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メンヘラが自分を救うこと┊︎私が「幸せになる覚悟」を持った話

「メンヘラ」とは、何らかの精神疾患を抱えている人や、抱えていると思われる人を指す、近年ではよく話題になりやすいネット用語だ。
精神的に不安定で、他者への依存度が高く、いわゆる「かまってちゃん」の寂しがり屋であることが多い。

そんなわたしも、お恥ずかしながら、メンヘラである。

元々持っている不安感の強い気質、幼少期に家庭内が荒れていたこと、学校や仕事や恋愛など社会の中で人との関係性を上手く築けなかった経験が多いことなど、元々ある気質が、主に対人関係などの環境要因によって加速し「メンヘラ」になったのだと考えている。

この記事では、メンヘラが自分を救うことについて話していきたい。


1.「寂しさ」や「孤独感」は当たり前の感情


心理学者のマズローが、人は絶えず自己実現に向かって成長する生きものと仮定し、人間の欲求を理論化した「欲求5段階説」というものがある。

マズローの欲求5段階説

一番下の生理的欲求から上に向かって順にクリアすることで、最終的に自己実現に達するという理論だ。

わたしが思うに、メンヘラは、この「所属と愛の欲求」「承認欲求」を叶えられない困難さから、「寂しさ」や「孤独感」を抱えやすいパターンが多いように感じる。

例えば、「家族や友達がいなくて頼れる人がいない」「学校や職場の中で居場所がなくて辛い」「大好きな人に大事にされず苦しい」など、色々あると思う。

これらが人間の自然な欲求であることから、それによって表出される「寂しさ」や「孤独感」とは、メンヘラに限らず、人間にとって、当たり前の感情であることが分かる。

しかし、メンヘラはその感情表出の仕方に不器用さと課題がある。
その行動パターンによって周囲の人を強く動揺させたり、傷つけたりすることで、対人関係を悪化させてしまうことになりかねない。
すると、さらなる孤独感や自責感を生み、悪循環に陥ってしまう。

2.心の傷を癒やすためには「安定化」させる


寂しさや孤独感を長期的に抱えたり、そのメンタルに不運が重なって問題や悪循環が生じたりすると、心の傷(トラウマ)を抱えてしまうことがある。

わたしは専門家ではないが、ここでは、わたし自身が精神科に通院し、カウンセリングを行っていく経験の中で、教えてもらい、学んだことを話していきたい。

まず前提として言われるのは、耐え難いほど一緒にいて傷つけられる人や苦しい環境とは離れることだ。

しかし、メンヘラは苦しい環境や状況から自分の力だけで離れることができない場合が多く、依存していることもある。
そこから離れるためには自分を救うためのとてつもない勇気が必要になるのだが、このことは最後のまとめで触れていく。

そして、勇気を持って過酷な環境から抜け出すことができたら、次は、そこで受けた心の傷(トラウマ)を乗り越えるために、

・まず、心の傷(トラウマ)は乗り越えられる日が必ず来るということ、しかし、時間がかかることを知っておく(すぐに解決しようとしない)

・その代わり、今の落ち着いた生活、一緒にいて傷つかない人との関係性を続ける(安定化)


まずは、落ち着いた生活を安定化させることが重要だと学んだ。

3.わたしのメンヘラエピソード


わたしも、メンヘラが加速してから、依存関係が生み出す破滅的な恋愛の典型的なパターンを繰り返してきた。
これは、繰り返すたびに傷つき、脳で学習し、"どうせまた上手くいかない"という悲観的な思い込みが生まれ、悪循環に繋がる。

主なわたしの行動パターンは、自分は無価値であるゆえ相手に失望されて捨てられると勝手に思い込み(被害妄想による見捨てられ不安)、耐え難い恐怖と苦しみを感じる。
そして、それが現実になってしまう前に自分から捨てようとする(防御反応)という、理解しがたい行動を取ってしまい、自責感に苛まれるといったものだ。
メンヘラではない人からしたら、信じられない話だと思う。

