【vol.5-3 2022秋号】カタールワールドカップ、ジョガボーラ、真剣勝負、尊重があればそれはサッカー!
12月に入ってしまいました。もう完全に秋とはいえないのですが、12月までを秋号と決めたので、一応、秋号としてお送りします。今回の記事は、取材記事というよりは、最近のいろんな出来事、過去の出来事を絡めて、自由に語るスタイルでいきます。エッセイ扱いでいいかな。無料ですが、エッセイ扱いでいっちゃいます!それでは、スタートー!!
さきほど、カタールワールドカップ2022の決勝が終わり、アルゼンチンの優勝で幕を閉じた。序盤しか見ていないが、なんだかんだと日本代表も思っていたよりずっと盛り上がったし、ワールドカップも開幕前の雰囲気からすると、びっくりするくらいに皆が熱狂できたんじゃないかと思う。
優勝したのは南米のチーム。解説などを聴いていると、どちらかといえば、フランスは世界選抜だ、とか、フランスの方が強いような声が大きかった。海外のサッカーはあまり見ない私だが、グリーズマンのプレーは前から好きで、楽しみにしていたのだが、序盤を見る限りは、良さが完全に消されていた。スコア的にみるとエムバぺがあとで大爆発して、最終的にPK戦になったようだが、グリーズマンのプレーはその後どうだったんだろう。眠ってしまったので、結局まったく分からない。
さて、南米のサッカーと言えば、欧州の組織的なサッカーと対比され、情熱的で躍動感のある、自由で創造的で個性が爆発すようなイメージがある。ブラジルでは、ストリートサッカーの文化の話がたまに出てくるが、アルゼンチンはどうなんだろう。
私自身は、中学生からサッカーを始め、中学生の時は金曜日の夜と、日曜日の午前に社会人女子チームでサッカーして、他の平日などは、部活動でソフトボールをやる生活を送っていた。本当はサッカーがやりたかったけど、部活にないから、仕方なくソフトボール部に入ったのである。私は小学生時代にJリーグが開幕し、清水エスパルスに熱狂し、大興奮したり、負けてひどく落ち込んだり、一喜一憂する日々を送っていた。もしかしたら、好きの度合いだけでいうと、小学生時代が一番だったかもしれないと思うくらいだ。サッカーの文字がみつかれば、あらゆるメディアの文章を読んだし、良い選手のプレー写真があれば、切り抜いてスクラップ集を作ったりした。サッカーをする時間は少なかったが、独特のサッカーとの関わり方で、サッカー愛を爆発させていた。だけど、本当は、自分自身もサッカーをしたかった。だけど、自分が女であるということは、案外ネックになっていて、小学校の少年団で、1人紅一点でプレーしている女の子はいたけど、その子はものすごく運動神経が良く、ボーイッシュではつらつとしていてカッコよくて、男の子の中に混じってもサマになっていた。小学生ながらに、私は、男の子の中に混じって、そんな風にはなれないだろう、というのは充分すぎるほどわかっていた。少年団のような集団生活どころか、普通の学校生活ですら、若干、他の子どもよりのんびりペースで、どんくさかったので、サッカーは大好きでも、気軽にやり始められるわけではなかったのだ。
中学生になって、練馬から千葉に引っ越すことになり、それをきっかけに気分新たに、サッカーを観るだけではなく、「サッカーをしたい!!」という気持ちはむくむく沸き上がった。学校の先生に「女子サッカー部をつくってください」とお願いしたこともあった。でも受け入れてもらえることはなかった。両親が電話でサッカー協会に問い合わせてくれて、千葉市の社会人女子チームとつながることになった。学校とは雰囲気が違う、社会人のお姉さんが沢山いるチームに、下手なうえに中学生の私が混ぜてもらうことになった。中学生は他にもいたけど、バリバリの経験者で、社会人のお姉さん方ともほぼ対等みたいに喋れるような強者の中学生しかいなくて、ホントにガチの初心者中学生は私だけだった。あきらかにレベル差はあったから、プレー面で沢山の迷惑をかけまくったと思うが、車で送迎してくれたり、良いプレーがあれば褒めてもらえたり、頑張れば頑張った分、認めてもらえるような有難い環境だった。良い環境だったのだけど、「もっと上手くなりたいな」「毎日サッカーしたいな」という気持ちが沸々と湧いて、自分1人で、高校では女子サッカー部のある学校に進学することを決心した。
