相手の自尊心を傷つけない配慮
コミュニケーションをとるときに、相手の自尊心を傷つけない言葉の選び方が大事だと思っています。
自尊心を傷つけない = 相手が受け止めやすい なのだと思います。
自尊心を傷つけられるかもしれないと感じると(これはほとんど無意識に行われます)、とっさに防御にエネルギーを使います。
それは自分を守るために必要なこと、ですが、本来伝えたかったことを受け取る余裕が少なくなってしまいます。
それを防ぐために、最大限の配慮をする人間でいたいと思っています。
その大切さを最初に教わったのは、大学院での実習でした。
とある大学病院で、認知症のテストを担当してました。
認知症のテストでは、一度説明したやり方を、もう一度説明するタイミングがありました。
認知症が進んでいる方だと、ついさっき説明したことでも忘れていることがあるので、すべての人に説明を理解した上で取り組んでもらうために、すべての人に2回説明することになっていたのだと思います。
でも、単にもう一回説明すると、「この人は忘れているかもしれないからもう一回説明しておこう、と検査者に思われたんじゃないか」といった疑念や不安、時には怒りの感情が出てきてしまって、関係性が悪くなってしまうことがあります。
特に、認知症かもしれないと病院にいらっしゃる方ですから、家族やまわりの方から「さっき言ったことを忘れている」などとさんざんいわれて、傷つきや悲しみを抱えている人が少なくありません。無理やり病院に連れてこられている方もいます。まわりから大切にされていない感覚を抱いていると、あらゆることに疑心暗鬼になります。
だからこそ、あえて「ルールなのでもう一度説明します」と付け加えるのだと教えてもらいました。
けしてあなたのせいではないですよ、ただのルールですよ、という言葉を添えてあげるだけで、ずっと受け止めやすくなります。
こうした視点を教わってから、なるべく、相手が受け止めやすい言葉を添えることを意識するようになりました。
あなたが悪いのではない、こういう風に心配だから、こういう風にしてはどうかと私は思うけど、あなたはどう思いますか?
抽象的にすると、たぶんこんな趣旨の言葉を並べるようにしていると思います。
もちろん、こちらが想像にも及ばないところで自尊心が傷つけられたと感じる人もいるので、完璧にはいきませんが、でもできるだけ意識した言葉選びを常にしたいと思っています。
同じことを言うにしても、言葉選びをもっと工夫すれば相手が受け止めやすいのに、と感じることが社会の中で本当によくあります。
こうした視点を義務教育で教わったり練習できたりすると、自分もまわりもずっと生きやすくなるのではないかと思います。