ん、クラゲには脳がない。
クラゲは何も考えずにぷかぷか浮かんでいる。だから厭世的な人間はすぐ「クラゲになりたい」とか言う。(既に、考えなしにそういうことを言っているというのは置いといて)何も考えなくても生きていけるというのは、魅力的に映るものだ。私も将来のこととか、目の前の課題とか、どうしようもないGPAだとか、そういうのを忘れて生きていたい。だが、欲しいものを手に入れたとき、大抵はつまらなく思えるものである。だからクラゲたちに心があったら「別にそんないいもんじゃないよ」と思いながら漂っていたかもしれない。まぁ、心がある時点で人間が魅力を感じるクラゲ生では無いのだけれど。
じゃあ、クラゲに心があったとして(他は限りなく現実のクラゲに近いとして)クラゲが欲しがるものはなんだろう。クラゲが羨む、私たちにあるものはなんだろう。なんだろう……
私は怠惰なZ世代なので、ググるよ。すぐね。
カタカタカタ…
!?
!?
これだ〜〜〜〜〜〜っ‼️
✨𝐕𝐨𝐜𝐚𝐥𝐨𝐢𝐝 𝐂𝐨𝐥𝐥𝐞𝐜𝐭𝐢𝐨𝐧 𝟐𝟎𝟐𝟑 𝐒𝐮𝐦𝐦𝐞𝐫✨
ボーカロイドコレクション、通称ボカコレはパリコレ、青森ねぶた祭と並んで、東北三大祭りの一つであり、毎年夏と冬の2回開催されている。←嘘でした。春とかにもやってた。とりあえず年2回。
この祭りは3日に渡って行われ、その際には、沢山のボーカロイド楽曲が世に放たれる。ボカコレは楽しい。これはクラゲも羨むことだろう。
一方で、ボカコレでは、曲と一緒に曲の伸びぬ者たちの阿鼻叫喚が世界に響き渡るという。終われば順位がつく。これはそういうものだ。それは辛い側面でもある。しかし私は、それが生きている実感にも繋がると思う。我々は世界に働きかけると同時に、世界から働きかけられる。そしてそのとき初めて自己を認識できるようになる。インスピレーションをうけ、作り、フィードバックを得る。この全ての過程に生きる意味が存在し、それこそが我々を我々たらしめる痛みそのものなのだと思う。ならばこの生の実感もまた、クラゲの羨むものに違いない。
逆に、クラゲが自らを認識できないとすれば、クラゲは海そのものなのかもしれない。「クラゲになりたい」とは、「海になりたい」なのかもしれない。違うのかもしれない。
最後に、宣伝になるが(というかそのためにノートを書いたのだが)、今回は私もボカコレにルーキー枠で参加してみたので、聴いてくれると嬉しい。
おわり
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