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「~しましょう」「~してみましょう」が苦手です

久しぶりの投稿です。
先週コロナワクチン(1回目)を接種したのですが、丸3日寝込み、その後は徐々に回復してきたものの、まだ本調子ではなく…。
書くことはもちろん、読むこともほとんどできていませんでした。
今の時代を生きることは本当に大変です。
みなさんも気を付けてお過ごしください。


さて、久しぶりのテーマで書いてみたいと思ったのが、「~しましょう」という表現についてです。
これがどうも苦手で。。
仕事で文章を書くことがあるのですが、「~しましょう」に直されるとめちゃくちゃ抵抗感があります。

どうしても押し付けられている感じがするんですよね。
こうすることがいい、こうすることが正解、こうしないのはよくない、みたいな裏メッセージがどうも強い気がして。
しかも、「いやです」「したくありません」と言いづらい…。
一見やわらかい表現なのに、見えない圧をすごく感じます。


そもそも、「~しましょう」という表現を使う必要って、ほとんどないような気がするんです。

たとえば、私はメンタルヘルスに関する相談対応をすることがありますが、「精神科を受診しましょう」とは死んでもいいません(言っているカウンセラーは結構いると思いますが。)。
お伝えするのは、「精神科を受診するとあなたにとってこんな良いことがあるのではないかと私は思います」ということだけ。
その上で、選ぶのはご本人。
受診に対する不安な気持ちなどはもちろんお聞きしますし、総合的に考えて今は受診しないという選択ももちろん尊重します。
それをご自分で選ばれたということがとても大切なことだと思っています。


「~しましょう」は相手の選択する力を奪うし、対等な関係を崩す。見たり聞いたりするとゾワゾワします。
伝えるべきは、「~しましょう」ではなくて、こうするとどういう良いことがあるのか。その情報があることで、本人にとってその”良いこと”はどれほどの価値があるのかを判断できるようになり、優先順位をつけることができるようになります。
「~しましょう」はその理由を説明することも省略していて、手抜きの表現だとすら思います。


この世の中に、絶対の正解はありません。
あえていうなら法律ですが、法律も、それなりの理由や歴史があってできてきたもの。変わりうるものです。
まして、法律以外のことで、絶対守らなければいけないことも、絶対の正解もないと、私は思います。

良いこととされているものにも、たいてい裏面があります。
たとえば精神科を受診するのだって、医者との相性もあるので傷つくことがゼロとは言えないし、医者に説明するときにつらいことを思い出さないといけないかもしれない、まわりの目も気になるかもしれないし、精神科を受診した方がいい状態らしいという現実を受け入れるのがつらいときだってあります。
絶対にそうした方がいい、なんてことはないと、私は思います。


結論。
「~しましょう」という表現に出会ったら、私のことを大切にしてくれていないな~と、スルーする。
これです。

自分で「~しましょう」という表現を使わないようにすることはできます。
でも、出会うことは当たり前にある。
優等生的に生きているほど、「~しましょう」の圧を強く感じるのではないかと思います。
少なくとも私は結構気にしやすくて、「~しましょう」ができていないと、自分はダメだと自己嫌悪になったりしていました。

一見、「~しましょう」って優しいように見えるし、自分のためを思って言ってくれているような気がするし(実際言っている側はたいていそう思っています)、ないがしろにしてはいけないような気がします。
でも、やっぱり自分のことを大切にしてくれていないよな、だからその人との関係が悪くなっても別にいっか、と思えるようになったら、少し楽になりました。


自分に優しい言葉に囲まれて生きていきたい。
そして、優しい言葉をたくさんプレゼントできるようになりたい。

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