話を聞いたら"山姥を切った"ことはアイデンティティにならないんでは と思う
ただ長義は山姥切の事実じゃなくて山姥切の名が大事な気がするから刀工のとこ行ったりするのかなぁ!?と思わなくもない

山姥切長義のことを考えるととうらぶさん…?となるんだけど
多くの本丸では山姥切国広の方が先に本丸にいて馴染みがあってもっといけば極にもなってて、山姥切国広こそ山姥切と呼ばれているわけ そんなところに山姥切国広を偽物くんと呼ぶ山姥切長義が監査官としてやってくるわけ…
これはわたしの解釈だけど
山姥切長義は別に山姥切国広のことを恨んだり疎ましく思っているわけではなくて、自分こそが山姥切であるというアイデンティティをこの状況で確かなものにするにはすこし不安定 それが長義のつらいところだろうなと思う
山姥切国広のことを山姥切国広と呼ぶことは長義にとって難しい問題なのでは
極山姥切国広は、自分にとって名は大事ではないという結論に至っているからなんと呼ばれるかは大事ではないと言うんだよね
それなのに山姥切と呼ばれているのは山姥切国広である 俺こそが山姥切なのに?……長義がどれだけ悔しい気持ちになるかと思うといたたまれなくなる
だから彼は国広を山姥切国広と呼ぶ訳にはいかないんですよね 自分のアイデンティティを守るために
いや~……この状況を作り出したとうけんらんぶさん
あと国広が極になってからのふたつの山姥切回想はほんと…
長義からすれば置いてけぼりみたいに感じると思うし、気持ちを考えるとつらい
長義の修行一番こわいかもしれん どこにアイデンティティ置くんだろう…

●手紙

・1通め
やっぱり書き出しに「主」はないんだなと・・・。ちょっとどきどきしてた。主って言われるかもと思って。言われんかった。
「送り出されてしまったのだから」→言い出したのは自分なのにと思ったけど、話しながらももしかして迷ってたのかな?と思った
大包平と同じ言い出しでドキーーとしたのは内緒です 「…話がある」
「この際、山姥でも切りに行こうか」→あ~~~~~~~~~!!!!!!!!!
山姥を切った逸話は長義のものではないため、自身は山姥切長義ではあるけど、山姥切ではなかった と自分で言ったのは初めてですよね?
問いかけられたけども、も、、、
あなたが山姥切と名乗るために山姥を斬る必要があるのでしょうか
私には答えが出せません

・2通め
「どこに行っても正当な評価を得ることができる気がしない。」
これ、実際あちこち回ったのかな。
きっと山姥切の逸話や、刀工や、ゆかりの地を巡ったのかな。
それでも自分が自分であると定義づけるに足るものを見つけられなかったのかな。
私は、今、彼が最も求めているものがなんであるかわからない。
だから教えて欲しい・・・
一人!?!?!だれ・・・!?

・3通め
大の字になった
そうか そうだね 初の刀帳台詞でも言ってたもんね 長義が打った刀であると
彼の一番のアイデンティティの置き場がそこであると定まったことがまず嬉しかった よかった

山姥切の呼び名についての話をこのように結論づけられると思っていなかったから、しばらくぼんやりしていた
ここで私の過去ツイートを引用します

足利に山姥切国広を見に行った時に考えたことなんだけど
山姥切国広は山姥切長義の写しだけど國廣の傑作と言われる所以、コピーじゃないところなのかなあと思っていて(刀剣に詳しくないので写しがなんたるかの話はできません、主観)
まるっと同じように写されたものではなく國廣さんのオリジナリティを感じるつくりになっていて(展示の説明を見てそう思った こことここ 結構違うんです、というところが多かった)
國廣さんは写しを作ってと言われたから写し作るけどそれ以上に自分の素晴らしい刀剣を作りたいと思って国広を作ったんだろうなあと思ったので
国広極の結論は国広らしいなあと思ったんだよね
調べたら写しでオリジナリティを出すことは普通です!かもしれないけど(調べなさいよ)
長義は写真でしか見たことないけど、全然印象が違ったんですよね
素人だからかもしれないけど
なんにせよ山姥切国広を見に行ってよかったなあと思った

