『雑のごった煮』11月15日に考えたこと
地方創生では人の流れ(人流)を作ることが一つの論点になる。長期的な人流、人口の流入とそれを可能とする仕組み(雇用、産業振興、生活支援)と短期的な人流(観光他)。
短期人流で人を引き付けるには、体験をしてもらう枠組みが必要。今は個人的な体験に、その体験の個人的価値に対価が支払われる時代。一物一価ではない。だが、なるべく尖ったかつ幅広く刺さる(矛盾するが)体験が必要。
地方創生を考えるにあたって大切なこと。地方のペイン。地方のリソース。リソースを使ってペインを解消する枠組み。その枠組みが横展開できるか。その枠組みを成立させる経済構造。
Twitterで青チェックを定額で売ることで、決済システムを通すことによる本人確認(ボット排除)を図るという考え方は面白い。あと青チェックにバリューを持たせて(エアドロップして)送金につなげるというのも面白い。推し文化と相性よさそう。
もう少し前なら独自暗号通貨展開でドロップして経済圏を回すというのが効いたかもしれない。
今、ミドルエイジクライシス感をすごく感じる。これまでは積み上げる経験しかなかったのが、失い始める経験をすることで、それに耐えられず苦しいという感覚。
もうちょっと記事っぽく書いてみるかなとか思った。過去の考えたことを見直してみて(そもそもそのために書いているのだが)、さすがにごちゃごちゃでよくわかんないな、と思う。トレーニングとしては、過去に書いたことを再構成してみることから始めてもいいのかもしれない。
考え方や生き方の技法である『禅』と、救われるための手段である『念仏』、そして世界観である『曼荼羅』。ざっくりした分類だが、これらが混ざり合って(並列して)存在している思想としての仏教はとても興味深い。
暗号資産周りの事業者は、経営方針/運営方針の稚拙さ(リスク対応の不真剣さ)という要素と、そもそもの暗号資産の価値の下落の2つの要因に挟み込まれているような気がする。真っ当に運営していて、かつ暗号資産に過度のアセットの偏りがない事業者だけが生き残れるくらいの『冬』が来てしまうのかもしれない。
塔頭寺院は性質的に多数の寺院が一処に集まってしまうものだが、個別に檀家を擁して経営を成り立たせているのかな。それともベースとなる寺院からの援助の仕組みとかあるのかしら。