教育学概論 ⑤理想の教師像
理想的な教師とはどのような教師か?
それは生徒から見た教師と保護者から見た教師と教師から見た教師でそれぞれ異なる。
また、生徒も保護者も教師もいろいろな人がいて、いろいろな考え方があり、それぞれに必要とする教育は異なる。
したがって、理想の教師像というものは百者いれば百通り違うと言えるだろう。
そのような中で、いかに自分の信念を押し通して教員の仕事を遂行できるか。それはその教師次第だと言えるだろう。
例えば、最近の保護者には、自分の言うことは全く聞かないので、代わりに叱ってほしいと言う人が結構多いと実感している。
私も保護者との懇談などの際にそのようなお願いをされたことが何度もある。
あるいは学校の管理職からすれば、自分の言う通りに仕事をする教員が使いやすい教員に違いない。
その時、自分の言うことに異議を唱えたり、もう少しこうしたほうがよいのではないかと新たな提案をしたりする教員は使いにくいに違いない。
これも私が何度も何度も経験してきたことだ。
管理職に出世する教員は、上司の言うことを忠実に遂行する教員なのであって、決して、自ら情報を収集し、先の見通しを立てられるような先見の明がある教員ではないのだ。
だから、私が例えば新型コロナウィルスの今後について、ある根拠を下に見通しを語っても、ほとんどの教員は話半分でしか聞いていない。
そんなことは必要としていないからだ。もしくは思考停止しているからだ。
そして、そのような教員のほうが出世するのである。
私は何度も何度もそのようなことを目の当たりにしてきた。
したがって、管理職が理想とする教師と生徒が理想とする教師と、保護者が理想とする教師像はすべて異なる場合もある。
また、昨今は授業アンケートなどを生徒や保護者を対象にして実施し、その評価を教員にフィードバックするのだが、やはり生徒のウケがよい教員は、明るくて元気で、優しい教員である。
優しいのはよいが、それが甘さにつながると、真面目に授業を受けたい生徒からすれば、不満足な授業になる。
しかし、大部分の生徒はそんな甘い教師のぬるま湯のような授業のほうが、自分を変えなくて済むし、努力しなくてよいから、居心地はよいわけである。
けれども、私はそれをよしとは思わない。
やはり、授業が崩れるのはあっという間なので、生徒が私との距離を詰めてこようとすると、わざと私はつき離すようにしている。
これは長年の経験による本能のようなものだ。
しかし、こうした先生の授業は息が詰まるし、アンケートを取れば低い評価になることもある。
その結果を鵜呑みにする、現場をまるで理解していない管理職もいるので、私などの評価は低いわけだが、本当の評価は、私の指導についてきて、見事に志望校に合格した生徒が一番よく知っているから私はそれでよいと思っている。
また、保護者はある意味で、自分の子どもの言うことを鵜呑みにしている保護者が多いわけだが、それでも結果が出ればわりとオッケーな保護者が多い。
しかし、指導に乗っかってこないし、成績が伸びないことを他人のせいにするような保護者や生徒であれば、それは残念ながら最後までわかり合えないこともある。
それはある意味で仕方のないことではあるが、より多くの生徒や保護者が進路目標を達成できるように、嫌われようが何をしようが、厳しくするのが、自分の役割だと思っている。
また、ともすれば同僚や上司の理解が得られないこともあるわけだが、すべては進路目標の実現のために、よかれと思ってやっていることである。
したがって、結論を言うならば、生徒の進路目標の実現のために、一定の緊張感を保ちつつ、指導できる教員が私の理想であり、また、実際に結果を出して、在学時はともかく、卒業後に思いきり仲良くなれるような教員でありたいと私は考えている。