12/14日記 昨日 華氏451度 と チ。 を読んだ

昨日華氏451度を読んだのだが感動したので日記を書こうと思った。

もちろんこの小説もすごい良いけど
今偶然にも「チ。」という漫画がアプリで無料で読める期間だったので読んでいたが、明らかに華氏451度にインスピレーションを受けている作品だったので相互作用で面白くなった。

一緒にインスピレーションを受けたものをすぐ読むってことは偶然とはいえ初めての体験だったけどこれは面白かった

華氏451度を先に読んでたのも良かった理由かもしれない
小説を読んだ自分の考えと 漫画を読んでこの作者はこの小説でこんな感動を持ったからこの漫画に書いてるんだろうなと思うようなことがあった

ちょっとネタバレになるけれど人類として知性を持ってどう生きていくべきか 人生の意義 歴史のあり方 人間のあり方
を考えるのにすごい良い話だった

この哲学的な内容はチ。では後半になればなるほど色濃く出てくる内容であるためアプリのコメントで(文字の量が多い)というものも見受けられた。

しかし、このコメントは華氏451度の方で簡略化された娯楽に興じる人類の哀しさを表現していることに現実がリンクしていてとても面白い。
考えることを放棄した人間の愚かさを表現した本が元になっているであろう漫画の読者がそんなことになっているなんて
このチ。では考えることについては小説ほどは触れていないため歴史書を読むように読んでいる人間には伝わらないことなんだろうなと、感動を頭の中で処理しないと伝わりにくいことであると改めて感じた

かくいう私もこんな文章を書いて自分の中にある面白かったという感情を落ち着かせようとしている
散文だなあ

チ。の本を書くシーンに特に考えていなかったけれど影響されたのかなとも思う。

まあこの本たちはすごい考えることを言語化していて面白かったすごい
私も頭で色々考えては悩む人間だった
でも限界が来た、この世界はというか人付き合いをしていくことは頭でっかちで考えることと生来のネガティブさが合わさることで恐ろしいものになってしまった。

ある意味暴君になる素質がありそうなものだが
(これは自分が王とは疑心暗鬼な性質と狡猾さを兼ね備えていると思っているからだが)

ある時から考えることをやめてしまった
そう感じるくらいには思考を放棄 とまではいかないが思考する量が減った

これは技術の進歩により娯楽に費やす時間が増え壁にあるモニターを見ているからなのか
それとも考えていると疲れてしまうから怠惰が出るのか

実際考えることをやめてから心は軽くなった
いつもキリキリ全てのことを考えようとしていた自分はいなくなり
そして以前よりちょっぴり世界に感動しなくなった
大人になるということはこういうことなのだろうか?

感情豊かではなくなったとは思わない思考に名前がつき認識できる感情が増えたと思う
ではなぜそんなことを感じるのだろうか

こんなことを考えているということは自分の思考能力は衰えていないのかもしれない

こうして適当に思いを書き出すことや静かな思考するための時間の大切さを身をもって実感している
全くもっていい本たちに出会えた

素敵なことだ

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