そして、それに振り回される周囲の人からしたら、心の底から「まじ勘弁してくれ。」なのだが、当時は、自分で自分の感情や行動をコントロールできないことを深く反省し、思い悩んだ。

4.傷つかない人との関係「大事にされる感覚」


今の彼氏は、精神的に自立している大人だ。
それに対し、メンヘラのわたしは感情がジェットコースターのように激しい子どもだ。

彼氏にも散々迷惑をかけてしまい、申し訳なく思っているのだが、そんなわたしを見捨てず、大事にし続けてくれた。
自分にとって、恋愛における対人関係で「心から大事にされている感覚」がしっかりあるのは、初めてだった。

そして、一緒にいて傷つかない、自分を大事にしてくれる人たち(彼氏、友達など)との関係性を築き、落ち着いた生活を「安定化」させたことにより、心の傷は少しずつ回復していった。
耐え難い寂しさや孤独感を感じることも、それによる被害妄想的な行動も、ほとんど無くなったのだ。

5.まとめ「幸せになる覚悟」


わたしは、メンヘラを卒業した!


と思っていた矢先、それはまた悪魔の如く現れた。

彼氏との結婚の話が出てきた頃だった。
結婚は、誰にでも当てはまる幸せの形ではないと思うが、わたしにとっては幸せなことで、叶えたい夢だ。

しかし、信じ難いことに、結婚が現実的になるにつれて「わたしは、みんなみたいに、そんな大きな幸せを叶えられるような人間じゃない」と自分を偏った見方で過小評価し、絶望し、号泣し始めたのである。
あらためて、メンヘラが発揮された瞬間だった。

そうした中で、背中を押してくれたのは、自分にとって意外な人物であり、寡黙な父親だった。

わたしは何となく、思いつきで、結婚に対する不安感をその場にいた父親にラフな感じを装い、話してみたのだ。
父親は彼氏とも何度か会っていて話をしているし、人柄も知っているからだ。

そして、普段、あまり他者には関心の無さそうな父親が口を開き、「あんなに良い人とはもう出会えないと思うよ」と本音を語り始めた。
父親がだれかをこんなに褒めるところを見たことがなかっため、驚いた。

続いて、「色々不安はあるかもしれないけど、今あるこのチャンスを逃したら後悔する。覚悟を決めて、行ったほうがいいと思う。」と強く言われた。

そこから、自分にはずっと今まで「覚悟」が足りていなかったことに気づいた。


それは、「幸せになる覚悟」だ。


先程、「わたしは、みんなと同じように、そんな大きな幸せを叶えられるような人間じゃない」と言ったが、今まで苦しい思いをしてきた分、幸せになっていいはずだし、みんなと同じように、わたしもまた、幸せになっていい人間だ。

幸せから逃げない。幸せに素直に向き合うこと。

これは、メンヘラが苦しい状況から依存している自分を救うためのとてつもない勇気とも言える。
そして、結婚は未知だが、自分だけでなく、相手の人生も一緒に担う、責任のある行為だとも思う。

わたしは思い立ったらすぐに彼氏に電話をした。
「やっぱりわたしは、あなたと結婚したい!プロポーズお願いします!!!」と、不器用なわたしらしい、逆プロポーズとも言えるようなド直球過ぎる告白をしたのだった。


メンヘラのわたしは「幸せになる覚悟」を持って、堂々と、自分の夢を叶えて生きていこうと心に誓ったのである。



最後に、わたしはこれまで自分を救うために努力をしてきたが、いつも変わらず大事にしてくれた彼氏の存在が大きく、そしてここでは書くことができなかったが、友達や家族や病院の先生の存在も、良い影響を与えてくれた。
自分が幸運であることを自覚し、これからも大事にしていきたい。
そして今回、特別ゲストとして、背中を押してくれた父親にも感謝したい。


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