いざ、入学してみると、今まで経験したことのないような、ピリピリムード漂う環境が待っていた。社会人チームでも関東大会出場を目指したりするチームではあったのだが、「関東!関東!」ってそこまで言う感じではなく、まずはサッカーを楽しもう、そして上手くなろう、そして関東行こう、みたいな、なだらかなステップで、もうちょっと和気あいあいとしていた。でも、高校の部活動は、なんだか関東大会出場とか全国大会出場とか、そういった成績のことがものすごく前面に押し出された雰囲気で、私はその雰囲気に飲み込まれ、正直あまりついていけていなかった。そして先輩からも同学年からも、かなり厳しい態度で接せられ、最初の1年目なんて、もうサッカーボールを見るのも嫌になるくらい、サッカーを好きな気持ちが消えていた。「サッカーって楽しむためにやるもんじゃないの?」という疑問が胸の奥にあったけど、そんなことを言い出せる空気は全くなかった。
しかし、2年目に入ってからは、嫌いとはいえ毎日サッカーをしているものだから、多少は上達し、ちょっとは周りにも認められるようになって、部活動の厳しさの中でも、サッカーを楽しめる気持ちも湧くようになってきた。新しく就任した顧問の指導も素晴らしく、それも良かったんだと思う。関東大会や、U18トレセンの大会も経験し、みんなに存在を認められながらであれば、真剣勝負のサッカーも最高に楽しかった。私がこのサイトを生み出した原体験といえるかもしれない。どんなに勝ったり優勝したり、巧いね、とか言われたって、「自分のありのままの存在が認められていない」雰囲気の中で、結果だけ出ても、実はそんなに嬉しいものではないし、本音はチームの結果なんてどうでもいい、私なんてどうせ・・・みたいなネガティブな気持ちが残るものなのだ。逆に、下手でも、結果がなかなかでなくても、負けても、周りのみんなとくだらないことで笑いあえるような、「自分の存在が認められている」という感覚があれば、「このチームで頑張りたい」とか「このメンバーの為に頑張りたい」とかって気持ちは自然に湧いてきて、その延長線上に、勝ちたい、優勝したい、上手くなりたい、が出てくるということなのだ。しつこいくらいに、「サッカーは自分も他人も尊重しないと成り立たないスポーツ」と伝えたがるのは、そういう経緯がある。一見、サッカーが成立しているように見えたって、誰かを排除していたり、自分が大切にされていなかったり、そんな雰囲気の中で勝ったり優勝したり巧くなっても、それは本当の意味でサッカーが成立しているとは私は思わないのだ。
前置きがとっても長くなった。ワールドカップのアルゼンチン優勝の話から、南米のストリートサッカーの話に転じて、そして私の中高生時代のサッカー体験を語ってみた。読者の皆さんからしたら、なんだか、話の展開がわけわからんといったところかもしれない。
これは極論かもしれないが、私は、正直に言ってしまうと、「結果」にあまり興味がない。関東大会出場、とか、全国大会出場、とか、そういうことに、何が何でも、という気持ちが正直あまりない。こんなこと言ってしまうと、昔のサッカー仲間にとても失礼なのかもしれないが・・・。いや、「真剣勝負」の場は、本当に最高だったし、真剣勝負の場になれば、もちろん、勝ちたい、もっと上手くなりたい、そんなことは思ったよ。めちゃくちゃね。すごくいい経験させてもらいましたよ。だけどね、ずーーーーっとサッカーしてきて、私が何より求めているのは、サッカーで得られる結果としての称号とかではなくて、どこまでも「サッカーのある日常」なんだな、って、だんだんと、じわじわと、分かってきた。「毎日サッカーやりたいな」「毎日ボール触ってたいな、蹴ってたいな、遊んでたいな」、それが私が欲しているものなんだなっていう本音を、長い時間を経て、ようやく気付いたのだ。
