Youtubeの片隅に
ふとパソコンから目をそむけると、目に映る大好きなランプや花、キャンドルホルダー。
7月になったばかりでも、お風呂上がりには長袖を着ることが心地よく感じる夜です。
今日少しアウトプットができたことがあったのでそれを記録しておこうとnoteを開きました。
昨日たまたま見つけたyoutubeチャンネル…
画面にはすごく可愛らしい方とこれまた可愛いで埋め尽くされた生活や旅の様子を観ることができます。
以前ならこういうキラキラした雰囲気の人に出会うと生まれたのは黒くドロドロした感情でしたが、今は全くの無傷といっていいほど特別な感情が湧くわけではなく、youtubeで得た情報を誰かと共有しようというだけのとても健全な気持ちだけ。
むしろ、もっと逆の気持ちというか、すごく満たされた気持ちがあることにも気づきました。
たまたま旅先に選ばれていた北欧、フィンランド🇫🇮
映像の一つ一つに感動と喜びが散りばめられており、素直に見ていて楽しかったのですが自分の中には “あぁ、もうこのキラキラした感覚は得られないかもしれない” という現実も同時に湧き上がりました。
誰かにとってはとても贅沢な思いかもしれないこの複雑な感情も、幸いなことにすぐに共有し消化することができました(感謝✨)
その方は1番住みたいって言ってたけど、スウェーデンもいいよってすごく言いたい変なライバル心を抑えつつ…
ここでとある疑問【人はなぜ日常生活をSNSで共有したいという気持ちを持つのか】が湧いてきます。
先に自分の理想を言うと、私のパートナーみたいに何でもかんでもだれかと何かを共有したいという気持ちを持たずして、誰かの反応ありきではない自分の満足や記録のためだけにインターネットを使い発信する。それがたまたま誰かの目に止まって、たまたまフィードバックを受けるみたいな。そんな感じです。
もちろん収益やお仕事として成り立っていることもあると思うので一概に一括りにすることはできないけど、写真を撮ったり何かを経験したりすることを全て共有しなくても過ごせるような意識をもっていたいないと思うのです。
でも、それだと日常生活の刺激ってどこから得られるんだろう?という反対の疑問も湧いてきて。
他者の存在ありきの状況に慣れている自分ならではの疑問だなと思いつつ。
そこでたまたまyoutubeを観ていて白羽の矢がたったのが、映像の中に紛れていた日常生活を送っていた人たちです。
主役の人が映る背景に、自分の時間をしっかり生きている人たち。
私はそういう人たちになりたい。そしていつか自分の知らないところで、私が思うように “あんな風に生活を送りたいな” って思ってもらえたら幸せだなと思います。自分ではわからないから自分で勝手に想像するしかないんだけど(笑)
いずれにしても、やっぱり他人からどう思われるか関係なく自分の時間を過ごすってのが大事なんだということに行き着いちゃいますね…
こんなことを思っていると、日々の生活の中で撮った写真や動画を何に使うかが分からなくなってきて。
”なんのために?”
そう思うと投稿する寸前でキャンセルすることも多々あります。
だから今は文章にしてこの思いを綴ってみました。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました!
Hej då!!
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