教育学概論 ③教育の方法
教育の方法はさまざまである。
学校に行って、通常の授業を受ける、オーソドックスなスタイルの教育もあれば、コロナ禍のようにオンラインの教育もある。
あるいはビデオを観て、その指示通りに学ぶスタイルもあれば、1対1、あるいは1対少数のような教育もある。
先生と生徒のように教える人と教えられる人という通常のパターンもあれば、学ぶ人同士でわかることを教え合う場合もある。
どのスタイルがよいかは、どれだけ教育の目的を達成できたかによって、その評価は変わる。
また、単純に目的の達成度だけではなく、プラスアルファとして、周りの人との協調性を学ぶこともあるし、リーダーシップを学ぶこともある。
学校にはこうしたプラスアルファの部分を多く身につけることが出来る、よい部分がある。
ただし、他人とのコミュニケーションに抵抗を感じる場合や、一人ひとりのデリケートな感情までをケアすることが一斉授業の教育では難しい場合もある。
そうした児童、生徒、学生は最近では通信教育のあり方もさまざまな形態が生まれてきたので、行き場が増えてきたと思われるし、何も一斉教育を受けていなければよくないとされる偏見も、最近ではほとんどないと感じる。
私はいろいろな塾や予備校、そして学校と、さまざまな教育の形態を経験し、自分でも実践してきた。
どの教育の形態が一番よいかなどということは軽々しくは言えない。
むしろ、どの教育形態であっても、よい点もあれば、改善すべき点もある。
ただ、教える側としては、現在の一斉授業の形態が自分には合っているということは言えるかもしれない。
しかし、それはあくまでも自分の場合は、ということであって、教える側にも、教えられる場合にも、自分にとって最適な学びの場、学びの方法があってしかるべきである。
ただし、最も根本的な問題として、教育の目的は「完成」ではない。無限の発展の可能性を秘めた、最善の途中段階を求めるものである。
したがって、どこまで追求したとしても、百点はあり得ない。
また、教育の際の教材、道具にもいろいろなものがある。
最近ではICT教材を使用した遠隔教育もごく当たり前になっている。
しかし、これも経験則から、昔ながらの方法であるが、板書したことをきちんとノートに取って、書きながら覚えてゆく方法が最も効果的な学習の方法だと思われる。
ただ見ているだけではなくて、書くことで、頭の中を整理してゆくほうが、圧倒的に学習の成果が出る。
これは正確な数値が出るわけではないが、実験してみれば、きれいにノートが取れる生徒のほうがよい結果が出るのは間違いないことだ。
まれに読めないような字の生徒が天才的な能力を発揮して、東京大学に合格するような場合もないわけではない。
しかし、平均的に考えれば、やはりきちんとノートが取れる生徒のほうがよい結果を出している。
やはり、いくらICT教材が発達しても、アナログな方法が、今後も一番の方法であるには違いない。
例えば、論文であっても、ネットで検索して、インターネット上にある論文をコピペしても、論文の提出は出来るわけだが、それは結局のところ、盗作であり、学力がついたわけではない。
やはり、オーソドックスに本を読んで、そこから考えをまとめてゆくやり方は避けられない。
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