Twitterを通じて、ブラジル在住のサッカージャーナリストのミカさんが、頻繁に「ジョガボーラ」という言葉を使って、その魅力を発信しているのがずっと気になっていて、熱心に読んできていた。ブラジルのストリートサッカーのことを、ジョガボーラっていうらしいのだ。つい最近だって、こんなツイートでブラジルの日常を伝えていた。
私、こういうの、やりたい。私が本当にやりたいことってこういうことなんだ。ボールを蹴りあってお互いを認め合ったり理解しあったりできるような。ブラジル行け、って言われるかもしれないけど、私は日本でやりたい。もちろん、本当にストリート(道路)でやったら、怒られてしまうけど、たまたま近所の小学校の照明付きグランドに空きが出たので、いよいよ、本当に、ジョガボーラの場を作りたい!!と思って、動き始めている。それが直前の投稿の話なんだけど、ここでもシェアする。
⚽申し込みGoogleフォーム
https://forms.gle/EMGngs4aR9Mw6wbz5
上記の画像は、プレイベントだけど、4月以降は毎週火木で活動していきたいと思って準備している。ジョガボーラのある日常が、楽しみで仕方ない。
さて、私のサッカーの原点として、大切なチームをもうひとつ紹介したい。大学生の時から関わっている、群馬県の「FC高崎POPOLARE」というチームだ。以前にも紹介して記事にしたことがある。
実は、昨日も、高崎市民大会に参加させてもらっていた。2年前に脳梗塞を発症し、サッカー活動を控えてきた私だったが、2年以上ぶりに、昨日は後半頭から15分、試合に出場までさせてもらった。もちろん、病気前のようなプレーはできなかったわけだが、それでも「真剣勝負」の中に少しだけ混ぜてもらったことは、本当に嬉しかった。
「FC高崎POPOLARE」は、お互いの存在を認め合うことの素晴らしさを教えてくれた、かけがえのないチームだ。サッカーで傷ついてきたことも多かった私にとって、「FC高崎POPOLARE」で、ボールを蹴りあう中で、存在を認められていくような経験は、本当に貴重で、このチームから学んだことが沢山ある。途中、やめたこともあったけど、戻ってきても、暖かく迎え入れてくれたチーム。「尊重」「リスペクト」といった小難しい言葉を、冗談言いながら当たり前のように実現しているチーム。このチームの出会いも、きっと、「女子サッカーに耳をすまして」というサイトが生まれた裏側にしっかりと存在しているような気がする。
・・・というわけで。このサイトをきっかけにして、皆さんとお互いを認め合い、理解しようとしあい、素晴らしい関係性を、これからも作っていきたいです。サッカーはボールひとつでつながれる、なんてよく言うけど、もしかしたら、ボールがなくたって、つながることができるのかもしれません。サッカーから学べることは沢山ある。闘う姿勢、勝つこと、も、もちろん大切な要素だとは思いますが、私は、お互いを認め合い、理解しようとしあい、協力し合う、尊重の要素、に力点を置いて、これからもサッカーと関わり続けていきたいです。それって、別にボール無くてもできますよね!ボールがあると分かりやすいだけで、ボールがなくても、ボールがあるかのように、お互いに認め合い、理解しようとしあい、協力し合い、尊重しあい、を日常の何気ないことから、実践していけばいいような気がしているんです。ボールが無くてもサッカーできる。極論、私はそう思ってます。リスペクトのあるコミュニケーションが、そこに存在しているなら、もうそれはサッカーだ、と。飛躍しすぎかもしれないけど、私はホントにそう思ってます。
言ってる意味が分からない、という方。是非、一緒にボールを蹴りあいましょう。ジョガボーラしましょう。遠方で会うのが難しい方は、ジョガボーラの場を、近所で作ってしまえばいいんです。「サッカーのある日常」「ジョガボーラのある日常」、つまり「リスペクトがあふれる日常」を、みんなで一緒につくっていきませんか。
そんな素晴らしい未来につながるように、毎日を積み重ねていきたいし、みなさんとコミュニケーションしていきたいです。これからも、耳すまを、何卒よろしくお願いいたします!
完