千年先も愛されていて、大包平
※筆者は刀剣に明るくありません。感情や印象の話しかしていません。ほぼ大包平の話のみです。
大包平の国宝指定記念日(6月9日)ということで、去年の国宝展の話をする。
2022年、東京国立博物館創立150年記念 特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」が開催された。
東京国立博物館に所蔵されている国宝をすべて展示します!というとんでもない催しだ。
私は刀剣乱舞の大包平を好きになり、いつか刀剣の大包平を見たい…と思ったその年にその機会がやってきた。驚いた。
大包平という刀は、大きく、軽く、美しく、そしてとても大切にされてきた刀剣だ。写真で何度も見たその刀を、実際に目にした時、私はどう思うのだろう。東京国立博物館に行くまでの間、ずっと緊張していたのを覚えている。
はりきって上野に早く到着しすぎてしまい、フォロワーと上野公園のスタバでお茶していると気づけば東博前に長蛇の列が形成されていた。迂闊すぎる。
チケット(スマホ)を握りしめ、入場した東博の中は、びっくりするほど人が多かった。ここにいる人たちはきっとそれぞれ見たいものがあって来たはずだ。何を見にきたんだろう。そんなことを考えながら展示品を眺める。
一度はどこかで目にしたことのあるものや、教科書に載っていたものなど、まるで有名人がたくさん並んでいるようだった。
先にじっくり見たかったので、刀剣の間(刀剣だけの展示スペースを作ってくれていたのだ)に向かう。
入り口で待っていた童子切安綱はどこかすましたような、シュッとした印象の刀だった。思っていたよりも大きいけど、線の細い印象。これが東西の横綱の一振りか…立派だ…と思いながら移動し、目で大包平を探した。
刀剣の間の入って右側、目に止まった刀、あれだと思った。
近づいて大包平の前に立った。すごく大きい。刀剣画報の大包平等身大ポスターを見ていたから大きいのは知っていたのに、実物を目にすると全く違った。
まず湧いてきたのが、つくりものみたい、信じられない、という気持ちだった。
まるで昨日生まれたかのように瑞々しく、美しい刀身だった。刀には詳しくないけど、一目で惹きつけられるような、立派な佇まいだった。
戦うための道具とは思えず、本当に美術品のように思えた(つくりものみたい、というのはそういう意味だ)。
とても千年も前につくられたものだとは思えなかった。
端から端まで美しく、こんな状態を保って千年も守られてきたという事実が胸に迫って涙が出た。どれだけ大事にされてきたのだろう。もちろん千年前のことはわからないけれど、当時もきっと今のように美しかったことと思う。
この刀身に誇りをもっているからこそ大包平はあのような刀剣男士なのだ、とこの時本当の意味で腑に落ちた気がする。
刀剣を見るということがやっと私の中で実感をもって結びついたと思う。本当に見に行ってよかったと思ったし、この機会を作ってくれた東博には感謝しかない。ありがとうございます。
もちろん、刀剣と刀剣男士は別物だ。イコールではない。それでも、この刀身から生まれたのだということを自分の目で見て、刀剣と刀剣男士を結び付けられる部分があったことは私にとって有意義だった。
それに、改めてこんなにも素晴らしいものから生まれた刀剣男士のことをより好きになったし、姿勢を正すような気持ちになった。いつでも敬意は忘れたくない。
国宝展に行く前に、大包平は修行に出た。(そのことについてはもうこちらで語り尽くしているので詳細は省く)
私は極めた大包平が「俺は、俺を評価する者に報いたい。ただそれだけだ」「俺は、俺を愛する者に報いたいだけだ」と言うのを聞くたびに胸が苦しくなる。きっとそれが大包平の全てだからだ。
大包平は、自分が受けていた評価を受け入れつつも、大きな逸話がなかったり、天下五剣には入らなかったりと、自分自身に不満があったのだと思う。それは、外(評価をつける人間)に対する不満ではなく、ずっと自分自身に対する不満だったのだと思う。
「旅など軟弱な剣のすることだ」とまで言っていたので、自分が修行に出ることに葛藤があったと思う。それでも修行に出たのは、ずっとあったそれらの不満を解消し、自分がより強くなるためだろう。
大包平は修行で、自分が不満に思っていた、足りないと思っていたことは決して劣っていたわけではないと理解した。自分自身が「人の心を輝かせる」もので、自身の輝きは大事にされてきたからこそだと思ったのだと思う。功績でも、逸話でもない。
「物が人の心を輝かせ、人の心が物を輝かせる」とわかったからこそ「主を照らす剣」になったのだ。いや、なったのではない。最初からそうだった。そうだったことに大包平は修行で気づいたのだ。
だから、大包平の本質はずっと変わっていない。私はそのことが彼が修行から帰ってきた日からずっと嬉しい。
大包平の修行を通して考えたことや感じたことが、刀剣の大包平を見たことでよりたしかな実感となった。修行が実装されたタイミングもこれ以上なかったと思う。
もうこれ以上言うことはないが、大包平のことが好きでよかった。
こんなに素晴らしい刀剣の主でいさせてくれることに毎日背筋が伸びる思いだ。
私はこの宝物みたいな気持ちをこれからも大事にしたいと思う。
大好き!!!!!!
おわり