毎日できなかった、と挫けるよりは、毎日に近づいた、と考えたい
あー。
人間、色々あるよね…
お仕事終わってそのままベッドで横になったら夜中で「あれ、私のアフター6のやりたかったことは…?」とボーゼンとすること…
あるよね?!
私だけじゃないよね!?
と、こんな時にけっこう
「私、できなかったわ…ダメ人間じゃん…」
ってなってしまう人もいると思います。
んーーー!
これは5年前の私かな!?
私自身、今でも時々「なんだよ、あんだけ言ってたのにできなかったんかい!」ってやりますよ。「ダメ人間じゃん!」って…。
特にお昼のためにおにぎりを握っていこうと思っていたのに、朝起きたら結構ぎりぎりでお米炊いたまま家を出る時…!
(え、そんなことない…?あ、あるよね!?)
「やっちまったーーー」、という思いと「ああもう、私ダメ人間…」という落ち込みと。
あるよ!人間だし!
ただ、最近は「昨日はできたんだから、今日できなくても明日はできるんじゃね?」とか「昨日と今日とできなかったけど、明日できるさ!」とか前向きになってきた気がしております。
というのも。
ダメだった、と嘆くのは建設的じゃないよね?
トータルで見たときに毎日に近づいていけてたらいいんじゃね?
と考えることが増えたんです。
後ろ見ててもつまんないし!自分の物語を書いているとしたら、谷があってから山があるのよ!と思えたりして。
この辺りは創作クラスタの思考回路ですね。
面白いプロットは、ちゃんと落としてから上げるのよ…と。
物語を語るうえで、谷がない平坦な道というのは実に語りにくいんです。
平凡な日常の中の小さなあれこれを取り上げるような物語だって、谷と山があるはずです。
だから、物語という視点で考えたら。
「今日はできなかったかもしれない。でもやりたい、という気持ちがあるんだから明日はきっとできる!」
となるわけです。
…その方が主人公らしいからw
私は、FF10のティーダが「これは俺の物語だ!」って言ってたことを自分にも置き換えて捉えるようになってました。
「私は私が主人公の物語を紡いでいる」と。
同時に、「物語には終わりがある。だからこそ美しい」説を推しています。
仮に。
私の人生という物語が突如として終わりを迎えたとしたら。
…私のそれまでの人生は主人公らしかったんだろうか?と。
もちろん、いろいろなジャンルの作品があって、その中の多種多様な主人公がいます。
だから、どんな私でも主人公足り得るでしょう。
でも。
それは本当に私が書きたかった物語か?
と問いかけるとちょっと違うな、と思います。
そう、私はもう少し、「毎日やる」とか「定期的にやる」をしっかりとやれる主人公の方がいい。
だから、そういう主人公になる過程であると自分に言い聞かせているのです!
毎日できていなかった、よりも、毎日に近づいた、と思える自分になっていきたい、と思ったりするので。