あまりにも あまりにも これを彷彿とさせ、泣いた
「それに心を寄せた人間がいて、その傑作を写した、それだけのこと。」
私が刀を見たときに感じていたことが、伝わったような気がして、すごく嬉しくて・・・・
長義は最初から傑作だったし、そしてそれを写して作られた国広もまた傑作
それだけだったんだ 本当に最初からそれだけだったんだ
遠回りしたね私たち ここにやっと来られたんだなと思って
え!?!?!??!!
評定は終わってなかったんだ だから主って呼ばなかったんだ
え・・・・そうだったの・・・・
長義くんって優しいけど心の壁あるなって思ってたんだけど、そりゃそうだったんだな そうか・・・

ここ・・・・・まじで大泣き
ここで「主へ」もってくるのずるいでしょ 今読み返しても泣いた
長義くん、主だと認めてくれたら自分の生殺与奪の権を握らせてくれるんだ・・・・・・・気絶した
「君に総てを与える刀は、俺でなくてはならないからね。」
す、すごすぎる
刀を折る役目すら私にくれるの?いいの?
そこまで信じてくれるんだ
ここまで「私の刀」になってくれるの?そんな刀初めてで、私、私・・・・というか心当たりの一人って、わ、わわわわ、わ、わ、私!?!?!?!??!?あ、あ、・・・・・・
私ならあなたに正当な評価を与えられると?そう思ってくれたんですか
身にあまる・・・・と思ってしまったがそんなこと言ったら呆れられるかな
そうだね、あなたは傑作、私の刀
これからもよろしくね 帰ってきてくれてありがとう

●極

刀帳ページ見て泣いたよ
もうこれだけを言えば十分になったんだ

衣装めっちゃかっこいい~~~~~~
きっちりジャケット締めて帰ってくる男、大好き 助けて欲しい・・・・
いつも横に向いていた手が、前に、「私」に向いている うわ~~~~~~~~~~!!!!!!
近侍ボイスが全部やばくてうわ~~~!!!とかしか言えんくなってしまう
「与えられるものなら、いくらでも」になったのじーん・・・とした
「もてる者」だから与えるのではなく、あなたに与えたいから与えると、そうなったような気がするよ
甘い 声が甘い・・・
放置ボイスはちょっとかわいすぎる なんかすごく許してくれるようになった気がする・・・LOVE・・・・

そしてやっと近侍曲を聞いたんですけど、なんかもう最初の音で泣いた
この曲、山姥切長義!!!!(そうです)

●与太話

筆者は大包平のオタクなのですが、なんだろうな 私ずっと大包平と長義に近いものを感じていて
修行見送りボイスの
「弱い刀には修行が必要、そういうことかな」
「旅など、軟弱な剣のすることだ」
とか・・・ 初の時の求めるもの・すがるものの向き先とか・・・・
そんで、無事長義くんが帰ってきて「私のための刀」になってくれたわけですが、方向性は全然違うけども私が言ってほしかったことに長義くんも近いことを言ってくれて・・・勝手に近似値を感じて転げ回っています
名よりも、逸話よりも、あなたが俺を振るってくれることが俺を活かす(生かす)道であると そういうことを言われたような気がします
似てるけど似てないんだけどね
極めてより気が合うような気がしてきました

彼の名をなんと呼ぶか、ずっと考えてきた
彼は「山姥切長義」であり、その名は彼の苦しみでも呪いでもなく
ただ傑作がその名であっただけのこと
もう「俺こそが本科」と枕詞をつけなくても良い
傑作は傑作
国広とはまた違う、名の解決を見せてもらえたなと思います
彼が「くそっ!」とひとりで歯を食いしばったのを見てからずっと抱いていた私の悲しさも溶かしてくれました
ありがとう見せてくれて、山姥切長義

敬具


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