正義の味方は、正義ではない

街頭で「ロシアは戦争をやめろ」と叫んでいる人がいる。
そんなことは俺達じゃなくて、ロシアに言えと、少しでも頭の回る人間なら気づくだろう。
つまりあれらは、そんなことにも気づけない、迷惑に騒がしいだけのスピーカーだというわけですが。

さておき
では、例えば彼ら彼女らが、現地に乗り込んで直接拳を振り上げたとして、それは果たして正義と呼べるのでしょうか。

(念のため)
ここでは、困っている人がいるとか、それで助かる人がいるとか、そういうことは保留にしておきます。
それで言うなら、敵国側と呼ばれる者達にも、それなりに戦う理由があるはずですから……

もちろん君たちが、苦しんでいる人達に共感して手を貸したいと思うなら、それは好きにすれば良い。
どちらか一方の『正しい』と思う方に加担する。
それを『間違い』などと決めつけるつもりはない。
だけどそれは、君たちが『正しい』と、世間から認められたわけじゃないことは覚えておいて欲しい。

正義とは多分、多くの人が『正しそう』と思う概念のことだ。
例えば今回の事変では、少なくとも私たちが日本国内で見聞きする限り、とある国が一方的に攻撃を仕掛けられていて、多くの人間が苦しんでいるように見える。
多くの人がそこに同情なりを抱いて、なんとなく『正しさ』という空気が醸成されていく。
こうして、私たちにとって共通の『正義』が生まれる。
少なくとも今の時勢で、敵国側を正義だと言うのは、極端な逆張り信者以外にはいないだろう。多分。

でも、それはそれ自体が正義なのであって、
正義の味方は、正義ではない。
少なくとも街頭で正義を叫ぶ大の大人達は、正義の味方に憧れるだけの、薄汚れたただの人間でしかない。
それは正義の味方ですらない。
なにせ、彼らが騒がしくわめき散らしたとしても、何も変わらないのだ。
せいぜい、通行人に舌打ちをされるぐらいだ。
正義に便乗して欲求を満たそうとする、害虫と何も変わらない。

とはいえそれは、かくいうこの記事もそうなのだけど。

彼らという迷惑な存在を敵にして、自分を正義に置こうとしている。
ロシアという敵国と対比することで、自分たちを潔白に見せようとしていた彼らと何も変わらない。
それに、共通の敵を作ることで、共感を得るという作戦は理に適っている。
だから、その考えや行為自体を否定するつもりはない。
というか無念なことに、私にその資格はない。

だけどせめてもう少し、マイクの音量を抑えて欲しい。

よろしくお願いします。