ミッコのオタク遍歴を辿る vol.2
前回のvol.1の続き。
まだvol.1見てないよ、な方は時系列で読んでいただくほうがわかりやすいかもしれません。が、特になんてことない記事なので時系列なんて気にしないぜ!という方はこちらの記事からご覧ください。
運命を変えるバンドとの出会いは高校1年生の時
私が高校1年生の時、所属していた生徒会の先輩におすすめされて出会ったのが、前回の記事の最後に登場した「DELUHI」というバンドです。
それまではポップス寄り、いっても邦ロック寄りくらいの界隈にいた私にとっては初の音楽ジャンルであるメタル系バンドでした。
最初聞いた時の衝撃たるや。こんなシャウトするんや、ギターもドラムも手数多すぎ、ベースの人顔がタイプすぎ…etc(DELUHIのベーシストは今も昔も一番大好きな本命麺(※1)です)
相変わらずフッ軽な私はDELUHIのライブにも行き、そしてそこでこんなに楽しいライブ生まれて初めてだとカルチャーショックを受けることとなります。
しかし、DELUHIにハマった楽しくキラキラした日々は一瞬で終わりを告げることとなります。
そう、解散です。
※1…メンバー=麺と表現するのが当時の作法でした。今でもそうなのでしょうか。
解散ツアーが終わったら死んでもいいと本気で思った日々
いきなり激重な小見出しつけてすみません。あとにも先にも、今死んでもいいと思えたのはDELUHIラストライブの夜だったなと思うくらい、私にとって特別な意味のある日でした。
解散が決まり、学校で泣きわめき(迷惑極まりない)そこからは情緒不安定と何公演行けるかの戦いの日々でした。解散が決まったことももちろん悲しかったですが、当時の言われ方だと私の本命麺が私の大好きなバンド解散の引き金を引いたように見えていたことが、一番辛かったです。
また、当時の私は言ってもただの田舎の高校2年生です。遠征にも限りがあります。が、ただでは転ばぬ私。ラッキーなことに私は高校2年生。オーキャンを言い訳に関東遠征できる、ある意味一番都合の良い時期でもありました。
さすがにもう記憶も薄れてますが、多分千葉、埼玉、大阪、東京2回は行けてたはず…?(関西の記憶があまりにないので、行けなかったかそもそも開催されなかったかも)(この時初めて、母親を騙してライブに行きました、ごめんなさい)
みんなが勉強や部活動に励む中「ミッコは長期休みになると関西にいない」と冷やかされながらも駆け抜けた毎日は、普通の学生の青春とは違うかもしれませんが、たしかに私の青春でした。
ライブは毎回楽しいのに、終わりへのカウントダウンなのだと思うと毎回涙が止まらず、楽しいと寂しいでグッチャグチャの毎日。Twitterで知り合ったバンギャたちと慰め合いながら、なんかもういっそ悟り開いた?くらいの状況でたどり着いたラストライブC.C.レモンホール(※1)の圧巻の景色。なんてったってみんな頭振ってるしみんな泣いてるんですから。
そして、グループを牽引してきたメンバーがMCで言った「DELUHIは俺の宝です」の言葉にバンギャみんな嗚咽。私にとっても今でもずっと宝物です。
後の二夜限りの再結成ライブで本当の解散理由が明かされ、私の本命麺は宇宙で一番格好いい最強の男だったことが明かされるわけなんですが、その話をしだすと長すぎるので今回は割愛します。
いろんなジャンルを渡り歩き、いろんな人を応援していましたが、DELUHIのベーシストの彼が、誰よりも一番大好きで誰よりも特別な人です。出会わせてくれた先輩、ありがとうー!!!!
※1…現在のLINE CUBE SHIBUYA
しばらくバンギャを続けるも、大学進学を期に熱が冷め始める
バンドを追いかけていたせい、と言われればそれまでなのですが、しっかり浪人した私。画塾(※1)と予備校を通う浪人時代を過ごします。
その期間はまだまだしっかりバンギャをしてたんですが、進学をきっかけに初めての静岡進出・生まれて初めての一人暮らしをはじめ、なんとなくバンギャから離れていくこととなります。
(書ききれませんでしたが、高校3年生・浪人生の間もしっかり遠征するバンギャをしてました。よく大学進学できたな)
しかし、そこで出会ったソウルメイトとも呼べるほどの親友と出会い、私は再びテニミュ(※2)の沼へとハマっていくことになります。
※1…デッサンを習う塾のこと
※2…テニスの王子様のミュージカルの略称
何気なく行った久しぶりのテニミュ、オタク仲間が近くにいるバフも相まってオタク返り咲き
テニミュ自体は1stシーズンは通っていたものの、その後はバンギャになっていたのでしばらくご無沙汰しておりました。
しかし、大学で「テニミュが好きだった!」という、今の親友に出会い、久しぶりに行ったテニミュ3rdシーズン(※1)を観たことで私のオタクの歯車が再び動き出します。
その時は特に誰が好き!とか推しを見つけられたわけではなかったんですが、仲の良い人とオタクをする楽しさをはじめて知った瞬間で、ある意味、「友達と同ジャンルにハマる」という新たな沼にハマった瞬間でした。
そこからしばらく公演に通い、ある日のお見送り(※2)で、一番ガチ恋をこじらせたと言っても過言ではない推しを推し始めることとなります。
※1…テニミュは一度終わっても続く化け物コンテンツ。まさかの4thシーズンにも突入しています
※2…公演終わりに日替わりで一部の演者がお見送りをしてくれる文化がありました
若俳をガチ推しする楽しさと大変さ
ガチ恋した結果、テニミュに通うだけではなくピューロランドにも日参することになったのですが、長くなってしまったので、そのあたりの話は次回の記事で…。
vol.3でお会いしましょう!