他者に頼る
先日、孤独を愛する、って言った舌先も乾かぬうちに、こういう話を書くのは矛盾していると思うのだが、私は矛盾した思考の持ち主なので書こうと思う。
バランスが取れてると思っておく。
依存先を増やす、って言い方が独り歩きしているところもあって、それはまたそれでどうなんだい、と思う。
依存をヨシとするのはやはり危険なかほりがするのですよ。
言葉ってほんと、意味が先鋭化する。特に書き言葉はそう。
選択肢を増やす、くらいで留めておきたい。
自分で全部やろうとしちゃうと、手が回らなくなって、比喩じゃなく目が回るのです。ぐーるぐる、おえぇぇ。
そこでやはり他者の助けが必要になるのです、が!?
誰に助けを求めたらええねん。
これがめちゃんこ難しい。
当たり外れが激しいのです。
そのなかでコスパとかタイパとか言い出したらもう砂漠でダイヤを探すってやつです。
やってみなくちゃ分からない。運もある。
んで、これまた弱者ビジネスみたいなのが、ごまんとある。
そうして、人間弱ると見抜けなくなる。それは幼児教育にも妊娠中にも介護の世界にもほんと腐るほどあるし、実際クサクサである。
が。全部悪でもない。
元気なうちに調べといて、転ばぬ先の杖を準備しておいたらいいのかな。
あとは、頼れる人とか、頼れる人に別の頼れる人を紹介してもらうとか。
ギブ&テイクじゃないけど、ちゃんと普段からギブをしておくことも大事だと思う。
助けてもらった人は助けたくなる。お互いさま、みたいな。
要するに難しいのです。
自分で全部やろうとすると詰むし、他人に頼ろうとしても誰に頼ったらいいか分からない。道具に頼るのもいいんだけど、食洗機は使えてもルンバはうまく使えなかったりする。
上手に他人に頼る、上手に甘える、的確な指示を出す。
受動的に助けてもらうのを待ってても、もう大人になったら泣いてても手を差し伸べてもらえることは難しくて、助けてください、と言えることが大事になってくる。
そもそも、自分は誰かに助けてもらう必要があることを認めること。
…難しく考えすぎかなぁ。
意外と助けてくれる人はそのへんにいたりするかもしれないし、目の前に困っている人がいたら助けたくなるものかもしれない。
誰か1人に頼ろうとするから、その人への負担が大きくなる。だから色んな人に助けてもらう、ってことなのかな。
それは逆の立場でいうと、自分1人で助けようとするからしんどくなるから、周りを巻き込む、ってことでもある。
助けられたり、助けたり。
そういう関係が長続きするコツなのかしら。
なんてことを、考えています。